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輪廻転生のバランス(考)

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 という言葉があるが、これも、
「本当はないに越したことはないが、必要となるもの」
 などという意味であり、考えてみれば、
「本当の悪だ」
 とみなす者もいて、その線引きが難しい時もある。
 ということは、先ほどの、
「正反対のもの」
 という理屈から、
「表裏一体のもの」
 とも理解することができる。
 そういう意味では、
「本当に必要なもの」
 あるいは、
「本当の悪」
 と、それぞれ、紙一重で背中合わせなのかも知れない。
 必要悪の中には、
「これって本当に悪なのか?」
 と思うようなものもある。
 たとえば、
「医薬品」
 など、どうであろうか?
「いやいや、医薬品は絶対に必要だから、悪ではない」
 と普通は思うだろう。
 だが、実際はどうであろう?
 確かに医薬品がなければ死んでしまうということは当たり前にあることである。だが、医薬品で助かる人もいれば、下手をすれば、医薬品で、亡くなってしまう人もいる。
 何しろ、
「異物を体内に入れるわけである」
 人間、一人一人個性を持っているわけなので、そもそも、
「万人すべてに、同じように効く」
 などという薬が存在するわけではない。
 下手をすると、
「副作用」
 いや、ワクチンや予防接種ともなると、
「副作用」
 を起こすことも多々あるだろう。
 それが、アレルギーのような、アナフィラキシーショックを起こしてしまえば、
「死に至る」
 というものである。
 そういえば、
「スズメバチに二度刺されると、死んでしまう」
 と言われるが、なぜ、
「二度刺されると?」
 ということなのであろう。
 それは、死に至る原因が、
「ハチの毒によるもの」
 ではないからだった。
 というのも、
「ハチに刺されると、ハチの毒が身体に入ることで、人間は身体の本能で、ハチの毒に対し、免疫という抗体を作る。そして、もう一度刺されると、今度は、侵入してきたハチの毒と、一度できあがった抗体とが副作用を起こすのだ。それが、アレルギー性のアナフィラキシーショックであり、血清を決まった時間までに摂取しないと、命を失う」
 というのが、ハチに刺されたことによる死なのだ。
 つまりは、ハチの毒によって死ぬのではなく、アレルギーによって死ぬことになる。身体の反応が悪い方に働いたというわけだ。この抗体はある意味、人間が自分の身体につくる医薬品のようなものだと考えれば、副作用のある医薬品は、人間にとっての、
「諸刃の剣」
 つまり、必要悪だといえるのではないだろうか?
 さて、他の必要悪というと、やはり、
「本当の悪ではないか?」
 と思うようなものも、あり、実際に、
「本当の悪」
 に近い認定のあるものもあるだろう。
 そのいい例が、
「パチンコ」
 なのではないだろうか?
 そもそも、大きな勘違いをしている人がいるかも知れませんが、基本的に、
「パチンコ・パチスロ」
 というのは、
「ギャンブルではない」
 ということである。
 それは、
「法律的な分け方をすると、パチンコ・パチスロは、ギャンブルではなく、遊戯になるのである。つまり、ゲームセンターの中にあるゲーム機と変わりがない」
 ということである。
「お金に交換できるのだから、ギャンブルなのではないか?」
 ということであるが、それだと、競馬、競輪、競艇などのような、公営ギャンブル扱いにしてもいいはずだ。
 そうならないということは、ギャンブルではないということで、なぜギャンブルではないかというと、
「三店方式」
 というものが使われていて、一種の、
「法の目をくぐっている」
 といってもいいだろう。
 それは、どういうことかというと、
「まず、玉やコインを、計測器を使い、レシートに変える。それを今度はパチンコ屋の受付に持っていって、そこで、景品に交換するのだ」
「何玉で、おかしに交換できる」
 というような、実際の景品に交換する分にはそのままでいいのだが、それをお金にしたいと思うと、
「換金用の景品」
 というものに、交換する。
 今度はそれを、景品交換所というところに持っていって、それをお金に換金するわけだ。
 これを聞くと、
「ほら、結局お金に換金しているじゃないか。これをギャンブルと呼ばずして、何と呼ぶのか?」
 と言われるに違いない。
 だが、言われた人は、ニンマリとして、
「景品交換所が、パチンコ屋が経営しているところであれば、問題なんだけど、そこはあくまでも、景品交換所として独立した経営になっているから、問題ないんだよ。だから、景品でお金を払った交換所は、今度はパチンコ屋に景品を持っていくと、そこで、パチンコ屋が、景品を買い戻してくれるというわけさ。だから、客は、パチンコで儲けたものを、パチンコ屋でお金に換金してもらっているわけではないので、パチンコ屋自体は、ギャンブルの店ではないということになるのさ」
 というのである。
 正直、
「ただの屁理屈なのだ。そこに、別の企業が絡んでいようがどうしようが、換金に変わりはない。だから、今ではそこまではないが、昔のパチンコの景品交換は、分かりにくいところにあり、客が、景品交換所の場所を聴いても、なかなか教えてくれないということがあった。そんな時は、客も気を利かせて、他の景品を手に入れた人の後ろにくっついて行って、そこで確認するという方法を取っていたものだ」
 ということになる。
 それが、パチンコ業界がいうところの、
「三店方式」
 というもので、
「プレイヤーも、パチンコ屋も、景品交換も、すべてが独立した会社」
 というようなイメージを持てばいいのだろうか?
 景品交換所というものが一つ絡むだけで、法を逃れる。パチンコ屋がいい悪いではなく、どちらかというと、
「法というものの抜け目がある」
 ということが、
「本当の悪」
 だということではないのだろうか?
 だから、パチンコ屋というものを毛嫌いする人が多いのだろう。
 しかし、元々は、このやり方を考えたのは、警察だったのだ。
 歴史としては、パチンコの景品交換をタバコで行っていたパチンコ業界であるが、その間に、換金行為を行う仲介者として、
「不法行為を行うことで、利益を得る」
 という連中が出てきて、それが暴力団などの、資金源として使われ出したのだった。
 警察は、
「タバコ専売法違反」
 で検挙していた。
 元々、タバコや塩などは、
「専売公社」
 と呼ばれる、今の、
「日本たばこ産業」
 の前身であるところが、国営として法律で、独占販売が認められていたので、
「他の人間が販売してはいけない」
 ということだったのだ。
 だから、タバコで利益を得ることができなくなったパチンコ屋は。今度は、景品を、チューイングガムや、砂糖に交換したりしていた。
 そのうちに、景品換金利権を巡って、抗争が起こるようになると、警察も黙っていられなくなり、このような、
「三店方式」
 と呼ばれる方法を考え出したというわけである。
 それを考え出したのは、当時の大阪府警の人間だった。
 彼とすれば、三店方式の、景品交換の人間に、障碍者や未亡人を雇い入れることで、
「職のあっせん」