怪しい色彩
万引きはもちろんのこと、人が溢れてくれば、交通整理もしないといけない。
さらに、駐車場で車の誘導までもあるとなると、
「これは思ったよりも大変だ」
ということだったのだ。
彼が入った警備会社は、結構、新店や、イベントなどのところから雇われることが多い。
「雨の日でも風の日でも、お構いなしだ」
ということで、毎日のようにこき使われるという感じだったのだ。
一種の、
「警備員派遣」
という感じで、
「こんなこと、素人の俺でもいいんだろうか?」
と考えさせられたが、警備会社が結構いい加減なのか、
「いいんだよ。普通にしていればそれで」
ということであった。
だから、派遣されていっている人も、結構いい加減にやっているようで、
「万引きだって、分かっていても、見て見ぬふりをすることだって結構あるさ」
という人も多かったのだという。
だが、南部という男は、性格が、
「勧善懲悪」
でできているからなのか、万引きを見つけると、黙っているわけにはいかない。
「店長、ちょっと」
と言って、何人を引き出したことか。
中には、
「すみません、出来心で」
と言って必死に謝っている人もいるのだが、それを見ていると次第に苛立ってくるのだ。
「謝るくらいなら、しなければいいのに?」
という思いが先に立ってしまい。言い訳されればされるほど、店長につき出すのだった。
捕まって開き直る人はまずいない。万引きなどの小心者のような犯罪を犯す人間は、確かに、
「出来心」
なのだろうが、
出来心というだけで許されるものではない。
やっぱりいろいろ考えると、
「万引きをしなければいけないだけの理由が、その人の口から利かれることは、まずありえない」
「ごめんなさい。二度としませんから」
と、まず大体の人はいう。
じゃあ、
「はい、そうですか」
と言って許せるわけもない。
もし、そこで許して、その人が再犯をした時、
「あの警備員さんが、許してくれた」
と言い出すかも知れない。
ただ、その人も、
「これが初めてではない」
ということを言っているのと同じだが、それでも、
「あなたのところの警備員が許してくれたから、またやろうと思った」
といえば許されるわけでもないのだろうが、捕まって、精神的にまともな判断力ができなかったとすれば、
「この警備員も巻き込んでやろう」
と思うかも知れない。
もうそうなると、相手も、
「逃げられない」
と覚悟を決めているだろうから、
「こんなやつを相手にしてしまったのが、間違いだったか」
ということになる。
そうなると、最初の時に、きちっと罪を償わせれば、もっと違った形になるだろう。
逆恨みをされるかも知れないが、最初に許したことで道連れにされることを思えば、一刀両断の方がいいに決まっている。
そういう意味でも、彼は、決して万引きを許すことはなかった。
ただ、それはあくまでも、警備員という立場の元でのことである。
つまり、
「警備員として、犯人を差し出せば、あとは、店長の裁量によるもので、こちらを逆恨みされる可能性は低い」
というものだ。
そのつもりで、
「万引き犯というものは、自分の裁量で許してはいけない」
と思っていたのだ。
だが、ある日、その戒律を破った時があった。
その時は、
「魔が差した」
と言えばいいのか、それとも、南部の精神的に何かがあったのか、彼はたまに、自分でも理屈が分からない行動に出ることがある。
その時は、勧善懲悪であったのも間違いないはずなのに、そう、
「空間識失調」
のようになったかのような気がしたのだった。
平衡感覚を失ったというか、立っているのもきついくらいの立ち眩みで、その原因が、相手がつけていた香水だったのを思い出していた。
あの時も、万引き犯の主婦を捕まえた。
よく見ると、
「あなたは、前にも」
と言って、顔を覗き込もうとすると、その奥さんは、必死になって、顔を隠そうとするではないか。
その時、
「見ないで」
と言って、ブルブル震えていたのだ。
それを見て、もう一度身体がブルっと震えた。
しかし、彼女の震えている感覚と、自分がブルっと震えたものが、まったく違うもの。
いや、実際には同じものなのだが、それが、正反対の様子に見えることで、
「同じところから来ているものではないか?」
と感じたのだった。
身体の震えが、発汗作用を呼んでいるのを感じたが、汗を掻いているのが気持ち悪いわけではなく、何か心地よさが溢れているのを感じたのだ。
「彼女も同じように、汗を掻いているのかも知れない」
と感じると、その身体を思わず抱きしめてしまいそうになる衝動を、必死で抑えようとするのであった。
南部という男
彼が警備員をしていて、思わず抱きしめてしまったことで、すぐに我に返り、
「あっ、しまった。これで俺も終わりだ」
と、まずは、
「会社を辞めさせられる」
ということを考えた。
しかし、
「待てよ?」
と思い、それ以上に、
「最悪、警察に捕まるんじゃないか?」
と考えた。
しかし、相手も万引きをしたという後ろめたさがあるだろう。お互いに後ろめたさがあるのであれば、自分が助かるには、
「ここは強気に出て、何とか、相手を威圧するしかない」
と考えた。
「このまま、黙っていてやってもいいぞ」
と、わざと悪びれたような言い方をした。
女も、ブルブル震えながら、
「どうやら、俺の言葉に、究極の恐ろしさを感じているのかも知れないな。このまま押しきることだってできるだろう」
と思い、
「ここは強気で」
と思っていたところに、相手の態度が、自分の予期せぬ方へと向かっていったのだ。
何と、女は、抗っていなかった。
震えてはいるが、南部にしっかりとしがみついてくるのだ。
震えを感じるのは、がっちりちしがみついてくるのが分かるからで、その震えと、彼女の身体から匂ってくるものに、完全に参っていたのかも知れない。
甘い匂いだと思ったが、何やら鉄分を含んだ臭い。
最初は、
「まるで血の臭いだ」
と思ったが、逆に血の臭いだと思った瞬間、その隠微さに、参ってしまう自分を感じていたのだった。
血の臭いというと、子供の頃、友達の家に遊びに行った時、友達が階段から落っこちて、そのまま階下で、完全に足をすりむいていた。
ちょうど何か出っ張りのようなものがあったのか、傷口は深かった。
急いで救急車が呼ばれたが、出血はかなりのもののようで、床にべっとりと、血糊がついていたのである。
友達は救急車で運ばれたが、その時に感じた血の臭いがどうしようもなく、大人になった今でもその時の臭いが、
「辛い思い出」
として、トラウマのように残っていたのだ。
しかし、同じような鉄分を含んだ血の臭いを、それまでのトラウマとは正反対の、隠微な臭いとして感じるというのは、どういうことなのだろう?
南部という男は、最近までずっと彼女もおらず、だからと言って、
「彼女がほしい」
というほどであったわけではない。