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「悪事」
 を働いたのだとすれば、それは
「本能からによるものだ」
 ということになり、
 たとえば、肉食動物が、食料になる動物を殺して食べたとしても、それは、
「自然界の摂理」
 ということで、致し方のないものである。
 しかも、人間以外の動物は、私利私欲のために、何物も殺さない(と言われている)のだから、少なくとも、人間界においての、
「地獄に落ちる」
 ということはないだろう。
 そうなると、天界か、霊界しかないわけで、生まれ変わりは、霊界しかないとすれば、
「同じ種族に生まれ変わる」
 ということになるであろう。
 そうなると、
「生まれ変わるものは、同じ種族でしかありえない」
 ということになるのだ。
 そういう意味で、人間だけが、他の動物に生まれ変わる可能性があり、ということになると、
「一度地獄に行ってしまうと、ずっと、生まれ変わった動物のまま、自分たちが生きるために必要な動物の餌食になる」
 という運命を背負って生きることになるのだ。
 人間が、動物を殺すと、悪事を働いたということになるのだろうか?
 人間も、食べなければ生きていけない動物であることに変わりはない。
 だから、生きるために、他の動物を殺すことは、本能であるだろう。
 しかし、中には、昆虫採集であったり、趣味のために殺生をすることもある、その時はちゃんと、神様が分かっていて、そんなことをした人間は、
「地獄に落とし、そして、生まれ変わりを、その動物にする」
 ということなのかも知れない。
 それであれば、分からなくもないが、中には、人間が人間を殺すということも結構ある。
 それこそ、しょうがないと言われるものもあるだろうが、それ以外というと、
「私利私欲のために、人を殺す」
 ということになる。
「地獄というのが、どういうところなのか?」
 誰も知らない。
 一度地獄を見ると、決して元には戻れない」
 というのは、まさしくそういうことなのだろう。
「人間が、地獄に行って、どんな動物に生まれ変わるのかということは、決まっているのだろうか?」
 そもそも、人間から見て、他の動物に差別的な感覚があるというのか、
「下等動物という理念がどこから来るのかは、生物学の中で、進化の度合いなどによって分かるのだろうが、基本的には、弱肉強食の世界で、強い動物が、より下等という感覚なのではないだろうか?」
 それは人間が見た感覚で。
「食われて可哀そうだ」
 という感覚があるからで、そもそも、食われてしまうような動物は弱い動物ということで、普通なら、
「下等動物だ」
 と言われそうである。
 しかし、実際には、下等動物の定義というのはあるわけではない。
 結局人間の中で、
「いかに自分という人間という種族が、いかに都合よく生きていけるか?」
 ということが、下等動物という順序をつける意味で、大きな意味を形成しているのかも知れない」
 のだった。
 要するに、人間が都合で、その位置を考えるというのは、最初から、つまりは、学問が発達するもっと以前から分かっていたことなのかも知れない。それが、人間においての、
「神の力だ」
 ということであれば、勝手な発想も浮かんでくるというものだ。
「人間と、他の動物」
 という考え方をすると、おかしな発想が思い浮かんでくる。
 たとえば、
「宇宙人と、地球人」
 という関係も、
「他の動物と人間」
 という考え方と似ているのではないだろうか?
「宇宙人とはいうが、考えてみれば、地球人だって宇宙人ではないか?」
 ということになるのである。
 これは、昔の特撮ヒーローものに出てきたセリフだったが、
「我々地球人」
 という言葉に、相手の宇宙人が反応し、
「お前たち地球人だって、同じ宇宙人じゃないか。その発想はおこがましい」
 というような言葉を言っていたのを思い出した。
 なるほど、確かに地球人も、
「宇宙人というものを一括りにしたのであれば、宇宙人の一種だ」
 ということになる。
 だとすると、地球人を別の括りにするのであれば、それぞれの星の連中を別の括りにすべきである。
 いや、もっと考えれば、
「地球上にだって、いろいろな国家があり、種族も違う。それによって、世界中のどこかで必ず戦争をしているような星ではないか」
 ということになる。
 そうなると、それぞれの星の中でも、細かく分ける必要がある。
 などと考えていくと、まるで、マトリョシカ人形のように、
「キリがなくなってしまう」
 ということになるであろう。
 地球人が、自分たちだけを細分化し、他の星の連中は、
「十把一絡げ」
 にしてしまおうというのは、それだけ、
「宇宙には、人間以上の生物はいない」
 という発想から来ているのかも知れない。
 地球上で、
「人間と、それ以外の動物」
 ということで意識している時点で、
「人間が一番偉い種族であり、他は皆、人間から劣る、下等動物でしかないんだ」
 ということを言っているのと同じである。
 ドラマの中で宇宙人が、
「地球人はおこがましい」
 と言ったのは、そういうところである。
 そういう意味でいくと、
「神様」
 という発想も、
「人間が作りだしたもの」
 というところに行き着くのかも知れない。
 死んだ人間の中で、
「選ばれた人」
 というのが、
「天界に行って神になる」
 というではないか。結局、神というのを想像しても、それはあくまでも、人間にとって都合のいい存在であり、それだって、結局は、
「人間が死んでから徳を積んでいく場所」
 とでもいうことで、
「人間が作った」
 と、どこまで行っても、人間が関与していることを、否定できなくなってしまうのであった。
 それだけ人間というのは、おこがましい存在であり、理屈をつけてでも、一番高等に存在しなければいけないところにいるのだろう。
 そんな人間が、他の動物と宇宙人という発想を持った時、宇宙人に対しては、
「侵略」
 という発想を抱くのだが、地球にいる他の動物から、逆に、
「支配される」
 という発想が浮かんでこないのだろう。
 というのは、宇宙人の存在を考えるのであれば、同じ地球において、
「人類よりも、文明の発達した動物」
 たとえば、地底人というような発想である。
 ただ、特撮SFものの話であれば、30分番組だったとすれば、その話が、
「一話完結」
 であったとすれば、テーマを地底人とすれば、そこで終わってしまう。
 しかし、相手が宇宙であれば、それこそ、
「星の数ほど」
 と言われるほど、本当に星の数があるわけであるし、誰も宇宙を知らないわけなので、いくらでも、発想ができるというものだ。
 だが、地球に侵略に来ている宇宙人を一つの星に絞って、そこから、怪獣を、
「他の星から連れてきた」
 などという発想にすれば、侵略してくる宇宙人が一つの星だけでも、成立するのである。
 ただ、そうなると、かなり難しいことになる。
 なぜなら、一話完結であれば、一回の侵略を妨げれば、その話がそこで終わっても違和感がないが、同じ星から何度も侵略を受けていると、普通の考え方としては、
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次