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減算法の都合

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 もっとも、徳川軍は、真田軍にも弱かった。
 第一次、第二次と、圧倒的な兵力で、上田城を取り囲んだにも関わらず、二度とも大敗をしている。
 しかも、第二次の方は、軍を任された息子の秀忠が、
「行き掛けの駄賃」
 程度に思ったのか、真田昌幸の挑発に乗り、本来であれば、急いで決戦の地に向かうはずだったのに、足止めを食ってしまい、結局、本戦に間に合わないという失態を演じることで、秀忠は、家康から、しばらく距離を置かれてしまうことになった。
 もちろん、真田も、いろいろな罠を仕掛けておいての挑発行為、相手の士気の高さを巧みに利用したり、精神状態を計算しての作戦に、頭に血が上った状態の敵軍に、勝ち目はないということであろう。
 特に、戦上手の将というのは、
「一度やられたら、その作戦を相手に仕掛ける」
 ということをやったようだ。
 それだけ、
「まさか、相手も同じ手を使ってくるとは」
 と言わせてしまえば、こちらの勝ち。
 相手は、そんな敵に対して、正直、頭に血が上ることであろう。
 また、もう一つとして、
「灯台下暗し」
 ということもある。
 というのは、これは、ミステリーなどのお話でよくあることであるが、
「一番の隠し場所というのは、どこなのか?」
 ということを聞かれた時、
「警察が一度探した場所だ」
 と答える場合があり、実際に、探偵小説などでは、そのことがよく書かれているではないだろうか。
 というのも、例えば、凶器などを隠すのに、しばらくの間は、犯人が持っていても、いきなり警察が、いきなり見つけるなどというのは、最初から犯人が分かっていなければできないことなので、ないだろう。
 だから、警察が、見付けることができなかった場所が、どんどん、安全な場所として、浮かび上がってくるのだ。
 これは、
「探偵小説としては、基本中の基本なのかも知れないが、意外と実際に犯行では、うまくいくということが、往々にしてあったりする」
 と言えるだろう。
 何といっても、警察はプライドの塊であるといえよう。
「捜査に関してはプロだ」
 と思っているのだろう。
 どんない検挙率が悪くても、それでも、
「俺たちは警察だ」
 という意識があると、そのプライドが邪魔をして、
「一度探したところに、犯人が隠す」
 などということを思うのかも知れないが、プライドから、
「一度捜した場所を、もう一度捜す」
 ということは、決してできないのだ。
 それをするということは警察としての敗北であり、認められないことだった。
 警察が、何に対して喧嘩を売っているのか分からないが、
「警察には警察の、譲れないラインがある」
 ということなのだろう。
 だから、一度捜したところは、よほどの証拠でもない限り、もう一度捜したりはしない。
「そんな暇があるんだったら、それ以外の場所を探す」
 ということであろう。
 それを思うと、
「確かに、一度警察は探して、何もなかったその場所が、一番安全な隠し場所だ」
 と言えるだろう。
 だからこそ、
「探偵小説の中でも、基本中の基本」
 と言われるが、それでも警察は、その基本を実行しようとは思わないのだ。
 実際に探して、また出てこなかったら、そのショックは計り知れない。
「俺の自分の勘を信じればよかった」
 と感じることだろう。
 本当は、冷静に考えれば、分かることなのだろうが、どうしても、
「そんな暇があるのであれば、他を探せ」
 と、いうのが、警察のメンツなのだろう。
 警察は、さすがに公務員。マニュアル通りの捜査を行う。
「事件では、捜査本部が開かれて、いろいろな意見は出るだろうが、最終的には、本部長の意見が採用となる。どんなに無能な本部長であっても、それは必要なことである。警部補まではキャリアですぐになれるが、そこからの昇進は、本人次第。だから、本部長とおなれば、無能ではなれないだろうが、警察機構というものを、ただ机上で勉強しただけの本部長であれば、そのまわりの取り巻き、参謀と呼ばれる人がしっかりとしていなければ、捜査がまともに行くはずもない」
 というものだ。
 つまり、
「捜査本部で決まったことであれば、それ以外の行動をすることは、たとえ管理官であっても、許されることではない」
 という。
 それだけ、
「公務員の公務員たるゆえん」
 なのであろう。
 そんな時、警察は、とにかく融通が利かないから、素人が見ても、
「あぁ、またムダなことをしている」
 と思うようなことを平気でしている。
 さすがに面と向かっては言えないが、捜査員は、そのことを分かっているのだろうか?
 実際に分かっていて、やっているのであれば、
「相当、精神的につらいんだろうな」
 と、無能な上司のいうことを聞かなければいけない部下の気持ちが分からなくもない。
 何といっても、
「あの連中は、現場を知らないんだ」
 と思うからだ。
 実際にはそうでもないのかも知れないが、やはり、テレビ番組の影響は大きいのかも知れない。
 特に、
「あの、レインボーブリッジをどうのこうの言っていた映画」
 などは、特にそうで、最初にテレビ放送があったのは、まだ20世紀の頃だっただろうか?
 そうそう、
「都知事と同じ名前の」
 というフレーズがあったではないか。
 相当昔の番組だということを物語っている。
 あの番組は、それまでの刑事番組とはまったく違った感じだった。
 昭和の頃の刑事番組というと、いわゆる、
「人情もの」
 が多かったような気がする。
 当時の時代風刺もあったり、当時は、まだまだ、暴力団などが、法律の目をかいくぐって、暗躍していた時代だった。刑事の悲哀があったりで、一時間番組が、ほぼ、一話完結系だった。
 それが、今度は、一人(あるいは2人)の刑事にスポットライトを当てる番組が多くなった。得に、1980年代くらいは、カーチェイスや、アクションのようなものを派手にやる番組も出てきて、
「凶悪犯罪に立ち向かうアクション集団」
 という感じであった。
 それと同じくらいの時期からか。今度は、刑事ドラマというよりも、サスペンス劇場のような、いわゆる、
「2時間ドラマ」
 が出てきた。
 その頃から、いわゆる、
「安楽椅子探偵」
 と言われるような、
「様々な職業の人は、犯罪捜査に関わってくる」
 という感じである。
 医者であったり、法医学の先生、ルポライターから、葬式屋までが、警察に協力して事件を解決していくのだ。
 普通の警察ならありえない。素人の探偵でも何でもない人が、以前、事件解決に協力してくれたからといって、
「この人たちはいいんだ」
 とばかりに、刑事が、その人たちに意見を求めるなど、普通なら考えられないだろう。
 ただ、それらの番組は、一種の、
「勧善懲悪」
 とでもいえばいいのか、たぶん、
「一般の素人であっても、警察に協力して事件を解決する」
 というシチュエーションに自分を照らし合わせているのかも知れない。
 ただ、問題は、防犯上、
「それでいいのか?」
 ということである。
作品名:減算法の都合 作家名:森本晃次