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平均的な優先順位

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「規定投球回数」
 というものが必要になってくる。
 昔であれば、ベスト30くらいを表示すれば、上位は2点台くらいで、30位くらいになると、8〜10点台くらいのピッチャーでも、ちゃんと、30人いたものだが、今の防御率ランキングは、規定投球回数に到達する投手が、一つのリーグで10人にも満たない。下手をすれば、3人しかいないなどという時代であった。
 ということは、
「規定投球回数分、年間投げられただけでも、優秀だ」
 ということになるのだ。
 昔であれば、
「規定投球回数を投げるのは、先発ピッチャーとしては、最低の目標」
 と言われていた時代だったのだ。
 確かに、今と昔では、ピッチャーに対しての考え方が違う。
 昔は、完全い消耗品であり、
「短く太く」
 というのが美学だと言われた時代もあった。
 しかし、今は、できるだけ無理をさせずに、選手を長く大切に使うという考えが浸透してきた。
 野球界の選手会による労働組合のようなものができて、選手の権利などに対して、選手側からいえるようになったのも大きかっただろう。
「今は、体力の限界という満足した引退を望むようになり、昔のように、年齢的にはまだいけるのに、肩やひじを壊したことで、無念の引退を余儀なくされた選手も、たくさんいる」
 ということである。
 これも野球漫画の影響か、特にこの野球漫画の最期というのは、身体に変調をきたしていると分かった主人公が病院に行くと、
「無理がたたったんだ。これ以上投げ続けると、再起不能になる」
 と言われ、それでもマウンドに上がり、最後は完全試合を達成するのだが、その瞬間、肘がダメになり、もう投げられなくなったのだ。
 そのマンガは、
「悲劇のヒーロー」
 という描き方をしていたが、果たしてそれがいいのだろうか?
 もう、その選手は野球ができなくなるのである。そのまま球場を後にして、行方不明になるのを、美学として描いていたが、冷静に考えれば、この結末は、今であれば、
「こんなのありえない」
 と言われることであろう。
 球団が選手を酷使し、ボロボロになった選手。選手も、魔球さえ投げずに、普通の投手としてであれば、もう少しは続けられたかも知れないのに、敢えて、魔球を投げ続け、完全試合という形を作って、そこで野球人生は終わった。
 しかし、主人公は
「野球しかできない野球バカ」
 であった。
 野球ができない主人公に、他の道など考えられない。だから、それ以降を描くことはできないのだ。
 それが、昔という時代、
 今は、そんな球団は、ブラックと言われ、選手の方も、自分勝手だと言われるかも知れない。
 どっちが正しいとは言えないが、少なくとも、昔は、そんなスポーツ根性ものが、子供には受け、
「これが当たり前なんだ」
 ということになっていたのだった。
 時代背景も、主人公が子供の頃、高校生になる頃までは、
「日雇い人夫」
 と言われ、別名、
「土方」
 と呼ばれる、深夜の工事現場での人足の仕事だったのだ。
 そもそも、その父親は、
「元プロ野球選手」
 である。
 確かに、野球界を追われたという過去があったのだろうが、考えてみれば、息子を進ませようという人生、その人生を終えた後に、栄光や、富と名声のすべてが手に入るのであれば、根性でプロ入りをさせるというのもありだが、
 野球選手というのは、当時としては、
「40歳まで現役であれば、長寿の方だ」
 ということであった。
 今でもそれは変わりはないが、選手によっては、50前くらいまで現役の人もいるではないか。
 それを考えれば、今の時代の、
「選手の身体を気遣う」
 という今の考え方は、間違いではない。特に最近のプロ野球界というと、組織としては充実してきていて、
 選手獲得の、
「ドラフト会議」
 での選択にも、
「育成枠」
 というものがあり、
「球団側が、将来のスター選手育成を自分の球団で行う」
 という体制が多くなってきた。
 以前のアマチュア野球では、
「ノンプロ」
 と言われる、職業野球があったものだが、最近では、アマチュア野球が結構衰退してきている。
 ノンプロの強豪と言われたところが、部を解散してしまったり、高校野球でも、何度も全国大会で優勝し、プロ選手を輩出している学校が、いきなり、
「野球部を廃止」
 などと言いだしたりしている時代なので、プロ球界が、自分のところで選手育成を目指すというやり方もありなのだろう。
 しかも、今は、地域で、アマチュアチームのリーグもある。
 そもそもそのリーグは、
「将来のプロ選手の育成」
 を目指したものだっただけに、一度、プロ野球を自由契約になり、トライアウトでもどこからも選ばれなかった選手が、育成リーグからやり直し、さらに、プロ契約にまで漕ぎ津得るということも、今の時代のパイオニアだったといえるだろう。
 そういう意味で、昔のように閉鎖的で、選手を酷使するようなプロ野球体制ではなくなり、かなり、自由な体制になったのはいいことであろう。
 それだけ、今と昔では、考え方も体制も違っているのだ。
 そういう考えが、田舎と都会では、今もくすぶっているのかも知れない。
 特に、田舎というところは、昔から閉鎖的で、自分たちのルールを狭い範囲で共有しているだけに、その影響力や、絆というものが強いといってもいいだろう。

                 平均的

 そんな父親が育った時代に、なぜか、平均的な発想をする人が多い。
 やはり、当時であっても、スポーツ根性ものというのは異質だったということなのか、それとも、そういう生き様が、格好よくは写るが、実際に、リアルなこととなると、冷めてしか見えないということなのか、そのあたりの発想が難しいところであった。
 しかし、父親は考え方が、
「平均的な人間が一番いい人生を歩むことができる」
 という考え方のようであった。
 そんな人生論などを、父親と交わしたことはない。
 もし、そんなことをしようものなら、お互いに興奮して、一歩も譲らないことだろう。橋爪も自分の考え方を分かっているつもりだし、父親が、いまさら
「親の威厳」
 というものを振りかざしてくることも分かっていたのだ。
 だが、父親は、意外とまわりの人たちから人気がある。
 同世代の人たちからはもちろんのこと、スナックなどの飲み屋などに行けば、そこの女の子たちからも人気があるというような話を聴いたことがあったくらいだ。
 どこに人気があるのかというと、
「考え方が、とても新鮮で、聴いていて楽しい」
 というのだ。
 橋爪からすれば、
「はぁ? あの親父のどこに、そんな楽しさがあるというんだ?」
 という思いに至るのだ。
 そのあたりの話をしてみると、
「私たちって、結構その日暮らしの考え方が多いんだけど、あの年代の人って、私たちとは相いれないところもあって、どこかに結界のようなものを感じることもあるんだけど、だからと言って無視することもできないのよ。それが、きっと将来に渡っての一つのビジョンのようなものを持っているということではないのかしらね?」
 というのだった。
 つまり、
「自分たちのできないことを、昔の人ができていた」
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次