自殺後の世界
というのも、亡くなった二人のうちの一人、つまり、兄以外のもう一人と、助かった中で、一番体力が消耗していて、入院することになった女性と、かつてつき合っていたという。
しかも、助かった二人のうちの一人と、その後付き合い出したというのだ。
刑事は、5人について聞き込みを行ったが、
「ああ、あの三角関係ね。結構バチバチしていたと思いますよ」
という人が多かった。
「知っていたんですか?」
「ええ、そりゃあね。あれだけ大げさに騒げばね」
というではないか。
「騒いだというと、誰がですか?」
と聞かれて、
「彼女がですよ」
というので、
「ん? どうして?」
「ふった男が、しつこく付きまとうって、言いふらしていたんですよ。でも、新たにつき合い出した人からは、何も聞かなかったので、彼女だけが、騒いでいるのかな? って思っていました」
というではないか。
それを聞いた刑事は、
「何か妙だな」
と思っていると、
「あの3人は、ちょっと変な三角関係だったかも知れないわね。別に男の側では、寝とった、寝とられた、という感覚はなかったですからね。確かに男性側が騒いでいるわけではなく、彼女だけが、元カレの悪口を言っていた。きっと別れたのは、そんな彼女に愛想を尽かしたからじゃないかって、そんなウワサニなりましたよ」
というのだ。
今回亡くなった男性の、兄以外の人は、後から彼女とつき合い出したという、今カレだったのだ。元カレは助かったようで、そんな三角関係を少し視野に入れて、捜査というか聞き込みが行われたが、
「どうも、殺人というところまでの動機ではなさそうですね」
という話であった。
「そうですね、彼だけが助からなかったということであれば、怪しいと思うけど、もう一人死んだ人がいるとなると、怪しいということはないようですね」
というのが、警察の見解だった。
だから、起訴されることもなく、今回の件は、事故ということで処理されたのだったのである。
見つかったもの
そんな兄の死を、乗り越えるまで、みゆきは自分で思っていたよりも、結構時間が掛かったかも知れない。
「どうして、兄が死ぬことになったのか?」
ということもそうなのだが、
「なぜ、急に姿を消したのか?」
ということ、そして、
「急に姿を消しておいて、サークル仲間と、どうしてキャンプなどに興じているというのか?」
そもそも、兄のことを警察に捜索願を出してからも、自分たちで独自に捜索はしていた。
大学時代の親しいと言われている人たちに話を聴いていると、誰も、
「知らない」
という。 そして、今回の事件でキャンプに行った他の4人の人たちと、話をすることはなかった。だから、みゆきは、
「本当にこの人たちは、兄と知り合いだというのかしら?」
と感じたのだ。
警察が捜査したところとしては、
「そうですね。後の4人は仲がよかったというのは聴きましたけど、お兄さんは、そこまで仲が良かったという感じではなかったようなんですよ。助かった三人に聴いても、お兄さんは、亡くなったもう一人の彼が、今回のキャンプの仲間に入れてやってほしいといってきたので、仲間が多い方が楽しいということで、急遽、お兄さんが加わったということだったようですね」
というではないか。
「そうだったんだ」
というと、警察も、
「ええ、三人とも、そう話だったので、本当だと思います」
というので、
「まさか、初対面ということではないんでしょう?」
とみゆきが聞くと、
「ええ、そうですね。同じ学部だったので、何度か、話をする仲ではあったといいますが、どこかに一緒に遊びに行ったことは、3人ともなかったといっていますね」
と刑事がいうので、
「じゃあ、亡くなったもう一人の人とは、仲が良かったということなんですね?」
とみゆきが聞くと、
「そういうことのようですよ」
と答えるだけだった。
それはそうだろう。
本人は死んでしまっているので、それについて、何らコメントできるわけもない。
みゆきは、それを聴いて、それ以上何も聞けるわけはないと思い、少し考えていたが、
「ああ、どうせ、兄を必死に探してくれなかった警察なんだから、半分だけ聴いておけばいい」
と、こちらも独自に捜査することにした。
ただ、実際に出てきた話は、
「それ以上でも、それ以下でもない」
まさしく、警察の捜査以上のことは、分からなかったのだった。
何か、
「限りなく怪しい」
という思いを抱きながら、その向こうが霧のベールに包まれている状態に、みゆきは、意識が朦朧としていたのだった。
みゆきは、それ以上詮索もできず、モヤモヤした気持ちをしばらく持ち続けていたが、兄のことばかり気にしているわけにもいかなくなり、自分の将来に直面しなければいけなくなった。
いよいよ看護科を卒業し、病院に勤めることになったからだ。
もうあれから、10年という月日が流れ去り、兄のことも、風化しかかっていた。
あれだけ、あの頃、
「絶対に兄が死んだことを忘れてはいけないんだ」
と思っていたからだったのだが、病院に勤務し始めて、望む望まないにかかわらず、
「人の死」
というものに、これだけたくさん関わってくると、感覚がマヒしてくるのも無理もないことであった。
実際に、
「いちいち気にしていては、身体がもたない」
ということも分かっていたし、精神までやられてしまうと、
「看護婦なんてやってられない」
ということになるだろう。
実際に、この状況に耐えられなくなって、辞めていった人もたくさんいたというものである。
「まぁ、それはしょうがない」
といって、先輩も、辞めていく人を引き止めることも、何もしなかったのだ。
冷たいとも思ったが、自分が先輩になってくると、
「それもしょうがない」
と感じるようになった。
「自分だけのことをやっていればいいというわけではないんだ」
と思うようになると、自分で自分をコントリールできないと、この仕事をやっていけないことが分かってきたのだ。
辞めていく人間は、それができずに、自分の限界を感じたから辞めていったのだろう。その時、
「きっと、自分で自分の限界を感じたに違いない」
と思ったのだ。
「限界?」
と、ふと、みゆきは感じた。
「そういえば、昔、限界という言葉に敏感だった気がするんだけど、何だったのかしら?」
と、言葉自体に反応はするのだが、その理由が思い出せない。
これほどまでに、月日の流れが早いのか、それとも、一旦忘れてしまうと、忘れた記憶は意識からも消えていて、時系列が邪魔するのか、記憶の一体どのあたりなのかという一番の思い出すすべをすっかり忘れてしまっているのだった。
記憶というのは、意識の中にしばらくはあるのだが、ある瞬間から、意識を離れ、記憶の奥に封印されるようだ。
その扉を開けてから、その記憶を探るには、時系列が必要になる。しかし、相当時間的に古いものが、所せましとして記憶の奥にひしめいているのだから、基本的に、
「意識から離れてしまった記憶を思い出そうというのは、何かのショックでもないと無理ではないか?」