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減算法の都合

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 お互いに、それぞれの首都に向かって発射できるミサイルを、相手の首都に向けて発射する準備は整っているのだ。だから、後はボタンを押すだけである。
 このように、
「撃ち合いになれば、世界滅亡が分かっていることだから、撃ち合うことはできない」
 ということだ。
 つまりは、核開発で、相手にひけを取りさえしなければ、
「相手から攻められないという抑止力になり、また、相手との政治的な、あるいは経済的な交渉の手段になる」
 ということで、お互いに核開発を進めていた。
 しかし、かつての、
「キューバ危機」
 というもののように、
「相手のミサイルがこちらを狙っている」
 という恐怖を肌で感じると、普段の生活すらできないほどの恐怖を植え付けられ、核開発競争が、
「戦争の抑止につながる」
 という考えが、ただの虚栄でしかないことが分かるというものだった。
 次第に、核開発を辞めるようになってきたのだが、まだまだ世界には、地球を何度も破壊できるだけの、核兵器が眠っているという。
 しかも、簡単に処分できるわけもない核兵器なのだから、
「いったん生み出したものが、どれほどの悪影響を及ぼすのかということを、誰が分かったというのか。それこそ、こんな兵器を抑止として考えた連中のために、犠牲になった人は、それこそ、浮かばれない」
 というものだ。
 そもそも、戦争というものが、その凝縮であり、核兵器はその一つの道具でしかないということに、誰も気づかなかったというのが、愚かだといっても、過言ではないに、違いない。
 あの特撮テレビがあったのが、1960年代後半だった。世界を揺るがしたあの大事件である、
「キューバ危機」
 というのが、起こったのが、ちょうど、1960年代の前半だったのだ。
 あの特撮の話は、あたかも、地球防衛を目的とした、
「破壊兵器の開発実験」
 だったのだ。
「生物が存在しないということで打ち上げた、宇宙空間弾道ミサイルであったが、実際には実験は成功し、科学者が安堵しているところへ、その放射能で突然変異した生物が、復讐のため(?)ということで、地球にやってきた。正義のヒーローは複雑な思いを抱きながら、地球を破壊にきた宇宙生物をやっつけることになる」
 しかし、問題なのは、ここからであった。
 地球防衛軍の隊員などは、その生物は、あたかも、地球を侵略にきた、
「侵略者」
 であるかのごとく、葬りさられたことを、喜んでいる。
 しかも、
「さらに、強力な兵器が必要だ」
 というようなことを、自分たちが相手の星の運命を粉砕しておいて、そんなことをいうのだ。
 だが、そこで、主人公である
「正義のヒーロー」
 は、その状況を憂いて、
「血を吐きながら続けるマラソンだ」
 と言ったのだ。
 科学者たちも、それを聴いて、やっと我に返ったのか、
「地球人というのは、そんなおろかなマラソンを続ける生物なのだろうか?」
 ということで、研究の中止を会議にはかろうということになった。
 もちろん、こんな放送があったからといって、世界から、
「核開発競争」
 というものがなくなったわけではない。
 もちろん、それ以降も、しばらくは、冷戦が続き、さらには、泥沼の、
「ベトナム戦争」
 あるいは、
「アフガン戦争」
 と、米ソは、それぞれで、
「他国の内情に介入することで、結果として、撤兵せざるを得なくなる」
 ということを知るのだった。
 さすがに、時代が進むにつれて、戦争が徐々になくなっていき、まずは、社会主義国が破綻することで、超大国の東側の国が、滅亡したことにより、
「東西冷戦」
 というものが終結したのだが、だからといって、
「世界平和がやってきた」
 というわけではなかった。
 さらに世界は、カオスとなり、もっと面倒臭く、厄介な時代へと入ってきたのである。
 というのも、ちょうど、70年前以上にあった、
「第二次世界大戦」
 が、終結した時と似ているではないか。
 その頃に、東西冷戦という構図が出来上がってきたのであるが、そのための伏線としてあったのが、
「それまで、植民地となっていた国が、宗主国からどんどん独立していった」
 ということである。
 それに乗じて、社会主義国家による、
「共産主義化」
 を目指し、
「共産主義陣営を世界に増やす」
 という工作が、あからさまに行われていた。
 今の時代は、国家間の戦争ではなく、反政府組織の暗躍による、
「テロ」
 というものが蔓延っている。
 独立運動の主流も、
「テロ活動」
 だったので、あたかも、そんな時代だったのだ。

                 世界最後の日

「人間は、死んだらどうなるというのだろうか?」
 よく、アニメや映画などで、
「世界最後の日」
 というイメージのものがあったりする。
 まるで、聖書の中の、
「ノアの箱舟」
 と、
「ソドムとゴモラ」
 の話を組み合わせたような感じである。
 ソドムの村は、完全に、
「無政府状態で、荒くれ者ばかりのいる街」
 になっていたので。
「そこで囚われていた人を助けて、遠くに逃がしておいて、その間に街を破壊する」
 という話であった。
 しかし、その時、助けた人と逃げる際中、助けてくれた人に、
「決して、何があっても、後ろを振り向いてはいけません」
 という、いわゆる、
「見るなのタブー」
 という話をされたのに、音が気になってしまい、結局、後ろを振り向いたことで、
「塩の柱」
 になってしまったのだ。
 この場合の、ソドムの街の悪いところは、
「神を信じない」
「性的に乱れていた」
「貧富の差が激しく、裕福な人は、決して貧しい人を救おうとしなかった」
 という理由が、
「街を滅ぼす大義名分」
 だったのだ。
 その時に、街が滅んだ理由として、
「硫黄の火に包まれた」
 ということになっているが、これは、核爆発をイメージさせるものであった。
 しかも、この時、神と、人間の代表の話の中で、最初に神が、
「50人でも、善人がいれば、その50人のために滅ぼさない」
 と言った。
 そして、代表者が、
「じゃあ、10人しかいなかったら?」
 と聞くと、
「じゃあ、その10人のために、滅ぼすことはしない」
 と言った。
 しかし、結局、善人が10人もいなかったことで、神は、容赦なく、草木に至るまで、すべてを滅ぼすことになったのだ。
 そういう意味では、街を包んだ、
「硫黄の火」
 も怖いが、それ以上に、
「神を怒らせると、どういうことになるか?」
 ということの方が恐ろしいのだ。
 それこそ、情け容赦なく、すべてを滅ぼす。それが、神だったのだ。
 それは、さらに、さかのぼる、
「ノアの時代」
 にも言えることであろう。
 ノアの箱舟の場合は、神が、自分で作った人類の堕落を嘆き、聖地を洗い流すことで、浄化するということを考え、選ばれし、ノアという人物に箱舟を作らせ、40日40夜、洪水の中を彷徨わせ、最終的に、彼らが、人類の祖先ということになった。
 それがノアの話であるが、
「よほど神というのは、人類の悪に対して敏感で、正しい道にないといけないということを説いている」
 ということであろう。
 そんな、
作品名:減算法の都合 作家名:森本晃次