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平均的な優先順位

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 という感覚なのかも知れない。
 それだけ今の時代は、その日暮らしということに必死で、少し先のことであっても、まったく考えられない時代になってしまっているということなのではないだろうか。
 それはそうであろう。
 その一番の代表例と言えるものが、10数年ほど前にあった、
「消えた年金問題」
 ではないだろうか。
 それまでも、
「国家の借金が増えすぎて、少子高齢化ということもあって、年金を引き上げるという考えは実際にあった」
 つまりは、
「昭和の終わり頃というと、まだまだ定年が55歳で、しかも、年金は55歳から普通にもらえたのだ」
 しかし、今の時代は、
「定年が60歳。年金が65歳からということで、この間は、企業が、個人がはたらきたいと希望すれば、継続できるという体制を築く」
 ということで、何とかなっていた時代だった。
 しかし、
「消えた年金問題」
 というのは、そんなものではなく、
「厚生労働省のずさんな管理が慢性化で続いていて、蓋を開けてみると、誰が誰の年金なのか、分からなくなり、数百万という人の年金記録が曖昧になったということだったのだ。
 そんなずさんな管理にさすがの国民も愛想が尽きたのか。それまで、半世紀にわたって、ほぼ、
「一党独裁」
 と言われた時代が続いていたのに、ついに、野党にとって代わられた。
 しかし、その野党は、想像以上の腰抜けの集まりで、結果、混乱に拍車をかけて、数年で、また、年金を消したあの政党に政権が戻ることになったのだ。
「この時代に、徳川慶喜になれなかった」
 ということだろう。
 当時の野党は、
「明治政府」
 になることもできず、今では、その情けなさがどんどん加速していき、
「野党第一党の立場さえも失っていた」
 ということだ。
 昔の野党は、そんなこともなかった。野党第一党として、ずっと、政権与党の対抗馬として存在していただけで、その政党は、
「野党としての仕事は、少なくとも今の野党に比べ、十分だった」
 といってもいいだろう。
 そんな時代が、今は懐かしいといってもいい。あの時代はあの時代でいいところもあったというべきであろう。
 父親がいう、
「平均点的な人間って、どういうものなのだろう?」
 ということを考えたことがあったが、そもそも、
「その時代において、人間の価値も変わってくるだろうから、平均点というものが、どういうものなのか?」
 と考えてしまうだろう。
 要するに、
「そもそもの、分母が違うのだから、どんなに結果としても分子が違えば、その変動は、致し方がないといえるだろう」
 ということであった。
 分母が、人口すべてなのか、それとも、自分の同世代の人ということなのか、成人男子すべてということなのか?
 ということでも、大きく変わってくるというものだ。
 さらに平均点という管変え方も、
「単純な数式による代入形式なのか?」
 ということも問題である。
 普通の平均という考え方であれば、問題になっているものの点数をすべて足して、そして、それを、点数がついているものの、件数で割ると出てくるというのが、
「通常の平均点」
 という、ざっくりとした考えである。
 だが、中には、その点数というものが、自分の中での性格であったり、本能であったり、まわりからの評価などによるものだったりして、
「一概に、一緒にできないもの」
 というものまで一緒くたにして計算しようとすると、おかしくなってしまうというのも、間違いないことである。
 そういう意味で、父親が考えている平均点と、自分が考える、
「嫌な平均点」
 という意味でのすれ違いが起こっているのではないかと思えるのだった。
 たとえば、父親の考える平均点が、
「一概にはいえない平均点」
 というものであり、もちろん、父親の中でも、
「絶対的な平均など、ありえない」
 と思っているかも知れないと思うと、
「息子の方こそ、父親のことを過小評価しているのかも知れない」
 と言えるのではないだろうか?
 しかし、子供としては、ちょうど自分たちの時代が、学歴社会であり、何でも、点数で評価され、テストテストでの、そのためのテスト勉強が詰込みになってしまっているとするならば、
「平均」
 と言われて思い浮かべるものが、単純な数式での計算しか思い浮かばないのであれば、そもそもの発想に柔軟性のない、自分の方が発想としてはまずいのではないだろうか?
 そんなことを考えると、
「平均的だという言葉に対して、必要以上に意識しているのは、子供の方ではないだろうか?」
 ということになるのだった。
 そうなると、父親に対してのイメージ、父親が子供に対してのイメージは、
「どこかでニアミスを起こし、すれ違ってしまっている」
 と考えると、
「一度すれ違ってしまい、そのことにどちらかでも気づかなければ、それこそ、地球を一周しない限り、また出会うということはない」
 ということになり、それが、
「親子である」
 がゆえに、
「決して交わることのない平行線」
 を描いているという感覚になってしまうのではないだろうか?
 そのことに少しでも気づけば、父親とのわだかまりは、もう少し何とかなったかも知れない。
 ただ、親子である場合は、さらに難しく、平行線のイメージをどちらかが抱けば何とかなるというものではなく、お互いにそのことに気づいて、気付いたことで、初めて歩み寄りができるのではないかと考えられるのではないだろうか?
 今から思えば、まだ自分が思春期だった頃、父親に徹底的に反抗していたつもりだったが、その時に感じていたのは、
「あんただって、子供の頃があったんだろう? 同じように父親に反発したんじゃないか? その時のことを覚えていないのか、それとも、大人になったら、変わってしまうのだろうか?」
 と考えるようになったのだ。
 それなのに、どうして、自分が大人になると、大人の立場でしかものを言わないようになるのか?
「忘れてしまっているのか?」
 それとも、
「大人になると考え方が変わって、子供の教育のためには、仕方がない」
 と思うのかの、どちらかではないかと感じるのだった。
 大人になると、もし、自分の意思に関係なく、変わらなければいけなくなるのであれば、
「俺は、子供なんか持ちたくない」
 と思うのだった。
 確かに子供に対しての親のしつけというのは、当然のことであり、
「叱らなければいけないところは、しっかりと叱る」
 ということになるであろう。
 だが、実際に親になってから、ちゃんと子供を叱れるであろうか?
 子供を叱っている親を見ていると、そのほとんどがm母親で、それも、ヒステリックな叱り方にしか見えてこないのだ。
 それを思うと、叱らなければいけない子供というのが、まるで自分の子供の頃のような気がして、自分がフラッシュバックしてくるのだ。
 大人に叱られるということは、
「自分が、叱られるようなことをしたからだ」
 ということも分かっている。
 しかし、その叱り方が、母親の場合の言い方に、苛立ちを覚えるのだ。
「明らかに、子供を自分のストレス解消の道具に使っている」
 という風に見えたり、
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次