減算法の都合
ということであるならば、
「一人で戦った」
ということも、
「見殺しにした」
ということも、彼らの星の理屈からいえば、ありえないことではない。
だとすれば、
「奴隷制度など、実に卑怯ではないか?」
ということになるのだろうが、果たして、そう言い切れるのだろうか?
地球人だって、長い歴史の中で、
「奴隷を使ってきた時期が相当あったではないか?」
ということである。
今から、100年前くらいであれば、まだ奴隷がいた国だってあっただろう。
あのアメリカだって、250年前くらいまでは、奴隷制度が当たり前だったではないだろうか?
それを思えば、地球人に奴隷制度をとやかくいう資格はないのかも知れない。
ただ、もう一つのこのドラマでの疑問であるが、
「なぜ、正義のヒーローは、宇宙船で逃げ出した宇宙人を、追いかけてまで、撃墜しなければいけないんだ?」
ということである。
子供だから、
「侵略者は悪い連中だから、根絶やしにしないといけない」
という理屈だったということか?
もし。そうだとすれば、ゆゆしき問題だといってもいいだろう。
これも、憲法9条に真っ向から逆らっている発想だからである。
なぜなら、
「相手の宇宙人が逃げ出したということは、地球侵略を、諦めたということである」
確かに、最初は、地球侵略を考えて、地球に来たということであるから、悪い相手ということであろう。
しかし、戦いを放棄して逃げ去っていく相手を追いかけてまで、殲滅する必要があるだろうか?
特に日本は、
「専守防衛も国」
だということで、襲ってきた相手を、
「防衛」
という形で倒すことはできても、少なくとも、自国の領土から離れた相手を領域外まで追いかけて、攻撃することは許されないはずだ。
ということは、このドラマは、憲法9条に、
「真向から、挑戦している」
ということになる。
「いや、これが最初からの、見えていない隠れたテーマだったのかも知れない」
と考えることもできるかも知れない。
そもそも、ドラマとして、一話完結の中のその話のテーマは絞られているのだが、全体的なテーマがぼやけてしまうのは、そういう細かい設定に、かなり無理があるからではないだろうか?
しかも、ドラマの設定が、あくまでも、
「宇宙人が攻めてくるのは、いつも日本だ」
ということなので、それに対しても、なぜ、誰も疑問を呈しないのだろう?
相手は、世界にたくさん国があって、わざわざ日本に最初に来るというのか?
「地球の代表だというのであれば、ニューヨークや、モスクワなのではないのか?」
と思うのだが、そこは子供番組、日本でないと、辻褄が合わないことが多いというよりも、
「誰も見ない」
ということになるからだろう。
これが、1960年代後半の特撮ヒーローものの番組である、
番組は、前述のように、
「一話完結編」
となっている。
ただ、テーマとシチュエーションは、毎回一緒だ。
「地球は、絶えず宇宙人から狙われていて、そのために、地球防衛軍というものが結成され、最新鋭の兵器で地球を守る」
という、
「宇宙からの侵略者専門のエキスパートとしての軍隊を、世界規模で形成した」
ということである。
しかも、話は、地球防衛軍は存在するが、その戦果に関しては、一切触れられていない。
防衛軍は存在し、その隊員に対しての話は、初回に、ナレーションとともに聞くことはできるが、
「今まで、何度の宇宙からの侵略があり、防いだのか?」
ということが一切、語られていない。
今も地球が無事で、普通に防衛軍が機能しているということは、少なくとも、
「宇宙人に侵略を許してはいない」
ということになる。
それは当たり前のことであり、
もし、侵略を許していれば、今、地球は植民地化されていて、奴隷になっていてもおかしくはない。
ただ、正義のヒーローが、地球防衛軍の隊員として潜り込んでからは、少なくとも、相手の宇宙人を、地球人だけでは撃退することができないということになっているではないだろうか?
それを考えると、ドラマの始まりは、
「実に都合のいい」
といってもいいだろう。
もし、正義のヒーローがいなければ、第一回目で、地球は占領されて、
「○○星人の植民地になってしまった」
ということで、終わってしまうだろう。
まだ、何十話もあるのに、それでは話が続かない。
もっとも、占領された地球を、
「正義のヒーローが侵略者から救い出す」
という形の話であれば、ありえないことではない。
ただ、それでも、話が、さらにカオスになり、ややこしい展開となってしまうので、子供に理解などできないだろう。
「大人向けの映画であれば、ワンチャン、奇抜なストーリーということで、話が膨れ上がったとしてもおかしくはない」
と言えるのではないか。
しかし、実際には、そういうストーリーも大人向けで出てくることもない。やはり、この設定を子供向けにした以上、少々辻褄が合わなくても、
「子供番組」
ということで押し切るしかないだろう。
脚本家などであれば、全体のテーマに抵触に関係なく、
「一話完結」
ということで、話を膨らませることはできるが、プロデューサーであったり、演出などとなると、そうもいかないのではないだろうか?
確かに話としては、うまくできている。大人になればなるほど、話の深みを感じることができて、
「これは名作だ」
と、思うようになる人もかなりの一定数いることだろう。
しかし、その中で、矛盾に感じる人がどれだけいるだろう?
そういえば、この時代の特撮やアニメなどの番組の、
「矛盾をつく」
というような本が、いくつか出版されていたこともあった。
しかし、この特撮番組に関してはなかったような気がする。
もっとも、矛盾を突くというよりも、
「研究の中で見つけた矛盾」
というものであった。
この特撮番組は、果たして、
「研究しなければ、分からないような内容なんだろうか?」
ということであるが、考えてみれば、アニメなどの研究本も、よく見てみると、
「ちょっと考えれば思いつく」
というような内容のものが結構あるのではないだろうか?
と言えるのだった。
そんなことを考えていると、
「一つの番組の中に。どれほどの矛盾や、おかしなところがふくまれているのか、それを研究という形で浮き彫りにするのも、結構面白い」
ということになるであろう。
そんなことを考えていると、
「世界最後の日」
という映画も、冷静に見てみると、確かにおかしなところが多かったりする。
前述の、
「放射能の影響での突然変異が、なぜ巨大化だけしかないのか?」
というのも、その一つの考え方であろう。
それを思うと、今度は、
「人間の心理の中にも、矛盾のようなものが潜んでいるのではないだろうか?」
ということが考えられるのである。
一つ考えられるのは、
「そんな生きるだけで、大変の時代で生きていくことを、最初から望むだろうか?」
ということである。
特にこんな恐ろしいと思えるようなドラマを見せられて、