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輪廻転生のバランス(考)

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 友達も、さすがにそこまでは口にしなかった。本当であれば、友達の優しさに感謝すべきなのだろうが、
「なぜ言ってくれない」
 とばかりに、文句に繋がってしまうのだった。
 だが、今回の事故で、それ以外の記憶があいまいになってしまっていたのだが、逆にそれは、
「それまで分からなかったことが表に出てきて、逆に表にあったものが、裏に行ってしまったのではないか?」
 と考えた。
 その時一緒に考えたのが、それだった。
 いつもであれば、このことを意識はするが、すぐに消えてしまうはずのことなのに、今回は消えることはなく、元々の自分も戻ってくる様子はなかった。
「頭を打ったのだろうか?」
 と考えると、それに違いはないだろう。
 特に、昔のことを思い出そうとすると、頭が痛くなってくるのだ。
 それは、手で頭を抑えたくなる感覚で、テレビなどで記憶喪失になった人が記憶を思い出そうとして、
「ああ、頭が痛い」
 といって、呻くような感覚に似ている。
 もちろん、こんな形の頭痛は初めてなので、テレビの様子と同じものなのかなど分かるはずもない。
「記憶を失っている」
 という感覚も、あくまでも、自分が考えているだけのことであって、
「それ以上でも、それ以下でもない」
 という感覚である。
 日下部は、
「本当に自分は自分なんだろうか?」
 というような、禅問答に似た感覚を覚えていた。
 それこそ、
「ニワトリが先かタマゴが先か」
 という、何かのパラドックスを考えているように思うのだった。
 ただ、日下部は、そこで、夢を見た気がした。
 その夢というのは、死んでしまった自分の肉体を漠然の眺めている姿だった。
 だが、それは、自分が幽霊になったわけではなく、
「誰かの身体に乗り移っている」
 という姿であった。
「死んでもいないのに、どういうことだ?」
 死んでもいないというのは、あくまでも、
「三途の川を渡り、そこで裁定を受け、人間に生まれ変われるというところに行ったわけではない」
 という意味である。
 日下部はあくまでも、
「人間が生まれ変わるためには、必ず死後の世界を経由する」
 という考えの元だった。
 ただ、その中で、一つ気にしていたのが、
「死んだ瞬間に生まれた人の魂に入り込む」
 という考え方であった。
 ただ、この考え方になると、
「死後の世界」
 という概念を完全否定することになる。
 あるなしの問題ではなく、
「生まれ変わるのに、死後の世界に行くという発想はなくなる」
 ということである、
 ただ、この考えでいけば、前述のように、
「生まれ変わる人間がどんどん少なくなっていき、人間はほとんど、いなくなってしまう」
 ということになる。
 しかし、どのように、その帳尻を合わせるかと考えた時、このように、
「死んだ瞬間に、生まれた人間に入り込む」
 ということでもないと、辻褄が合わなくなる。
 ただ、その時に弾き出された人がどこに行くかということは、また別問題であるが、それを考えた時、
「生まれた時の記憶がない」
 というのは、
「この辻褄合わせのために必要になるからではないか?」
 と考える。
 そうなると、
「意外と、死後の世界も、存在していて、しかも、生まれた人に死んだ人が乗り移る」
 という考えの両方がうまく噛み合うというのが、一番正しいということなのかも知れない。
 そんなことを考えていると、今度は、
「本当にそうなのだろうか?」
 とも思う。
 聖書における、
「ノアの箱舟」
「ソドムとゴモラ」
 のように、神は、
「人類の滅亡に近いことをやって、浄化を考えている」
 そうなると、
「いきなりの生まれ変わりではなく、決まった生まれ変わりの中で、人間が、どんどん少なくなっていくのを正しい」
 と考えているのかも知れない。
 つまり、
「人間に生まれ変われないのは、人間が悪いわけで、それがうまくいかないということを誰が非難できるだろう。つまり、滅亡するなら、人間が悪いわけで、神も、自らの手を下さなくてもいい、この考えがある意味、一番自然ではないだろうか?」
 だとすれば、この場で、自分が死ぬシーンを見ている自分の魂は、誰かのところに、意識を持たずに入ってしまうのだろうか?
「どうせ意識がないのだから、神にとっては、どっちでもいいことなのかも知れない」
 と考える。
「となると、この自然の流れを作ったのが、本当に神なのか?」
 ということになり、人間が神と言っているのは、
「ひょっとすると、人間の頂点にいる人で、その人が、人間という、サイボーグを操っているのかも知れない」
 人間というサイボーグはいずれ、死んだら、創造主である、
「人間の神」
 に奴隷のごとく扱われる。
 しょせん、人間が人間を扱う世界なのだ。
 そんなことを考えると、目が覚めた時、そこにいるのが、田所であり、先ほどまで田所が考えていたことが乗り移ったようだ。
「本当に、似たようなことを考えていたのか、それとも、乗り移った時に、っ記憶がリセットされたのか分からないが、命が続いていると思ってはいるが、人間は入れ替わっている」
 ということもありえるのだ。
「こんな考えの転生だって、あってもいいだろう」
 これを考えたのは、
「果たして神か?」
「人間の神か?」
 それとも、
「それ以外のモノなのか?」
 誰にも分かるはずがないだろう……。

                 (  完  )
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