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輪廻転生のバランス(考)

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「長編にすると、ダレる」
 という意識が強く、特に好きな作家、つまり、
「自分が、奇妙なお話を書きたいと思わせる作家」
 というのが、短編を得意とし、その作風や作法というものに、共感しているからだった。
 その作家の特徴として、
「最後の数行に、大どんでん返しを持っていき、読者をあっと言わせる」
 というやり方を、まるで、
「自分のバイブル」
 として、啓発する気持ちになっていたのだった。
 SFという発想は、ベタな、
「タイムスリップもの」
 から、マルチバースや、タイムパラドックスなどに派生する形のもの。
 そして、もう一つの巨頭として考える、
「ロボットもの」
 であった。
 このロボットものというと、いわゆる、
「ロボット工学三原則」
 などを考えさせる元となる、
「フランケンシュタイン症候群」
 の考え方に帰属する話であった。
 ただ、SFというのは、基本的に、
「ありえない」
 という話に話が行き着いてしまうことが多い。
 というのは、
「タイムスリップ」
 にしても、
「ロボットもの」
 にしても、それぞれに、
「タイムパラドックス」
「ロボット工学三原則」
 さらに、それに繋がる、
「フレーム問題」
 などが絡んでくることで、これだけ科学が発達しているのに、
「タイムマシン」
 はおろか、
「人型の、自分で考えて行動する」
 という人工知能を持ったロボットの開発ができていないのだ。
「ロボットというものの、外観」
 を開発することはできても、肝心の人工知能ができないのだ。
 それが、ロボット工学三原則であり、フレーム問題であった。
 そこに大前提としての、フランケンシュタイン症候群というものがある。
「理想の人間をつくろうとして、怪物を作ってしまった」
 というお話から派生した考えだが、それをなくすために考えたのが、
「人工知能に、三原則を織り込む」
 というものであった。
「ロボットは、人を傷つけてはいけない」
「ロボットは人間のいうことを聞かなければならない」
「ロボットは、自分の命を自分で守らなければいけない」
 という、ざっくりとした考えである。ただ、ここには、絶対的な、
「優先順位」
 というものが存在し、例えば、
「人間のいうことを聞かなければいけないが、それは、人を傷つけてはいけないという大前提の下でしか通用しない」
 というような発想である。
 このパターンの可能性を辻褄を合せて開発しないといけないというところに難しさがある。
 そして、ここで問題になる、
「フレーム問題」
 というのは、
「次の瞬間には、果てしない可能性が広がっている」
 という前提があるとして、
「果たして、ロボットに、その無限の可能性を整理できるだけの知能を植え付けられるだろうか?」
 ということである。
「その場合のまったく関係のないことを考えても仕方がないが、関係があるかないかということを、判断できるだろうか?」
 この問題は、
「すべての可能性をパターン別に考えればいいのではないか?」
 ということであるが、これも難しい、いや不可能といってもいいものであり、なぜなら、
「無限のものをいくらパターンで区切ったとしても、結局、無限にしかならない。つまり、無限は何で割っても、無限でしかない」
 という数学の計算方法からも、不可能だと分かるのだ。
 だが、この考え方を、人間を中心とした生物は、それを無意識のうちにできている。たぶんそれが、
「本能」
 というものなのだろうが、この考え方をロボットの人工知能にいれることができるとすれば、
「ロボットは完成する」
 といってもいいだろう。
 そこで考えられるロボットとして、
「サイボーグ」
 つまり、
「改造人間」
 というものがあれば、
「どちらの問題も解決されるのではないか?」
 ということである。
 というのは。
「身体は、人間よりも強靭な、ロボットなのだが、人工知能の部分を、本当の人間の頭脳を入れることができれば、三原則にも、フレーム問題にも、対応できるロボットができるのではないか?」
 ということである。
 だが、日下部は、
「無理だろうな」
 と思っていた。
「フレーム問題は解決できても、三原則は難しいだろうな」
 ということであった。
 そもそも、人間そのものが、
「戦を好み、自分の欲のためには、平気で人を殺す種族ではないか?」
 ということである。
 したがって、サイボーグであっても、
「人間には及ばない」
 という意識を持っていないと、結局、フランケンシュタインのように、
「俺が、この世界の支配者になることができる、頭脳と、力を持っている」
 と考えたとすれば、今度は、仲間のロボットを量産し、自分を頂点とした、
「絶対王政」
 のような世界を作り上げ、
「人間なんか、奴隷にしてしまえ」
 ということで、完全に、
「フランケンシュタイン状態」
 になってしまうことだろう。
 その考えが、
「結局どこで区切って考えたとしても、結果は同じにしかならない」
 ということで、逆に小説のネタとしては、これほどいくつも、
「矛盾」
 という発想をいくつものパターンに当てはめさせることで、
「小説ほど、無限の可能性のあるものではない」
 と言えるのではないだろうか?
 それを、日下部はずっと趣味でやっていたのだ。
 だが、大学を卒業してから、小説を書くことは辞めなかったのだが、その間に、
「もう一人の自分」
 という性格が宿っているのを感じた。
 その性格というのが、
「金儲けに走る」
 という性格だった。
 最初は、別に違和感はなかったのだが、しばらくして、
「俺って、こんなに金持ちになりたいなんて思っていたんだっけ?」
 と感じることであった。
 確かに、お金があれば、自分の小説を本にして売ることだってできるだろう。ただ、だからと言って、もし本当に金が手に入れば、急にもったいなくなり、使わずに、貯金をすることになるかも知れない。
「この世の中、金さえあらば何でもできる」
 という考えと、
「政府があてにならないので、自分の身は自分で守るために、貯金をする」
 という両方の考えがあるのだった。
 ただ、
「金はいくらあってもいい」
 という考えは絶対に持っていて、それだけに、
「俺っていつから二重人格になったのだろうか?」
 と考えるようになっていた。
 それと並行して、まわりの友達からも、
「お前は変わっちまったな」
 と言われるようになっていた。
「どこがなんだよ?」
 と逆らってみたくなるのも当然というもので、
「お前は、何か裏表があるんだよな。前は表はすべてだったのに」
 という。
 どうやら、日下部の意識していないところで、友達を傷つけていたようだ。
 本人としては、
「なるべく日下部を傷つけないように」
 ということで、自分の留飲を下げるという目的で、
「これでも最低限なんだけどな」
 と考えながら、話をするのだった。
 だが、日下部本人には、何のことだか分からない。
「要するに、二重人格ということか」
 と気づくまで、少し時間が掛かった。