輪廻転生のバランス(考)
普通なら、国際問題になり、戦争になっても、仕方のない自体になるのではないだろうか?
しかも、宇宙というものをまったく知らない地球人なので、ひょっとすると、
「宇宙連邦法」
というような、地球における、
「国際法」
のようなものが存在し、
「漂流民の殺害は、宣戦布告とみなす」
ということであれば、母星から攻撃を受けても、文句がいえないということであれば、どうだろう?
確かに相手の母星は、すでにないのだから、戦争になることはないかも知れない、
しかし、連邦が存在すれば、この地球の行為は、
「犯罪者として罰せられるに値する」
ということで、他の星から攻撃を受けることになるかも知れない。
ただ、それは、
「宇宙の法律を知らなかった」
ということで片付けられる問題であろうか?
地球においても、そうではないか。
もし、国家間でこんなことがおこれば、まず間違いなく、国家間が緊張し、まずは外交で何とかことを収めようとするが、できなければ、戦闘状態になるというのは、当然のごとくということになるであろう。
そんなことは分かっているはずなのに、その場合、地球はどうするだろうか?
宇宙連邦に従うか、あくまでも、敵対して、戦闘をするか。
少し事情は違うが、
「世界情勢から孤立し、自給自足を選択し、独立国家として生きていく」
という考えになるとすれば、それは、かつて、
「大東亜戦争に入り込んでいった、大日本帝国のようだ」
と言えるのではないだろうか?
たぶん、日本国民は、宇宙連邦から地球が裁かれる状態になれば、
「独立を勝ち取るために、闘う」
ということを選ぶのではないだろうか?
そうなると、あの
「大東亜戦争を引き起こした大日本帝国」
というものが間違っていなかった。
つまりは、あの時代の反省などしなくてもいいということになるだろう。
ただ、そうなると、今まで教わってきたことが、すべてウソのようになってしまう。
そういう意味では、こういう、
「他愛もない子供番組ひとつ」
が、国家の体制や、これから国家を担う子供たちに与える影響がどうなるかということを考えているのだろうか?
そんなことを考えていると、
「子供番組一つをとっても、バカにできない」
と言えるのではないだろうか?
話は逸れたが、
「怪獣が出てこない特撮番組は、結構ストーリー的には考えられていた」
と言ってもいいだろう。
たとえば、宇宙のどこかに、
「ロボットに支配される星」
というものがあったり、
「乱れ切った地球を侵略するのではなく、この宇宙から葬り去るために、大陸間弾道弾を打ち込んでくる星がある」
というような、理不尽な理由で、地球を壊そうとする宇宙人がいるのだが、そもそも、それだけ地球の風紀が乱れているということを言いたいのではないだろうか?
ということであった。
そんなSFであるが、ブームという意味でも、以前から研究されているものに、
「マルチバース理論」
であったり、
「パラレルワールド」
と言われるものが考えられているという。
どちらも、今まで常識とされてきた。
「宇宙は一つであり、その中で展開されているものは、一つでしかない」
という考え方がある。
それを、根底から覆すと言われるのが、この、
「マルチバース理論」
であり、
「パラレルワールド」
であった。
ちなみに、
「パラレルワールド」
という発想は、
「タイムパラドックス」
というものへの、理由付けとしても考えられている。
そのそも、タイムパラドックスという発想は、
「タイムマシンの開発において、一番ネックになっているもの」
ということであり、
「タイムパラドックスを理論的に解決できなければ、タイムマシンの開発は永遠に及ばない」
というものであった。
つまり、たとえば、
「自分が、タイムマシンを開発し、過去に行ったとしよう。すると、そこにはまだ生まれていない自分の親がいたとして、自分が過去に行ってしまったことで、歴史に歪が発生してしまい、過去が変わることで、両親が結婚しないという歴史に塗り替えられるとどうなるだろうか?」
ということである。
「生まれてこないのだから、自分がタイムマシンを作ることもないし、過去に行くこともない。そうなると、歴史は元に戻り、自分が生まれてくる。生まれてくると、タイムマシンを作り、過去に来て、過去の歴史を変えてしまう」
ということを考えていると、
「どっちの世界が正しいのか?」
ということになり、
「過去に戻って歴史を変えると、元の時間に戻っても、そこは、変わってしまった歴史が織りなす世界になっていて、世界がどうなっているか分からなくなる」
ともいえる。
だから、昔のSF作家だったり、研究者の中には、
「過去に行って、過去の歴史を変えてしまうと、その瞬間に、ビッグバンが起こり、宇宙全体が消滅してしまう」
という、とんでもない発想をする人まで出てくる始末であった。
そんな時に考えられたのが、このパラレルワールドという発想だった。
「パラレルワールド」
という発想は、実は、この
「タイムパラドックスへの証明」
ということのためにだけ考えられたものではないかも知れないが、これらの発想というのは、他の証明にも使えるかも知れないというものだった。
この発想は、
「同じ次元で、まったく同じ世界が、宇宙のどこかに存在しているというもので、そこには、こちらの世界とまったく同じ情景の、同じ人間が存在している」
というものであった。
立場の違いや何かは、研究者によって違っているものなのかも知れないが、
「同じ世界が、別の宇宙にある」
という発想は、パラレルワールドのように、
「過去を変えてしまうと、未来が変わってしまう」
という理屈を違う形で証明するものだったのだ。
というのも、
「この考え方が、揺るぎのないもので、鉄板だからこそ、この世に存在しているものを信じることができる。そのことで、全体の意思の疎通が図れているといっても、過言ではないのではないだろうか?」
という考えが生まれてくるのだった。
ということであるが、この
「パラレルワールド」
という発想によって、
「もし、過去が変わってしまったとすれば、その過去は、パラレルワールドの過去であって、本来の未来が変わるということはありえない」
という、ある意味、
「かなり強引な発想」
といってもいいのではないだろうか?
つまり、
「パラレルワールドの発想は、最初からあったわけではなく、タイムパラドックスを証明するためだけに考えられたことだ」
ともいえるかも知れない。
しかし、それでも、パラレルワールドという発想には、
「かなりの柔軟性があり、何もタイムパラドックスという発想からだけしか、考えられないものではない」
ともいえるのではないか。
だから、今回は、
「タイムパラドックスの発想から生まれただけであり、これがなかったとしても、どこかから湧いてくる発想だった」
と言えるのではないだろうか?
それを考えると、
作品名:輪廻転生のバランス(考) 作家名:森本晃次