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自殺後の世界

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「看護婦さんは、純粋な気持ちをお持ちなんですね?」
 と高持は言った。
「そうですか?」
 というと、
「そうだよ。だって、普通、そんなに会社が何度も来るということは、後ろめたいからだって、普通なら思わないかい? 口止めだったり、監視しておかないといけないということで来ているだけだったら、来られるだけで、すごいプレッシャーですよ。僕が嬉しそうにしているとでも、思っていました?」
 と高持はいうのだ。
 そこまで言われると、何も言い返せなかった。
 確かに言われてみれば、高持の言う通りであり、なるほど、
「確かに、高持さんのいう通りだわ」
 ということになるのだった。
 みゆきだって、そのくらいのことは分かっている。しかし。それを認めたくないのは、きっと、高持を見ていて最初に感じたのが、
「お兄ちゃんが生きていれば、同じくらいの年だわね」
 という思いであった。
 確かに、兄が生きていれば、30代後半くらいだろうか? 最近はあまり思い出さなくなっていた兄のことをいまさらながらに思い出すと、今まで思い出さなかったことに対して、
「申し訳ない」
 という思いが募ってくるのを感じていたのだった。
「高持さんは、おいくつなんですか?」
 と軽い気持ちで聞くと、
「34歳ですね」
 という。
 兄よりも少し若いようだが、十分、想像に値する年齢であった。
 真面目そうに見えるのだが、何か影を感じる。今まで付き合ってきた男にはいないタイプで、それは、今までは学生だったという意識はいなめない。
 だが、それだけではない何かを感じるのは、
「やはり、高持さんの後ろに、お兄ちゃんを見ているからなんじゃないのかな?」
 と感じた。
 最近、お兄ちゃんのことを思い出していない自分に、何か後ろめたさを感じたことで、余計に、高持に対して、
「お兄ちゃんとかぶる」
 というイメージが焼き付いているようだった。
 だから、彼の部屋に回ってくるのが嬉しくて、もちろん恋愛感情ではない何かを感じていたが、まわりからは、
「みゆきが、高持を意識している」
 という感じに見えたことだろう。
 高持が入院していたのは、一週間足らず。最初は時間の感覚がなかったが、退院が近づいてくると、時間があっという間に過ぎてしまうことが、恨めしく感じられるのだった。
 実際に、退院まではあっという間だったのだが、なぜか最後の日だけは、そんなにあっという間という気がしなかった。
 というのも、
「何か気分が違った気がするんだよな。焦っていないような」
 と思うと、
「きっと、何か吹っ切れたんだろうな」
 と感じ、それが納得に繋がった気がしたのだ。
 だから、最後の日も、寂しいという気はしなかった。
 というよりも、
「高持さんだけを意識しているわけではないんだわ」
 ということに気が付いた。
 そもそも、仕事なので、
「一人に思い入れをしてしまうと、他の人がおろそかになる」
 ということであろうが、みゆきの場合は、却って一人に思い入れした方が、他の人にも注意がいく方だったので、そのあたりは問題なかったのだが、それでも、最後の日は、寂しさでやるせなくなるだろうということは分かっていた気がする。
 そのくせに、退院すると寂しくなると思いながらも、そこか、気楽な気もした。
 連絡先を教え合うようなこともなかったのは、あくまでも、
「気にしていたのは、美幸だけだ」
 という思いがあったからだろう。
 実際に、高持の方も気にしていたのかどうか。誰も分からない。だから、高持が退院してから、誰も二人のことを気にする人もいなかった。
「ただの一過性の話題」
 というだけで、まるで、SNSの、
「タイムライン」
 が流れてきたという感覚と同じではないだろうか?
 そんな高持が退院してから、しばらく、他に入院患者がいなかったこともあって、この部屋に入る人もいなかった。
 そのおかげか、この部屋に入ることはなかった。見回りの必要がないからだった。
 この部屋が使われなくなって久しいという感覚は誰も持っていないだろう。
 それよりも、最初から、
「開かずの扉」
 という感覚だったといってもいいくらいかも知れない。
 もっともそれは、この部屋に限ったことではなく、病室全体に言えることだった。
 一か所が、
「開かずの扉」
 となっても、誰も意識などしない。
 それだけ、病院というのは、その時々を小刻みに動いているのかも知れない。
 そう、まるで、
「金太郎飴」
 のようではないか。
「どこを切って絵も金太郎」
 時間というものが一番曖昧に感じられることではないだろうか?
 時間というものが、毎日、同じように過ぎていくと感じていると、
「誰もいない病室で、23時59分から、日が変わるまでを、じっと、横になって目をつぶってやり過ごすと、本当に日にちが変わっているのだろうか?」
 という思いに駆られるのだった。
「時間が過ぎたその瞬間、本来は、開かないと先に薦めない扉があって、それをタイミングよく開けることができないと、また同じ日を繰り返すことになる」
 という考えである。
 人間は、自分の中に、
「もう一人の自分」
 がいて、その自分の役目は、
「その日付が変わる扉を、タイミングよく開ける仕事をする人であり、あくまでも無意識の状態であるために、その存在すら意識していないのだ」
 ということであった。
 よくいうのは、
「その存在を自分で意識させてはいけない」
 つまりは、
「ドッペルゲンガーであれば、自分が見てはいけない」
 ということになるのではないかということであった。
 そう考えると、
「ドッペルゲンガーの伝説も、分からなくもない」
 ということである。
「もう一人の自分」
 という定義が難しいところである。
 特に意識してしまうのは、
「夢の中に出てきた自分」
 というものであった。
「夢を見ていて、一番怖いと思う夢って、どういうものですか?」
 という質問をされたとすると、みゆきは、漏れなく、
「もう一人の自分が出てきた夢」
 と答えるであろう。
「もう一人の自分、それは、夢の中だけに出てくる自分であって、現実世界でもし出てきたとすれば、それは、違うもう一人の自分ではないか?」
 と思っていたのだ。
 最初は、
「現実で見るのが、ドッペルゲンガーである」
 と思っていた。
 というのは、
「ドッペルゲンガーを見たら、近い将来に死んでしまう」
 という伝説があるからだった。
 怖い夢ということではあるが、もう一人の自分が出てくる夢を見たといっても、それで死んでしまったというわけではないと感じたからだ。
 しかし、最近少しおかしなことも考えるようになってきた。
「ドッペルゲンガーを見て、死んでしまうというのは、間違ってはいないが、夢の中でのドッペルゲンガーは、死んだその端に生まれ変わるというものではないか?」
 という思いであった。
「すぐに生き返るのに、どうして、死ぬことが必要になるのか?」
 ということであるが、考えてみれば。
「夢というものは、いつも、ちょうどいいところで眼が覚めるではないか?」
 ということであった。
 いい夢でも。
「もっと見ていたかった」
作品名:自殺後の世界 作家名:森本晃次