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輪廻転生のバランス(考)

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 もちろん、記憶も何もかもリセットされるというのは、普通の死後の世界を経由するのと同じであるが、場合によって、なぜそういうことが考えられるかというと、
「死ぬことが決まっている人は、最初から、死の世界には分かっている」
 ということである。
 分かっているから、死後の世界にいざなうことができるのであり、分かっているというのは、
「寿命に寄る大往生」
「病気によるもの」
「不慮の事故」
 と呼ばれる、一種の運命と呼ばれるものだけだということだ。
 しかし、それ以外、例えば、
「自殺」
 というのは、人間の頭の中で考えていることだから、神には分からない。
 ということだとすると、
「死後の世界の事情」
 ということを考えると、この考え方から、
「自殺は許されない」
 というのも分かるというものである。
 要するに、自殺をされてしまうと、せっかく、予定のうちの一人として確定しているものが狂ってくることになる。
 もし、自殺をした人間は、うまく、同じ時期に生まれることになっている人間の魂に入り込めれば、生まれ変われるが、それができない場合は、彷徨うことになる。
 逆に、うまく生まれ変われるとすると、今度は生まれてくる人間に、
「生まれ変わり」
 として入るはずの人間が、
「路頭に迷う」
 ということになってしまうだろう。
 どちらにしても、
「自分勝手な自殺」
 というものは、死後の世界の都合からいっても許されないし、入り込めない魂がどこかに残ることになるのは、あってはならないことなのだ。
 と考えると、
「自殺を許さない」
 という理屈が分かるというものだ。
 どんな理屈があったとしても、自殺を許す、許さないというのは、どこの宗教の考え方でも、大なり小なり、
「許されることではないのだ」
 ということになるであろう。
 それが、
「宗教における、自殺を許さない」
 という概念であるとすれば、
「理屈に合っている」
 と言えるのではないだろうか?
 人間というものと宗教の結びつきというのは、そういうものなのかも知れない。
「確かに、自分は宗教というものをあまり信じないし、正直怖いという感覚も結構強く持っている」
 と言えるだろう。
 しかし、辻褄が合っていると思えることを否定もできない。
 逆にこの発想が、
「宗教を怖がっている」
 と考えると、複雑な心境になるのであった。
 宗教という意味で、
「もう片方」
 ということで、鑑定を意識していた日下部恭三も、実は、この病院の中にいた。
 彼に、限らず、この病院にいる人たちは、大きな爆発に巻き込まれた人たちだった。
 何がどうなったのかは、今警察が調査中であったが、そもそも、このあたりは人通りが少なかったので、
「この程度で済んだ」
 といってもよかったのかも知れない。
 だから、もっと人通りの多いところでは、たくさんの救急病院が埋まるほどの大事故だったのだろう。どうやら、パニックなのは、この病院だけのようだ。
 ただ、この病院だけで賄えない患者も、一旦ここに運び込まれてから、病院を転移させられる人もいるようだ。そんな人は、若干の怪我程度の、軽症の人なのだろう。起き上がったり自分で歩ける人は、軽症とみなされたに違いない。
 病院内は、警察、マスゴミなども来ていて、完全なカオスと化している。こんな状態であれば、変に起き上がると足手まといになるだけなので、おとなしくしているしかなかったのだ。
 そもそも、起き上がれるわけもない。身体には応急手当として、包帯がまかれ、身動きができない状態だった。まるで、芋虫のような自分を、
「情けない」
 と思うのも、動けないだけにしょうがないことであった。
 それは、日下部も田所も同じだった。
 二人は、ちょうどその時、隣のベッドにいるようで、偶然、同じ時間に目を覚ましたようだった。
 カーテンを最初に開けたのは、日下部のようだった。
「俺は一体、づしたというのだろうか?」
 と、日下部は、そういって、自分の身体を見つめていた。
 最近の日下部は、自分が、
「金の亡者になりそうで、怖い」
 と感じていた。
 何に対して金の亡者なのかということを忘れていたが、少しずつ意識が戻ってくると、
「ああ、鑑定団をよく見ていたんだ」
 という意識が最初によみがえった。
 そして、鑑定団を見ているうちに、自分の考え方が、
「唯物」
 というものに、造詣を深めてきたという意識があった。
 だから、
「何かを創造する」
 というものに。意識が強まっていたのだ。
 そう考えると、今日あの場所を歩いていたのは、ある組織に、何かを依頼しに行こうと思っていたのだが、それが何なのかということが意識から消えているようだった。
 頭の中に残っているのが、
「必要悪」
 というものだった。
 それを考えた時に、最初に浮かんでくるのが、
「パチンコ・パチスロ」
 などの、
「三店方式」
 だった。
 それの良し悪しに関しては、日下部は自分の意見を持っていない。実際に、
「一度も行ったことがない」
 というわけではないのだが、その三店方式というものの概要と、
「どうしてできたのか?」
 というあらましを知っていたので、どうしても、
「悪」
 だとは思えなかった。
 すると、次に考えるのが、
「必要悪」
 というものだった。
 そう考えると、世の中で、
「必要悪」
 だと言われているものの、理屈が分かる気がしてきたのだ。
 いわゆる、
「反政府組織」
 と言われる、
「暴力団関係」
 というものも、ある意味で、
「必要悪」
 なのかも知れない。
 もし、組織がなければ、危険な連中が、単独で世に蔓延ることになるだろう。だからと言って、許せる範囲と許せない範囲がある。
 一番の恐ろしさは、
「まったく関係のない人たちの自由を奪うことがある」
 という時である。
 自分たちの資金源のために、薬物を利用するのに、
「中毒者を増やす」
 というやり方は、とても容認できるものではない。
 そんなことを考えていると、どこまでの許容があるのか考えると、なかなか難しいところがあるのだ。
 そんな彼が、今日行こうとしていたところがどこなのか、分からないでいると、まわりの喧騒に気づくようになった。
 日下部という男の性格的なところとして、
「一つのことに集中すると、まわりが見えなくなる」
 というところであった。

                 大団円

 彼は、学生時代に、趣味で小説を書いていた。
 というのも、
「文芸サークル」
 に所属していて、そこで発行される機関紙に、自分の小説が載ることが嬉しくて、学生時代は、アルバイトをしては、サークル代に充てていた。
 アルバイトと、学校の勉強以外では、ほとんどを小説執筆にあてていた。
 彼の書く小説というのは、SFのようなものであったり、
「奇妙な話」
 さらには、
「ミステリー系」
 と呼ばれるものが多かった。
「奇妙なお話」
 としては、ジャンルとしては、
「オカルトなのではないか?」
 と思い、ジャンルをオカルトとしていたが、それは、都市伝説のようなものであったりする話が多く、短編が多かった。