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「敵が攻めてくるのであれば、先制攻撃で、相手の前線基地を片っ端からやっつけていく」
 という考えが頭に浮かぶだろう。
 その証拠に昔の、等身大ロボット、いわゆる人間型アンドロイドが、敵ロボットによる世界征服計画を練っているところで、
「相手の秘密基地を探し出して、片っ端から破壊していく」
 という使命を帯びた、正義のヒーローアンドロイドだったのだ。
 だが、その特撮番組は特殊だったといってもいい。そういう先制攻撃をするという番組が少なかったからだ。
 それはなぜかというと、たぶんであるが、
「日本国憲法における、第九条」
 というものが引っかかっているのではないだろうか?
 日本の自衛隊は、
「相手が攻めてきた時に、防衛するだけのことしか、憲法で認められていない」
 ということであった。
 もちろん、こちらから、相手を攻撃することはできないのは、日本以外であっても同じことなのだが、相手の国が日本に攻めてくるということが分かっていて、相手の前線基地の位置も分かっているのに、攻めてくるまでは、こちらから、先制攻撃はできないのだ。
「専守防衛」
 つまり、
「防衛のためとはいえ、相手が先に打つまでは、こっちが打ってはいけない」
 ということであった。
 どんなに、力が勝っていても、相手に先制攻撃をさせれば、ひるんでしまうのは当たり前で、最初から不利な状態での戦闘になる。
 今の憲法は、それでも、先制攻撃をしてはいけないのだった。
 ただ、この問題は難しい問題を孕んでいて、憲法改正というものが、いかに難しいか。今まで70年以上もの歴史のある憲法を改正しようというのだから、いろいろ問題がある。この問題だけではなく、他の問題も、
「簡単に憲法を改正できるのであれば」
 ということで、政府が自分たちの都合のいいように、国民を騙す形で、強引に憲法を変えてしまうとも限らないからだ。
 そんなことを考えていると、
「地球に攻めてくる相手を、こちらが先制攻撃できない」
 という発想であれば、
「一話完結」
 という形でないと、ひょっとすると、視聴者から、
「何で、相手の秘密基地を攻撃しない」
 というクレームが上がってくるかも知れない。
 そうなってしまうと、どう言い訳していいか分からない。
 視聴者が子供なのに、クレームを真に受けて、
「憲法問題が絡んでいるから」
 といって分かるはずもないだろう。
 そういうことを考えると、
「子供向けの特撮番組やアニメ」
 などというのは、
「自分たちのまわりの集団が、一番偉く、それ以外の集団は、十把一絡げではないか」
 という考えに、知らず知らずんのうちにさせられていて、それが一種の、
「マインドコントロール」
 なのではないだろうか。
 それが、自分たち以降の時代と、父親以前との時代の差なのかも知れない。
 もちろん、自分たちの世代と、子供の世代、あるいは、父親の世代と、爺さんとの世代との間にも、これと似た、あるいは、さらに大きなものがあったかも知れない。
 もっといえば、同じ感覚が親味と爺さんの時代にもあったかも知れない。
 それだけ、子供番組における、
「伝説的な発想」
 というものは、そうは変わっていないということなのかも知れない。
 そんなことを考えていると、
「俺と親父って、本当は性格的なあところでは同じなのかも知れないな」
 と感じていた。
「では、一体、どこが似ているのだというのだろうか?」
 と考え、一つ言えることは、
「お互いに、自分のことが好きだ」
 と思っているのではないだろうか?
 というのが、どういうことなのかということであるが、一つ考えられることとして、特に自分のことであるが、
「自己満足」
 という言葉がある。
 この言葉を聴いて、橋爪は、
「自己満足の何が悪いのだろう?」
 と思うのだ。
 きっと、まわりの人にそれをいうと、
「自分だけが満足したんじゃ、ダメで、まわりの人を満足させられるように考えないといけないだろう」
 と言われるのではないだろうか?
 しかし、考え方の違いなのかも知れないが、
「俺はそうは思わない」
 と、橋爪は反論するに違いない。
「何を言っているんだ」
 と、相手は、そのうちに、怒り出すカモ知れないとも思えるが、それでも、頑なにその考えを拒否する。
「どういうことなんだ?」
 と聞かれると、
「自分で満足もできないようなものを、人が満足してくれるわけないじゃないですか。だから、まず自分で満足のいくものを作って、それで、人に勧めたり、買ってもらったりするのさ」
 といえば、相手はしばし考え、複雑な心境になり、
「ああ、確かにその通りだな」
 と、承服することだろう。
 これは、それこそ、
「自分たちのまわりの集団が、一番偉く、それ以外の集団は、十把一絡げではないか」
 という考えが、無意識に自分の中にあるということを、意識していることだろう。
 言われて初めて、その意識を思い出すのだろうが、
「この考えは、決して表に出してはいけない」
 という考えもあることから、橋爪の言葉に、
「そういわれればもっともだ」
 と思いながらも、安易に認めることもできず、同意することも憚っていると感じているのかも知れない。
 そう思うから、
「人間というのは、基本的に自分のことが好きなんだ。ただ、それは、人間という美学に反するという意味でも認めたくないのだ」
 人間には、
「基本的に、美しいものを愛でる」
 というところが備わっている。
 いわゆる、
「耽美主義」
 というもので、
 何も、耽美主義者でなければ、
「美しいものを愛でる」
 という考え方を持ってはいけないというわけではない。
 皆無意識に持っているもので、
「無意識に持っていて、それを表に出していいものなのか、悪いものなのかというのは、ほとんどの人に共通しているものではないだろうか」
 つまりは、
「人間の中には、決して表に出してはいけない感情、羞恥というものがあるから、逆に羞恥心というものが、自分の感情を支配することもある」
 というのであろう。
 だが、このあたりは、誰に教えられたものでもない。
 子供の頃には、そこまでの羞恥心というものはなく、ある日突然、誰にでも、個人差はあるが、ほぼ同じくらいの時期に訪れる、
「思春期」
 というものが、その役目を果たし、次第に、大人の感情を作り上げていく。
 それは、羞恥に対しての気持ちもそうであろうし、耽美的な気持ちもそうであろう。
 さらに、大人として、
「他人のために」
 という、一種の自己犠牲を美学と考えるという意味で、元々あった耽美的な考えが、次第に膨れ上がってくるというものでもあった。
 だからと言って、気持ちはまだまだ、子供のままである。
 もっといえば、
「子供の心を持ったまま、大人に近づいていく」
 それが、本当に大人となり、子供と接する時、自分が子供の頃に感じた感情を忘れてしまうというのは、自分に子供ができた時であろう。
 そういう意味では、今の時代のように、
「子供を作らない夫婦」
 それどころか、
「結婚すらしない」
 という人がこれだけ増えているのだから、いい悪いは別にして、
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次