自殺後の世界
と思っていた。
そう、まるで記憶喪失になった人が、急に何かのきっかけで思い出すかのような、そんな感じであった。
みゆきには、
「思い出せそうなんだけど、どうしても思い出せない」
という、
「もやり」
があった。
だが、
「記憶の奥に封印されているのであれば、しょうがない」
という気持ちもあった。
封印された記憶を呼び起こすために、今ここで、体力を使うのは、得策ではない。
「記憶の封印を呼び起こすには、かなりの愛力の消耗を余儀なくされるに違いない」
という意識があるのだった。
「しょうがないか」
とみゆきは、感じていたが、ただ、この、
「限界」
というものを感じた時。
「私には限界というものはないわ。でも、自分の中にある何かの目標が達成されたその時には、看護婦というのを辞めることになるかも知れない」
と思うのだ。
それが何かということは、おぼろげにしか分からない。しかし、その時がくれば、ハッキリと思い出せるという意識はあった。
「怖い」
という気持ちがあるのは間違いないようだが、いかに自分が対応すればいいか。その時になって慌てないようにしたいと思うのだった。
ただ、
「その時が近いのでは?」
という思いがあるのも事実であり、徐々にそれが、
「白日の元と晒される」
というのが、怖いような楽しみなような複雑な思いであった。
そもそも、
「目標」
というものが、いいものだという根拠はどこにもないではないか。
目標というものは、
「達成することに意義があるわけではなく、持つこと自体に意義がある」
ということを言っていた人がいた。
それは、当たり前のことだといってもいいだろう
「目標というものは、達成すれば、達成感が得られるが、それ以上に、達成したことで、虚脱感があるというのも事実のようだ。
というのも、下世話な話になるが、男性がセックスしたあとで訪れる、
「賢者モード」
というのがあるらしい。
女性であるみゆきには、
「一生分かりっこないことだ」
ということであるが、どうやら、それまでの夢心地だった感覚が、急に冷めてしまうようだった。
もちろん、みゆきは処女ではないので、何人かと男性経験もある。その中でほとんど皆、
「果てた後には、身体が敏感になるようで、どこを触っても、怒られるというほどのようだ」
と思っていた。
そして、急に冷たくなる。
冷静になると言えば聞こえはいいが、要するに、冷めきってしまうのだった。態度もまるで他人事のようによそよそしくなり、そのまま爆睡しる人もいた。
本当に眠いというよりも、そのあとのコミュニケーションが鬱陶しいのであろう。
「オンナからすれば、この時間、可愛がってほしいと思う者なのにな」
と思う。
だから最初の頃は、冷めてしまった男は、
「なんてわがままなんだろう?」
とその男だけだと思っていたので、だんだん嫌いになり、こっちからふってしまった。
しかし、次につき合うおとこも、その次も、皆同じなのだ。
ここに至っては、遅まきながら、
「男というのは、皆あんな感じなのかしらね」
と思うようになった。
そういう意味で、
「最初の男がもったいなかったな」
と思い始めたのだ。
そういえば、中学時代の友達が、就職して、なかなか続かず、職を転々としていたが、
「転職するほど、どんどん、条件って悪くなるんだよな」
と言っていた。
「じゃあ、どうして、転職を続けるの?」
と聞くと、
「どうしてなんだろうな? くせがついてしまったのかも知れないな」
と笑っているが、本当に、
「能天気な男だ」
と思った。
中学時代から、能天気であったが、さすがに就職してまで、昔のままということはないだろう。
ただ、今の時代は、転職など当たり前で、派遣社員としてやっていく人も多い。世の中に、まったくといっていいほど期待をしているわけではないのだろう。
考えてみればそうだ。
昔の昭和の頃は。
「55歳定年まで勤めれば、そこから年金で、悠々自適な生活が送れる」
という時代だった。
しかし、今は、定年が60歳に引き下がり、しかも、年金受給が65歳からというのが普通になった。
「じゃあ、この5年間は?」
というと、
「企業の努力義務で、定年後の延長雇用で賄うしかない」
というのが、当たり前になった。
しかも、今は、さらに、もっと年金を引き下げようとしている、将来的には、
「国民は、死ぬまで働け」
と言っているようなものである。
「だったら、今まで払ってきた厚生年金を返せ」
というのだろうが、そんなことできるわけもないので、年金制度は何とか維持するのが、政府としての。
「歩み寄り」
というものであろうが、
「そもそも、消したのは、どこのどいつだ?」
ということであり、怒りは政府に向けられる。
しかも、やれ、
「増税だ」
「防衛予算の拡大だ」
と国民に負担ばかりをしいて、心の中では、
「国民などどうなってもいい」
下手をすれば、
「死んでいこうが関係ない」
と言われているのであれば、どうしようもないではないか。
それを思うと、世の中というのが、
「政府によって亡国の道、まっしぐら」
という青写真ができあがっていくのを、皆黙って見ているしかないということだろうか?
野党は腐り切っているので、与党に票を入れるしかない。そうなると、あの、
「くそソーリ」
みたいなやつが、またソーリになるという、この腐った状況を、誰が止めてくれるというのか、
政治家に、根性ある人がいないので、亡国の一途である。
「あの時のあのソーリがこの国を壊したんだ」
ということの、歴史の証言者にならないことを祈るしかない。
それを思うと、
「国家というものが、庶民を助けてくれるなどというのは、お花畑的発想でしかないということなのだろうか?」
と思えてならないのだった。
「政治家も警察も、同じ穴のムジナだ」
と、みゆきは感じ、
「お兄ちゃんは、そんな社会の犠牲者なのかも知れない」
と、昔感じたことだけは思い出していた。
そんなことを思いながら、みゆきは、見回りをしていた。
すると、一つの病室から、何か音がしたような気がしたのだ。
その部屋は、
「確か、今、誰も入院患者がいないんじゃなかったっけ?」
と思うことだった。
その部屋は、数日前に元気になって退院していった、確か、30代後半に差し掛かったくらいの男性だったのだ。
仕事中に怪我をしたようで、会社から見舞いの人が来ていたようなので、
「よかったですね。会社からもお見舞いに来てもらえるなんて、さぞや会社で、必要とされている人なんでしょうね?」
というと、その人は、複雑そうな表情で、こちらを見たのだった。
患者さんは確か、
「高持さん」
と言ったっけ。
「いや、別に会社でそんな慕われることなんかありませんよ。形式的に来ているくらいですよ」
というので、
「そうなんですか? 仕事中に怪我をした人というのは、今までに何人か見ましたけど、わざわざお見舞いを持ってくる人なんて、そんなにいませんよ」
というと、