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減算法の都合

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 本来であれば、事件現場には、いくら、以前協力してくれたとはいえ、勝手に入ってきて、刑事が、べらべらと、捜査内容を話している。
 普通であれば、刑事には、
「守秘義務」
 というのがあるはずだ。
 捜査会議で分かった事実や、証拠、あるいは、証拠となるべきもの。それらを、簡単に素人に話すのである。
 いくら何でもありえない。
 しかも、さらに問題は、事件解決をする人が、刑事の奥さんという設定の時、
「いつものパターン」
 として、旦那に黙って、犯人とおぼしき人に近づき、その人に、自分が推理した内容を話し、
「あなたが、犯人だ」
 と言えばどうなるだろう?
 しかも、いつも同じ場所である、
「断崖絶壁の崖の上」
 で、犯人に対して、
「あなたが犯人だ」
 などといえば、普通であれば、相手も必死なのだから、崖に追い詰められて、殺されそうになるのがオチである。
 それなのに、なぜ毎回同じ断崖絶壁なのだろうか?
 それを考えると、滑稽で仕方がないのだ。
 旦那の方も、危機一髪のところでやってきて、事なきを得ることになるのだが、それを性懲りもなく、毎回同じパターンなのだ。
「いい加減、学習しろよ」
 と思うのは、自分たちだけではないだろう。
 ただこれこそ、ワンパターンなのだが、これが面白いのだ。
 昔からの、勧善懲悪の番組、
 たとえば、時代劇の、
「徳川家康の孫にあたる、御三家の老人が諸国漫遊に出かける話、あるいは、町奉行が、町人の、しかも遊び人の恰好をして、街で悪党をやっつけて、最後には白洲で、背中の彫り物を見せるという番組」
 それらは、基本的に、毎回ワンパターンであった。
「印籠を出す」
「背中の入れ墨を出す」
 という形で、悪党を懲らしめ、白洲では、
「打ち首獄門」
 などという裁きをして、最後に、
「一件落着」
 といって終わるという、毎回のパターンである。
 つまり、テレビを見ている側も、そのワンパターンを楽しみにするようになっているのだ。
 だから、
「ワンパターンでなければ、勧善懲悪ではない」
 というイメージが染みついているのか、サスペンス劇場でのワンパターンは、当然といえば、当然なのだ。
 そんな番組も、結構長く続いたりしたが、次第に、少なくなってきた。
 というのも、テレビの在り方が変わってきたのだ。
 この頃から、テレビというと、
「有線テレビ」
 という、
「ケーブルテレビ」
 であったり、
「衛星放送などが、それぞれの専用チャンネルを作って、月額数百円で、見放題などという風にすると、皆、好きな番組だけを見るようになるから、有線であったり、衛星放送であったりが、重宝される」
 ということになる。
 となると、それらの放送は、自分たちで番組を作るというよりも、
「昔の懐かしい番組をずっと放送する」
 ということになるので、民放で、お金を出して、ドラマを作るということが、なくなってきたのだ。
 そこで、民放もドラマの時間はどうしても必要なので、
「新しいジャンルの番組」
 というものを組みなおすことになるだろう。
 そんな時代に先駆けて出てきたのは、また別の形態の刑事ドラマだった。
 それが、前述のような、
「警察機構というものに対しての挑戦」
 と言えるような番組であった。
 それが、いわゆる、
「キャリア組と、ノンキャリア組」
 というものの対立のようなものであった。
 物語としては、普通に事件が起こり、それに対して、捜査本部の長であるキャリア組の管理官と、叩き上げ刑事との間で芽生える友情と、立場の違いによる葛藤との間に起こる、物語という感じであった。
 キャリア組というのは、国家公務員試験に合格した人が警察に入ってくると、階級世界であるその階級が、普通の地方公務員試験合格者である、一般の人たちが、巡査スタートであるのに、隊士、キャリア組は、警部補スタートということになるのであった。
 だから、まだまだ若いのに、管理官として、捜査本部の長で、捜査の指揮を取ったりするのである。
 しかし、キャリア組の中には、さらにその中にも、葛藤が存在し、さらに上に行かなければならないという、管理官であっても、
「ただの、通過点でしかない」
 ということになるのだった。
 たたき上げの刑事では、せめて署長どまりだというのに、キャリア組は、若いうちから、さらに高みを目指している。その違いは、
「まったく見えている世界が違う」
 といってもいいだろう。
 もっとも、それだけ違う目を持っている存在が、それぞれあることで、警察機構の、
「層の厚さ」
 というものがあるということもできるであろう。
 そういう意味でもバランスが大切だということで、せっかくの機能をうまくコントロールできる人間が、悲しいかな、今はいないということが、一番の問題だといってもいいだろう。
 そういう問題をドラマにした番組が、1990年代から始まった。
 最初は新鮮で、見ていてサスペンスタッチでもあり、面白かった気がしたのだが、そのうちに、見る気がしなくなってきた。
 その理由としては、昨今叫ばれている、
「コンプライアンス」
 などという問題ではないだろうか。
 いわゆる、
「いろいろなものに対しての遵守」
 と言われるものであり、一般的には、
「法令順守」
 などという場合に使われることが多い。
 例えば、会社などでの、
「ハラスメント違反」
 などは、人の自由や権利を奪うものとして、
「苛め」
 あるいは、
「嫌がらせ」
 などというものが、
「コンプライアンスに違反している」
 というものだ。
 特に、よく言われているものとして、会社などにおいて、
「上司が部下に対して、その優位性を武器に命令したり、嫌がらせをする、パワハラであったり、男性が女性に対して、性的な嫌がらせを行う、セクハラであったり」
 そんなものが、以前は公然と行われていた。今では、必要以上に厳しくなっているようで、下手をすると、パワハラをあまり厳しくしすぎると、今度は仕事が回らなくなってしまうということになりかねない。
 ただ、仕事もないのに、会議で上司が定時に終われないからということで、
「事務所に残っていなければならない」
 という、残業手当が出るわけでもない、
「サービス残業」
 というものが、なくなるのはいいことだった。
 さらには、以前であれば、自分たちの課で主催する飲み会には、
「全員参加が必須」
 などということで、酒が飲めない人、上司のセクハラに耐えられない人まで参加させられ、挙句の果てに、
「俺の酒が飲めんのか?」
 という状態にさせられてのパワハラ。
 今の時代では、そのすべてがアウトなのだが、今から二十数年前くらいまでは、
「それが普通だ」
 という状態だったのだ。
「新入社員の、会社での初仕事が、花見の場所取り」
 などという時代もあった。
 しかも、昔の、アットホームと言われたアニメでさえも、そんな父親の姿を、
「サラリーマンの悲哀」
 として描いていて、それを非難するどころか、
「サラリーマンになったら、それくらいのことは、甘んじてやらなければならないのだ」
 ということを、教えているかのような内容である。
作品名:減算法の都合 作家名:森本晃次