輪廻転生のバランス(考)
それはあたり前のことであり、確実に、江戸幕府の政策に真っ向挑戦するようなものだからである。
当時の幕府は、
「基礎固めに必死で、士農工商の身分制度、改易、武家諸法度などによって、大名を徹底的に従わせる方法」
さらには、
「参勤交代を義務」
とすることで、
「大名の財政を、謀反が起こせないほどに抑える」
という目的があったのだ。
鎌倉幕府といい、基礎を作り上げるには、それくらいのことをしなければ、いけないということなるのだ。
それを考えると、
「江戸幕府の基礎固め」
の時代に、
「キリスト教」
などというのは、あってはならない考えであったのだ。
それだけの大事な時、オランダ人の口車で、最初は、
「ポルトガルを出島に締めだす」
ということに成功したが、誤算は、
「島原の乱」
だったであろう。
それまで、
「踏み絵」
などという政策を使って、キリシタンを根絶やしにしていたが、
「島原の乱」
において、幕府は、キリシタンの恐ろしさを知ることになる。
「あれだけ抑えてもだめなのか」
ということで、
「もう、入ってこれなくするしかない」
ということで、
「貿易はオランダと、出島でのみ行える」
ということにし、
「日本人の渡航を禁止し、さらには、今海外に出ているものも、帰ってくると死罪になる」
ということだったのだ。
だが、これはある意味当たり前のことである。
「キリシタンを伝染病」
と考えるなら、それくらいの措置は当たり前のことである。
何をいまさらビックリすることもあるものかということである。
要するに、
「少しでも異物が侵入すれば、国家の存在が危うくなる」
ということで、地動説も、その理論から弾き出される形になって、敬遠され、処刑されるようなことも、頻繁に起こったに違いない。
それを思うと、そんな国が、どのようになるかということを、いかに考えればいいかということである。
ただ、独自の考え方をすると、ほとんどの人が、
「キリスト教の迫害は、いけない」
と思っているのかも知れないが、
「今の世の中のように、伝染病が流行ってくるとすれば、それは、ある意味、迫害もしょうがないことだ」
といっても無理もないことだろう。
しかも、今の海外から来ている連中を思えば、
「世界的なパンデミック」
がなくても、一歩間違えれば、
「亡国の一途をたどっていた」
といっても無理もないことだったように思う。
というのも、日本に来て、
「爆買い」
をしていったり、夜中歩きまわっていたり、日本人よりも、過激な連中が多かったりする。
政府が、経済政策のために、
「外人どもを受け入れる」
「インバウンドだ」
などということを言い出したから、こんなになったのではないか。
街中のファーストフード、ファミレス、コンビニなど、ほとんどが、外人どもがいて、何とか言葉は通じるが、
「説明が通じない」
などということは、結構あったりする。
もちろん、ちゃんと勉強して、日本の風俗に馴染む、馴染もうとする人も多いのだが、それ以上に、
「日本を舐めている」
という外人が多いのだ。
それこそ、
「キリスト教を広めて、混乱に乗じて、日本に攻め込む」
という戦国時代の、ヨーロッパの国に近いものがあるのではないだろうか?
特に、今の日本は、
「海外から狙われている」
ともいわれている。
「尖閣、竹島を中心に、日本を狙っている国が多い」
という。
今のソーリが、
「防衛費拡大」
などと言っているが、それよりも、
「外人退去令」
でも出す方が最初ではないだろうか?
伝染病が流行した時だってそうではないか。
「水際対策が大切」
と言われるように、危険分子を受け入れるなどという政策をしているから、こんなことになってきているのだ。
特に、
「日本の国土は、そんな連中に買われている」
と言われている。
安い値段で国土の重要な部分を、タダ同然に、海外が買っているのだ。
それこそ、かつての中華民国が、満州事変が起こる前に、
「日本人に土地を売っても、貸してもいけない」
という法律を作り、それを破れば、
「売国奴」
ということで、死罪になったりした時代があったではないか?
それを思うと、それが、どんな時代なのかということである。
本当は日本は、
「防衛費の拡大」
などというものをする暇があれば、
「外国に土地を売ると、せめて、国外追放」
というくらいにしなければいけない。
もっといえば、水際対策で、日本に外人が入ってこないように、鎖国的な政策を取る時期が来たのではないだろうか?
少し大げさになってしまったが、その答えは、
「歴史が出してくれることになるだろう」
ということである。
もっとも、その時には、
「国が滅びていて、すべてが、後の祭り」
ということになっていることであろう。
さて、科学の発達によって、
「宇宙がマルチにある」
という発想を、咎める人は誰もいないだろう。
反対意見は当然のごとくあるのだが、今の段階では、
「どちらが正しい」
ということが言いきれるわけでもない。
それだけ、これからの研究材料ということになるわけで、
その発想が、宇宙というものをどのように見るかということで決まってくる。
だが、
「マルチバース理論」
が証明されたことで、
「自分たちの生活がいかに変わってくるのか?」
ということは正直分からない。
「別に、宇宙が一つであっても、たくさんあっても、別に俺たちの生活には関係ないではないか?」
と言われるのが、おちだといってもいい。
しかし、これはあくまでも考え方であり、
「いろいろな理論。その理論に行き着くまでに考えられるいろいろなことを、突き詰めていくと、そこは、人間の生活に直結するものが見えてくるのではないか?」
ということである。
つまり、今はたくさんの、啓発などや、
「ハウツー本」
などと言われるものが出てきているが、
それが、どんどん発展することで、却って生活に近づいてくることで、逆に、
「人生も幅が広がる」
と言えないだろうか。
つまり、
「周りが広がれば、それだけ考える範囲も広がるということで、柔軟な発想が生き方を充実させてくれる」
というものだ。
ハウツー本などのように、
「たくさんは出ているが、それらのほとんどが、同じようなことしか書いていない」
ということである。
その理論として、
「正悪というものは、完全に別れていて、何が正で、何が悪なのかということは、言葉にすれば、そんなにたくさん種類があるわけではない」
ということになるのだ。
それを考えると、その元々の基盤が増えてくれば、それだけ発想も増えてくるというもので、その発想から、広がってくるものもあるというのではないだろうか?
その考えが、
「マルチバース」
のような。
「多元宇宙」
というものになるのだろう。
こちらは、
「パラレルワールド」
のように、
「同じ人間が存在している」
というわけではなく、別の人間が存在しているという意味で、さらに、
「未知の広がった世界だ」
作品名:輪廻転生のバランス(考) 作家名:森本晃次