輪廻転生のバランス(考)
そんな時、近くの子供が、おもちゃを壊しているのを見た。それを見ても、親は黙っている。
「ああ、俺たちの子供の頃は、よく怒られたものなんだがな。時代が変わったのだろうか?」
と感じるのだった。
ただ、最近のおもちゃというのは、わざと壊れるようになっているのもあるようだ。もちろん、
「ものによって」
ということなのだろうが、
「壊しておいて、後から再度組み立てられることで、何度も楽しめる」
ということなのかも知れない。
「そういえば、プラモデルというのも、そういうものではなかったのだろうか?」
と考える。
ここに日下部恭三という男がいるが、彼は、齢40歳、
「いよいよ大台に乗った」
と思っているが、そんな彼の子供の頃も、プラモデルが流行っていた。
玩具に限らず、
「ブームというものは、周期的にやってくるものだ」
というものであり、
「数年流行れば、そこから、また10年ほどの黎明期があり、またそこから流行り出すものではないか?」
と言われている。
だから、そのブームに、
「年齢向け」
であったり、
「その年齢に一定の幅」
というものがあったりすれば、
「ブームというものはあくまでも自分の時代だけで、ブームが繰り返されるという意識はないのかも知れない」
と思うかも知れない。
だから、気が付けばブームになっていたとすれば、それは、
「巡ってきた周期の中の、一介」
ということになるのを、自覚していない証拠だという。
そういう意味では、プラモデルというのも、何度かの周期を持った玩具だといえるのでではないだろうか?
最初のブームというと、たぶんであるが、ミリタリー関係のプラモだったのかも知れない。
戦車であったり、戦艦群、戦闘機など、それも、第二次大戦中の兵器である。第一次大戦中というと、ちょうどその頃に開発されたものが多かっただけに、本当の書記の兵器というかんじが否めない。特に戦闘機などは、その傾向が強い。それでも、当時の兵器というと、今だったら、
「クラシカルなレトロ感があって、リアルさを感じさせる」
というものであろう。
その次のブームというと、
「特撮ヒーローもの」
いわゆる、
「怪獣ブーム」
と呼ばれた、時期だった。
時代としては、怪獣ブームは、
「空前の大ヒット」
という雰囲気があったが、実際には予算ギリギリだったようで、怪獣の着ぐるみなど、「以前使った怪獣のぬいぐるみを改造して、作り替えている」
などという話をよく聞いたものだ。
だから、
「あの怪獣に、牙と羽根をつければ、あの怪獣になる」
などと、子供たちが勝手なことを言っているようだったが、実は、実際に的を得ていたというわけである。
しかも、予算が本当に足らなくなると、今度は、
「テーマに逆らう」
というような形でいくしかないようだった。
というのも、元来が、
「特撮ヒーローもの」
ということは、テーマとしては、
「ヒーローである宇宙人が、地球を壊そうとする怪獣や、侵略するためにやってきた宇宙人をやっつける」
というものなのに、予算の関係で、
「怪獣が出現しない回が、数回続く」
などということになる。
子供たちは、
「怪獣が出てきて、それを最後にヒーローが必殺技を使うことでやっつける」
というシーンを見ることで、胸をスカッとさせるということを楽しみに番組を見ているのに、それがないというのは、まるで、
「水戸黄門を見ていて、印籠を出すシーンがなく、ただ、助さん格さんが、悪を懲らしめるための殺陣シーンを繰り広げるだけ」
ということになる。
実際にそんなものを見て楽しいだろうか?
確かに、殺陣シーンだけでも、時代劇を見ているという意味では、楽しいのだ。しかし、視聴者は、
「水戸黄門」
という番組を見ているので、クライマックスで、印籠を出して、それを見て、悪代官や悪商人が、その印籠にひれ伏すというところを見ずして、
「何が水戸黄門だ」
というのだということである。
特撮ヒーローものにおいても、同じことであり、
「確かに怪獣が出てこないとはいえ、ストーリー的にはそれだけ厳選されたものなのだろうが、それは、大人が見て感動するストーリーであり、あくまでも、怪獣出現から、ヒーローが必殺技で最後やっつけるというシーンがなければ、すでにその番組は、子供向けではない」
ということになってしまうだろう。
子供たちにとって、
「怪獣が出てこない特撮ヒーローもの」
というのは、
「印籠を出さない水戸黄門」
と同じようなものなのだ。
「では、水戸黄門では、絶対にそんなことはしないのに、特撮ヒーローものでは、いくら苦肉の策とはいえ、できるのか?」
ということであるが、もちろん、本当の予算の問題もあるのだろうが、
「子供だから騙せる」
という思いがあるのか、
「それだけ、ストーリーの面白さに自信がある」
ということなのか?
ということであろう。
確かに、脚本家も、自画自賛したくなるようなストーリー展開なのかも知れないが、やはり子供に受け入れられなければしょうがない。
ただ、そもそも、
「特撮ヒーローもの」
というのは、若干強引なストーリー展開の時もあった。
内容として、
「ある時、宇宙から飛来するものがあり、地球に降り立った。それが宇宙人であり、話を聴くと、自分たちの星がなくなったので、帰るところがなくなり、宇宙船が故障したので
数理に立ち寄った」
というところから始まる。
地球人は彼らを侵略者として見るか、漂流とみるかで意見が分かれたが、とりあえず話し合いをすることになった。
話し合いは、決裂し、地球側が核ミサイルを宇宙人に撃ち込むが、相手は死なない。そこで、
「我々は地球を頂く」
ということで、地球の破壊を始めたが、そこでヒーローに変身した宇宙人が、その侵略(?)宇宙人を必殺技でやっつける。
というストーリーだった。
しかも、その時のタイトルに、
「侵略者」
という文字が書かれている。
正直、子供の頃に再放送で、この話を何度も見たが、何か納得のいかないところがあった。
それはおちろん、
「彼らが本当に、侵略者なのか?」
ということであった。
ストーリー展開からいけば、彼らは、最初何も悪いことをしていない。むしろ、
「帰る母星がなくなった」
という、いわゆる、
「難民」
ではないか。
確かに、日本という国は、
「難民を受け入れない」
という伝統のようなものがあり、ずっとそうしてきた。
だが、子供のドラマにおいて、
「帰る星もなく、宇宙船が故障したので、地球にある鉱物か何かが修理に必要なものなので、一時的に地球に滞在し、それらを採取させてもらい、宇宙船の修理が完了すれば、さっさと地球から退去するつもりではなかったか?」
ということである。
それがたまたま地球人に見つかってしまったことで、侵略者呼ばわりされて、攻撃されたのでは溜まったものではない。
もし、海岸に難破船から、救命ボートで命からがら逃げてきた外人を、
「侵略者」
として、処刑などするだろうか?
作品名:輪廻転生のバランス(考) 作家名:森本晃次