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「親の教育によって、子供は育ち、親も、本来の親になっていく」
 という、今までの
「人間の習性」
 に変化が表れてくるのだった。
 しかも、最近の親は、昔のように子供を叱りつけたりはしない。子供が騒いでいても、別に怒りもしない。
「子供は自由に育てればいい」
 と口では言っているが、自分が面倒臭いだけなのだ。
 その証拠に、自分の立場が悪くなる時であれば、ヒステリックに叱りつける親がいる。
 子供としては、無意識にであろうが、
「親がどういう時に怒る」
 というのを分かっているのに、そのタイミングと違う時に、いきなり怒りだされれば、それは、子供としても、溜まったものではない。
 それを思うと、
「子供を怒らなくなった親というのは、子供のために怒らないのではなく、あくまでも、自分のためなんだ」
 と考えると、
「今の親は、親としての本能ですら、なくしてしまったのではないか?」
 と思えるのだった。
 そんな大人に育てられた子供が大人になり、さらに、その大人が子供を育てる。
 そんな繰り返しに、
「負のスパイラル」
 しか、見えないのは、橋爪だけであろうか?

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 結構な確率で、
「親になんかなりたくない」
 と思っている大人が多いのではないだろうか?
「子供は可愛いから、早く子供がほしい」
 という純粋な気持ちを持った人が、今までの歴史の中にどれほどいたのだろう?
 もちろん、子供ができて、子供の顔を見たとたんに、子煩悩になる。あるいは、
「子煩悩だった性格が、表に出てくる」
 ということが多いのだろうが、
 歴史的には、少し前まで、戦争前くらい前までは、その考え方が大きかったのであろうが、
 というのは、
「子供を作って、家を守っていく」
 という考えである。
 いわゆる、
「跡取り」
 ということであり、
「私の代で、家を絶やしてしまっては、ご先祖様に申し訳がない」
 という考えであろうか。
 特に日本は古来から、
「家系を守る」
 ということで、
「家系を大切にしている」
 という人種である。
 他の国でもあり得ることだが、その傾向は日本において、大きい考えなのではないだろうか。
「それがどういうことなのか?」
 ということを考えると、考えられることは一つしかない。
「日本は、古来。いや国ができた時から、変わらないものとして、万世一系の天皇家というものの存在があるからだ」
 と言えるのではないだろうか?
 天皇家、あるいは、皇族と呼ばれるものは、昔から、
「神のような存在」
 として崇められていた。
 古代はもちろん、天皇家が一番偉いというもので、そこに貴族が関わってくる。
 しかし、どんなに他の種族が権力を持ったとしても、
「帝」
 にはなれないのだ。
 なれるとしても、
「摂政、関白」
 までで、
 幼くして即位しなければならなかった天皇を補佐して、政治をつかさどるのが、摂政であり関白なのだ。
 もちろん、古代の天皇は、自らが政治を行うということも実際にはあった。途中から、「自分の家系から天皇を出したい」
 という都合のいい解釈から始まった、
「院政」
 というものがあり、それも、
「天皇と上皇」
 のそれぞれで権力を持つことで、さらに皇室に力が集中するということもあった。
 だから、令和という時代になる時、
「生前退位」
 というものに対し、物議をかもしたのだ。
 その時に一番問題となったのが、
「権力の一極集中」
 ということであったが、そもそも、憲法で天皇というのは、
「日本国の象徴でしかない」
 のだ。
 それは、上皇となっても同じこと、今の時代に、憲法があるのだから、それに逆らっても、天皇の権力が復活することはありえないだろう。
 中世に入り、武士の世界となり、
「武家の棟梁」
 として君臨する、
「征夷大将軍」
 であっても、それは、あくまでも、
「天皇を助け、政治を行う」
 というものであった。
 ただ、幕府の力が強いと、天皇でさえも逆らえないという時代もあったかも知れない。
 ただ、本来は、
「幕府に、政治を任せることで、武家を、将軍が抑えてくれる」
 のであれば、天皇としても、幕府の存在に懸念を抱くことはないだろう。
 実際に、そういう時代が続いてきた。
 ただ、幕府の存在は認めながらも、力が衰えた。あるいは、内乱により、崩壊寸前と見た将軍家が、
「幕府を倒す」
 ということをもくろんで、鎌倉を攻撃しようと考えた、
「承久の変」
 あるいは、
「元寇来襲により、その報酬をえることができず、困窮してしまった御家人の不満が爆発したことで起こった倒幕運動に乗っかったのが、後醍醐天皇であり、天皇の軍は、鎌倉幕府の倒幕に成功した」
 ということで、行われるようになったのが、
「建武の新政」
 というものであった。
 ただ、ここでの一番の問題は、後醍醐天皇による、
「新政」
 というものが、
「天皇中心の世の中で、あくまでも、武士は貴族や、公家の警護」
 という平安期の昔に戻そうとしたことであった。
 封建制度というのは、将軍が自分の土地を保証してくれ、それに対して御家人が、幕府のために兵を出したりして、幕府を警護するという役目を負う、
「ご恩と奉公」
 ということで成り立っているのだった。
 しかし、これが天皇中心となると、あくまでも、武家は、
「貴族の下」
 ということになり、公家にこき使われるだけになる。
「何もできない腰抜けの貴族の下で、何を従わなければいけないか」
 ということを考えると、
「そもそもが、平安の昔に時代を戻そうというのだから、武士の不満は、当然のことであり、せっかく幕府を倒したのに、これでは何にもならない」
 と、今度は、武士は、後醍醐天皇に反旗を翻した。
 その先鋒が、足利尊氏だったのだ。
 そもそも彼は、鎌倉幕府の御家人として、後醍醐天皇と戦うはずだったのだが、幕府を見限り、天皇方についた。
 しかし。今度は、天皇が歴史を戻そうとしているのを知ると、今度は後醍醐天皇を見限り、今度は、天皇軍と戦うことになった。
 そして、その勝利によって、自分が征夷大将軍となり、
「足利幕府」
 を樹立したのだった。
 そこから先は南北朝の時代となり、それをまとめた三代将軍、義満の時代に最盛期を迎えたおだが、歪な将軍家だった足利幕府は、応仁の乱などをへて、
「群雄割拠」
「下克上」
 なとと呼ばれる、戦国時代に、突入していくのであった。
 戦国時代になると、将軍家も、まったく権力がなくなり、そもそも、足利幕府の役人としてそれぞれの国を治めるためにおかれた、
「守護」
 というものが、戦国大名となっていった。
 ただ、一筋縄でいくわけでもなく、中には、
「守護を倒して、成り上がろう」
 という機運が高まり、守護代であったり、国衆とよばれる、守護を補佐していた、一種の部下に謀反を起こされ、その立場を奪われるということも頻繁に起こった。
 それが、下克上というもので、守護職であっても、決して安泰な時代ではなかった。
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次