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 ということであったのだ。
 だからこその、
「終身雇用」
 であり、
「年功序列」
 なのだ。
 当時の日本は、頭がいい人が開発をしたりすればいいわけで、それ以外の一般の人は、営業であったり、今まで先輩がこなしてきたことを、減らすことなく、後輩に受け継いでいく。
 ということで、
「時代をつないでいく」
 ということが、新たな世界への受け渡しで、余計なことをしない方が、平和で、先の生活が保たれるということであった。
 だからこそ、父親のような、
「平均的になんでも、こなせる人間」
 というのが、
「会社では一番偉く、賢い身の振り方なのだ」
 という考え方であった。
 そんな大人だった父親だって、子供の時代はあったはずだ。その頃から、まさか、そんな大人の考えだったわけではあるまい。
「反抗期」
 というのは、誰にでもあるもので、ほとんど同じ時期に、子供が大人を意識した時、その感覚的な矛盾にジレンマを感じるというもので、子供が大人との違いを感じるわけだから、当然、当時の父親も、お爺さんに対して、何か鬱積したものがあったに違いないのではないだろうか。
 父親が、子供の頃というと、昭和の40年代くらいのことであろう。
 時代としては、まったく今とは異なっていて、
「今の常識は、昔は、そして、昔の常識は、今は通じない」
 といってもいいくらいではないだろうか。
 当時とすれば、時代的には、
「好景気と不況を繰り返していたような時代で、全体的には成長していた時代だった」
 と言えるだろう。
 今のように、バブルが弾けてからこっち、一度、最低に落ち込んでから、まったく上昇する気配もなく、
「世界の中で唯一成長しない国」
 ということで、
「失われた30年」
 などと言われてきたではないか。
 すべてが悪いわけではなく、世界的な危機に陥った時、それがあったおかげで、大混乱にならずに済んだというものもあった。
 それが、企業の内部留保というものであり、成長できたはずの時代にも、ネックとなったものであった。
 ただ、それでも、日本は、内部留保があったおかげで、会社自体が潰れることはなかった。
 手放しに、
「よかった」
 とは言えないが、それでも、大いなる危機を、最悪な形で迎えることがなかっただけでもよかったのではないだろうか。
 父親が子供の頃というと、テレビのアニメなどでは、
「スポーツ根性もの」
 というのが、流行った。
 野球漫画にしても、スポーツものはたいてい、人間の身体を駆使した大特訓によって、
「魔球」
 と呼ばれるようなものを開発して、それをライバルたちに打ち砕かれたりして、さらに魔球を開発するという、今の時代から見れば、
「パロディ」
 という意識しかなく、普通に見て、
「そんなことできるはずないじゃないか」
 と冷めた目で見られて終わりという感じであろう。
 そして、そういう主人公は、必ず、
「貧しい家庭から生まれる」
 というもので、ズボンをキレで縫い合わせたような恰好で、住んでいるところは長屋と呼ばれるところ、もちろん、部屋は一部屋か二部屋に3人か4人家族が住んでいる。
 そして、部屋の真ん中にちゃぶ台が置かれていて、熱血根性親父が、いつもそれをひっクリ返している。
 そんな光景が、昔の代表的な、
「熱血スポーツ根性マンガ」
 だったのだ。
 テーマは、
「血と汗と涙」
 泣きながらでも、血の汗を掻いて、根性を見せる」
 というのが、美学だったのだ。
 そして、目指すは、
「特定のプロ野球球団」
 その球団は今も存在しているが、当時と今とでは、まったくその地位は違っている。
 昔は、テレビ中継といえば、そのチームを中心に、放送される。
 つまりは、年間例えば、テレビ放送が100試合だったとすれば、そのほとんどはその球団の試合であり、そのチームと試合がある時だけ、テレビに映ることができるというわけだ。
 ということは、リーグが違えば、まったくテレビに出ることはない。
 野球ファンでなくとも、テレビ中継されるチームや、その人気選手のことは知っているが、テレビに映らないチームの選手で、たとえあ世界記録保持者であっても、野球ファン以外は知らないというのが、その時代だったのだ、
 つまり、
「テレビ番組というのは、あくまでも、視聴率が勝負」
 であり、特に野球中継ともなると、
「サラリーマンが家に帰ってからテレビをつけて、晩飯を食べたり、晩酌をしながら見るものだ」
 と、相場は決まっていたのだ。
 だから、野球中継は、午後7時くらいから、9時までというのが、大体のパターンであった。
 そして、当然、中継のあるチームは人気が出る。プロ野球ファンであれば、他の強いチームのファンもいるだろうが、野球を知らない人は、毎日のようにテレビに映っているチームしか関心もないし、
「どこのファン?」
 と聞かれると、そのチームしか言わないのだ。
 つまり、そのチームのファンは、
「女子供が多い」
 と言われるのであるし、下手をすれば、野球に感心のない人は、チームは知っているが、選手に対してはまったくの無知だったりもするのだ。
 いわゆる、
「ミーハー」
 というやつであろう。
 とにかく、
「マスゴミにいやらしいまでに贔屓されるチーム」
 そんな時代の野球というものに、嫌気が差していた人たちも、一定数いたに違いない。
 だが、今の人たちが昔のそんな状況をしれば、
「なんじゃそりゃあ、じゃあ、そのチームのファンだといえば、私は、野球に関しては無知ですと言っているようなものじゃないか」
 と、思うことだろう、
 それだけ、昔は、日本人は、判官びいきだと言われるくせに、なぜか、
「右倣え」
 のような連中が多かったのだ。
 それだけ、マスゴミが贔屓していたというのか、視聴率重視に凝り固まっていた時代だったということなのかであった。
 スポーツものでも、今はまったく違った形である。
 プロ野球というと、昔は観客は、サラリーマンと、子供会などに入っているファンの子供くらいのものだった。女性が、スタンドで観戦するなどという光景はほとんど見られなかった。
 特にテレビにまったく映らないリーグの試合というと、まったく客が入っておらず、サラリーマンがヤジを飛ばしていたり、当時は応援団が、率先してやじっていた時代でもあった。
 昔のプロ野球選手は、
「ヤジられてなんぼ」
 だったのだ。
 もう一つ野球で違うのは、選手の使い方だった。
 特にピッチャーなどであるが、当時は、
「どんどん酷使して当たり前」
 だったのだ。
 そういう意味では、
「今は甘やかあされている」
 と、当時を知る人は思うのだろうが、今がいいのか悪いのか、正直難しいところであった。
 今の先発ピッチャーは、
「中一週間」
 くらいをあけるのが当たり前になっている。
 しかも、
「7回くらいまで持ってくれればそれでいい」
 と、別に完投を期待しているわけではない。
 したがって、先発ピッチャーが、一年間、ケガもなく活躍できたとしても、完投数が、ゼロという人もざらにいる。
 何といっても、昔との一番の違いは、防御率を計算するのに、ピッチャーには、
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次