輪廻転生のバランス(考)
「どこかの知らない世界にいた?」
といってもいいかも知れない。
そういえば、昔見たドラマの中に、
「交通事故に遭った人が、ちょうど生死の境をさまよているという状況の時、夢で、大きな川を渡ろうとしていた。手には、六文銭が握られていて、それが、私朕であるということだったのだ」
そこまでは、容易に想像がついた。
その男は、死んでしまうところで、三途の川の渡し賃である、いわゆる、
「六文銭」
を持っていたということだ。
六文銭の伝説は、戦国武将の、真田信繁(幸村)の、
「真田家の家紋」
として有名なので知っていた。
だから、この男は、今まさに、三途の川を渡ろうというところだったのだ。
だが、渡ろうとしているところに、誰かが呼び止める声が聞こえてきた。一度だけだったので、そのまま乗ろうとすると、船頭に拒否されたのだ。そして、手元を見ると、六文銭が、一紋足らず、
「超えることができない」
というのだ。
すると、目が覚めたようで、
「ああ、よかった」
と、まわりが自分を覗き込んでいる。
「お前は交通事故に遭って、危ないところだった」
と家族から知らされ、あの夢が、
「本当に三途の川の手前だったんだ」
ということが分かるというような、エピソードが、劇中の一つの物語として描かれていた。
完全に、ベタな話だが、
「確かによく使われる、シチュエーション」
だったのだ。
ベタではあったが、ベタを敢えて映像化していただけに、余計に気になる話であった。
リアルでは意識することはなかったが、潜在意識のようなものとして残っている感覚だった。
「あのドラマを見てからか、妙に、六文銭や、三途の川のような渡し船があるところは、気になるようになったんだよな」
と思えた。
その感覚も、
「どこかで覚えがあるような」
と感じたのだが、今から思えばその感覚は、
「ああ、あの子供の頃に怪我した、木造の急階段があるあの光景ではなかっただろうか?」
という思いであった。
子供の頃の思い出で、正直覚えているものは、そんなにない気がしていた。
この強烈な感覚の、
「木造の急階段」
ですら、完全に感覚として残っているものではなかったからだ。
それまで意識として、そんなに残っていないと思ったことが、急にふと思い出される。
その思いがどこからくるのかというのは、あの時ドラマで見た、
「三途の川と六文銭」
という、
「ベタな感覚」
ではなかっただろうか?
手納を見ていて、
「天井が落っこちてくる感覚」
に陥るのは、どうも、天井の模様に影響しているのかも知れない。
何か複雑な幾何学模様にも見えるが、そこに規則性のようなものは感じられない。
「黒と白のコントラスト」
と言えば聞こえはいいが、ただ、ランダムに配置されているだけである。
実際にそれは、
「うるさくしてはいけない病院で、壁や天井が音を吸収しやすくするための工夫だ」
ということは分かっているつもりであるが、それ以上の理屈を自分で理解できるわけではないということを感じるのだった。
その思いというのは、客に、
「病院は音を吸収するから、却って耳鳴りのような感じになって、余計に気分が悪くなることがある」
と思ったことがある。
ただでさえ、病院には、いろいろな医療器具があって、その機械音が、病気の意識に余計な意識を植え込むことがある。
確かに、医療機器なのだからしょうがないのだろうが、その音にトラウマを感じたりする人も少なくないだろう。
身体を治す病院では分からないのかも知れないが、普通の病気で入院したのに、心療内科も同時に受診する人がいるというのは、
「そういう人も一定数いる」
ということなのではないだろうか?
そんなことを感じていると、
「病院というのは、本当に万能ではないんだな」
と感じさせられる。
「一日に何人も死ぬ病院もあるというが、それだけたくさんの人を受け入れているということになるんだろうな」
と感じさせられ、それも無理もないことに思えた。
「病院というところ、臭いだって、強烈で、むしろ臭いが一番きついということなのかも知れないな」
と感じるのだった。
生まれ変わり
そんな病院に入院すると、近くには、他にも点滴を打たれている人がいたりしていることに気が付いた。
「ここは、集中治療室なんだろうか?」
看護婦や医者が、忙しく飛び回っているのが見える。
その空気はかなりなもので、複雑な心境を抱かせた。
もうこうなると、
「ただの不安」
というもので片付けられるものではないことが分かり、リアルで、
「自分の身に、何か起こったということを思い知らされる」
ということであった。
最初こそ、カーテンが敷かれたところに寝かされていたので、まわりを見ることができなかったが、カーテンを自分で開けてまわりを見ると、他のベッドも半分くらいはカーテンに覆われているが、それ以外のところには、看護婦や医者が、詰め寄って、治療を施しているようだった。
その様子は、今まではテレビでしか見たことのないもので、さすがにリアルな、臨場感に圧倒されていたのだ。
しかし、まさか、自分もその渦中にいるということが分かると、さっきまで、漠然と天井を眺めていた自分が、まるで嘘のようだった。
「そんな病院の喧騒とした雰囲気の中に一人いるから、不安に感じるということが押し寄せてくる気分にさせられるのでは?」
と感じた。
ただ、意識として、思い出せない中で、何かが起こり、そのせいで、これだけの
人が巻き込まれたのだろうということは想像がついた。
中には、
「唸っている人」
「うめいているかのような人」
それぞれに、看護婦がついていて、治療を施しているが、医者も数人、てきぱきと指示を出しながら、一人で数人の患者を診ているようだ。
さっきまで、機を失っていた五j分が、カーテンを閉められていたのを思うと、まだ、半分くらい閉まっているカーテンの向こうには、
「意識不明で点滴を打たれている人」
「意識は戻ったが、まだ点滴が終わっていない人」
などがいるのだろうと思った。
かくいう、自分はその後者なのだろうが、たぶん、この様子をいていれば、
「自分が一番マシなのかも知れない」
と感じたことだろう。
ただ、気になるところが、ないわけではない。
というのも、
「先ほどから、思い出そうとすると、頭が痛くなる」
という症状があるからだった。
「外的要因で、記憶がなくなる時というのは、思い出そうとすると、それを妨害するかのように、頭痛がしてくるもののようだ」
という話を聴いたことがある。
まさにその時は、そういう感じだったのだ。
しかし、この状況を見ていると、とてもではないが、医者や看護婦を呼び止めて、
「何となく頭が変なんですが?」
と聞く自信はなかった。
「どうしたんですか?」
と聞かれたとしても、ハッキリとした症状を伝えることができない。
「この忙しいのに、いちいち呼び止めないでよ」
とでもいわれるかのような雰囲気に、
「呼び止めるなんて、できるわけはないよな」
と思っていた。
作品名:輪廻転生のバランス(考) 作家名:森本晃次