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輪廻転生のバランス(考)

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「パラレルワールドの発想こそ、まさにパラレルワールドを証明しているのかも知れない」
 という、まるで禅問答のようなことになる。
 まるで、
「ヘビが自分の身体を、尻尾から飲み込んでいき、最後にどうなるか?」
 という発想であったり、
「合わせ鏡」、
 あるいは、
「マトリョシカ人形」
 などという発想にも結び付いてくるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、特撮であれ、
「宇宙や時間軸などを、単一のものと考えるのは危険なのかも知れない」
 というところまで、発想がいっているのではないだろうか?
 それが、
「パラレルワールド」
 という発想である。
 また、SFの世界には、
「マルチバース理論」
 というものがあるという。
 これは、パラレルワールドが、個々の世界単位であるのに対して、今度は、
「宇宙単位」
 に存在しているという。
「パラレルワールド」
 というものが、
「並行宇宙」
「並行世界」
 と言われるものであるのに対して、
「マルチバース理論」
 というものは、
「多元宇宙論」
 というものだというのだ。
 パラレルワールドが、
「一つのある世界からの分岐して、それと並行して走る世界だ」
 ということなので、基本的に、こちらにいる人間や環境とは同じもので、ただ、別の可能性が存在する、お互いに知らなければ、まったく別の世界といってもいいだろう。
 しかし、マルチバース理論というのは、そうではない。
 我々が一つだと思っている宇宙のようなものが、さらに我々のしっている宇宙の外に存在しているという考えだ。
 つまり、何を示しているのかというと、
「宇宙は無限ではない」
 ということである。
 元々、中世くらいまでは、
「天動説」
 というものが主流で、
「地球の外で、宇宙が回っている」
 と信じられていた。
 それをガリレオが
「地球は回っている」
 と言い出したことで、大きな問題になった。
 それはそうだろう。あの時代にまったく、普通では考えられないようなことをいうと、たぶん、
「世間を惑わす、異教徒のような考えだ」
 ということになり、特に、支配階級の人間にとっては、
「反乱分子「
 にしか見えず、その考えを徹底的に否定することになるのではないだろうか。
 特に、戦国時代に入ってきてからの、
「キリスト教」
 というものに対しての考え方が変わっていったのも、当然といえば当然であった。
 そもそも、当時の時代というと、ちょうど、
「大航海時代」
 と言われる時代だった。
 スペイン、ポルトガルという国を中心に、世界に航海で出てくるというもので、
「アメリカ大陸の発見」
「喜望峰の発見」
「東洋文化に触れる」
 ということで、世界というものが、どんどん見せてきたのだ。
 そんなヨーロッパの国が、アジアや日本に渡来してくる。
 日本でも、鉄砲というものが伝来し、さらに、キリスト教が入ってくる。時代はちょうど、日本では戦国時代。
「鉄砲というものが、戦国の武器の転換を余儀なくさせる」
 ということで、薩摩藩や、いろいろな藩が鉄砲を新兵器として、重宝するようになると、戦争の在り方も、城も変わってくる。
 それは、近代戦層にも言えることで、
「新兵器の出現が、戦争を変えていく」
 というのは、近代兵器によって、大量殺戮が行われた現代に言えることである。
「時代は繰り返す」
 というが、まさにそのことなのだろう。
 戦国時代に初めて伝わった、
「キリスト教」
 というのは、最初、織田信長によって、奨励された。
 もちろん、
「政治には、口を出すな」
 というのが、条件であり、信長の目的は、
「外国と商売をすることによって、利益を得る」
 というものである。
 当然、キリスト教を奨励すると、南蛮文化のいいものが手に入り、儲けることができるのだ。
 それにより、信長の本当の目的は、
「儲かった金で、鉄砲を買う」
 ということであった。
 彼のスローガンである、
「天下布武」
 というのが、
「武力を持って天下を掌握する」
 ということなので、それに合うというわけである。
 もっといえば、
「あれだけ群雄が割拠し、時代が荒れてくると、武力がなければ、天下を掌握することはできない」
 ということである。
 いくら天下を取ったとしても、絶対的な力、つまりは軍事力を持っていなければ、いつ、とってかわられるか分からないということになるのだ。
 それが戦国時代というものであり、そんな人間でなければ、本当の戦国を辞めさせることはできないということだ。
 だから、
「天下布武」
 というものの、最終的な目的は、
「戦国の世を終わらせて、恒久平和というものをもたらす」
 ということであったのだろう。
 そのために、信長は、
「楽市楽座」
 に見られるような商売を奨励した。
 そのため、キリスト教の布教も許すことになるのだ。
 しかし、実際に許してしまうと、キリスト教はどんどん入ってくる。
 信長が、
「南蛮人の本当の目的」
 というものをまだ知らなかったのではないだろうか?
 東南アジアなどの国では、キリスト教が入ってきて、国内で、布教活動が起こる。
 そして、それに同調して、国内が混乱する。
 それによって、混乱した国内に、それを口実に軍を進めて、その国を征服し、植民地化しようということであった。
 それを、果たして信長が知っていたのかどうかであるが、知らなかったのかも知れない。
 なぜなら、信長は、宣教師たちの中でも、一人の男を重用し、自分のブレーン、あるいは、相談役としていたのである。
 それが、ルイスフロイスであった。
 ただ、これは皆がやっていることかも知れない。
 家康だって、ウイリアムアダムスを自分の相談役として、重用していたではないか。
 家康は、必死になって、幕府の財政の基礎を作ろうとしていたのだろう。それが、彼の目的だったのだ。
 そんなキリシタンを送り出した。スペインやポルトガルであったが、なぜか日本を植民地にしようというところまではいかなかった。
 これは想像であるが、
「彼らの軍隊では、日本の群雄割拠に立ち向かうことはできなかったのではないだろうか?」
 ということである。
 つまり、日本の戦国時代は、それだけ、本当に、
「群雄が割拠している」
 ということであり、
「分裂していて、これだけ均衡が取れているのだから、団結してくると、とてもではないが、太刀打ちできない」
 と思うのも当たり前で、それだったら、あとは、何とか、貿易で、少しでも、儲ける方を考えた方がいいと思うのも無理もない。
 少なくとも、
「他国の介入をさせたくない」
 というのが、本音だろう。
 それが、江戸時代の、
「オランダ」
 という国の考え方であり、オランダは、
「スペインやポルトガルなどの、野蛮な国では、オランダはないのだ」
 ということを訴えていて、
「オランダ以外の国と貿易をすると、キリシタンが増える」
 ということを将軍に吹き込んでいた。
 将軍として、怖いのは、
「デウスの神が、将軍よりも、さらには、天皇よりも偉い」
 という考えのキリスト教というものの存在が許せないのだろう。