小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

平均的な優先順位

INDEX|16ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 に乗り入れすることで、都心部の地下を通るようになったのだった。
 だから、市内を横断していた筑肥線は、廃線となり、地下鉄乗り入れの、姪浜という駅からの以西が、JR筑肥線ということになり、唐津まで伸びている。
 つまり、
「筑肥線が乗り入れているということは、福岡市の地下鉄の線路の幅は、JRと同じ規格であり、幅が狭い」
 ということになる。
 そのことは、地下鉄2号線でもある、
「箱崎線」
 というのが、終着駅が、貝塚駅になっているのだが、その貝塚駅から、
「西鉄宮地岳線」
 というものに乗り換えられた。
 以前は、福津市の宮地嶽神社の近くまで走っていたことで、
「宮地岳線」
 と呼んでいたが、昨今の事情からか、大幅に路線が短くなり、途中の、
「三苫駅」
 までしか運用しなくなったので、路線名も、
「貝塚線」
 となったのだ。
 この西鉄貝塚線への乗り換えであるが、そもそも線路幅が一致しているわけではないので、乗り入れができない。
 というのも、列車によっては、一本の線路で、唐津方面まで行くことができるので、線路幅はJRと同じで狭いものとなっていた。
 したがって、貝塚駅で、列車の乗り入れはできず、地下鉄も、西鉄も、
「貝塚駅が終着駅」
 ということにして、ただ、改札一つで、向こう側に待っている列車と連絡できるということで、何とか、面目を保っているということであった。
「なぜ、JR(旧国鉄)と私鉄とでは、線路幅が違うのか?」
 ということは分からない。
 勝手な想像画許されるのであれば、
「昔の旧日本軍と呼ばれた、陸軍と海軍が仲が悪かったように、わざと規格を変えたのだろうか?」
 と最初は思っていたが、この会社に入って調べてみると、よくわかってきた。
 元々、鉄道の幅は、現在のJRの幅として、明治に最初に鉄道が開業した時、同時の大蔵大臣である、大隈重信が制定したのだという。
 この方式は、鉄道というものが、国営化されることで、全国の国鉄(当時は省線電車)になってからも、決められていたが、ある私鉄が、最初は、
「国鉄と平行して走ることで、許可されなかったことで、路面を走る路面電車形式にしたことで、従来の鉄道法とは別に、軌道法に準拠した形で営業することになり、その法律が、線路幅の規定をしていなかったことで、現在の私鉄の線路幅として定着した」
 のだということであった。
 それを考えると、私鉄も当時の国鉄も、法律や許可が下りなかったりしたことでの、
「紆余曲折から生まれた線路幅」
 だといっておいいだろう。
 そんな福岡市であったが、
「住めば住むほど」
 そして、
「仕事をすればするほど」
 自分の中で、仕事への情熱であったり、楽しさのようなものが溢れてきたといってもいいだろう。
 そんな状態の中で、橋爪が最初の5年間ほど、ある街のPRを独自に企画したもので、本来であれば、一度やった街は、次回のクールが回ってくるまでは、やらないという、一種の、
「持ち回り制」
 のようなものを考えていた。
 ただ、似たような企画はいろいろなところでも、行われていた。
 例えば、ある番組の中での一貫としてやっているものもあれば、
「町おこしPR」
 ということで、都道府県単位での自治体が、力を入れているというところもあったりした。
 そんな自治体をいろいろな企業がバックアップすることで、企業の思惑もそれぞれにあるので、企画をする側でも、それらスポンサーに気を遣わないわけにもいかず、
「一つの自治体を特別に贔屓する」
 ということが難しいのが、現状であった。
 だから、橋爪が入社した会社でも、いくつかのスポンサーがついたのだが、そのうちに、会社のいくつかが、撤退していくということが起こった」
 というのも、全国的な不況ということで、複数のところに町おこしとしての企画を持っていくということが難しくなった。
 そのせいもあって、どうしても、メディアのような注目力の圧倒的なテレビ局などには、一イベント会社くらいが太刀打ちできるものではなかった。
 それを考えて、実際にPRを言ってくるところも、それぞれ気を遣って、
「かぶらないように」
 ということで、話を持ってくるのだった。
 そんな事情も重なったことで、5年連続同じ街のPRということになったのだ。
 そのおかげか、同業他社との比較が容易になったのだ。
 やっている方は、どうしても比較されるので、シビアではあったが、見ている方は、
「どちらも頑張れ」
 とでもいうような、
「高みの見物」
 と、しゃれこまれていたといってもいいだろう。
 そんな会社が推し進める街は、福岡県のベッドタウンに当たる街で、元々、福岡市に隣接する、これら複数の街は、昔から、
「ライバル関係にある」
 といってもいいだろう。
 そのうち、南に位置する二つの市と、そのほとんどが福岡市に隣接している北側の二つの市が、それぞれ争っているという感じだった。
 そのせいなのかどうなのか、
「市の境界線が、歪に折れ曲がっていたりして、一度市の境を超えて、数メートル歩いただけで、さっきまでいた市に戻ることになる」
 という、まるで、
「突出口のようになっている」
 というところもあるようだ。
 さすがに、
「一つの家の真ん中を、市の境界線が通っている」
 というような、行政上のややこしい街になっているわけではなかったのだ。
 橋爪が企画を担当しているのは、それら4つの市の中で、一番福岡市と接しているという、
「O市」
 であった。
 こちらは、市制が敷かれた時、本当は市の名前の候補として挙がった名前があったのだが、少し先に、越前、つまり、福井県に先を越される形で使われてしまったのだ。
 頭に、
「筑前」
 という言葉をつければよかったのだろうが、それでは、ちょっとということで、古来からこの土地に遭ったと伝わる山城をテーマにし、それをPRできるということも重なってか、今の市の名前になったのだった。
 もちろん、市の名前に由来する、
「古代山城」
 というものが、この市での一番のPRとなるのだが、他にも自治体でいろいろば工夫がされることで、結構な街のPRになっていた。
「福岡市に隣接している」
 ということで、何と言っても、福岡市のベッドタウンとしてのその地位は、確固たるものだったことだろう。
 このあたりのライバルとなる市の中でも、最初に市政を敷いたという意味でも、
「一歩リード」
 というところであろうか。
 ただ、この市には、決定的な何かがあるというわけではない。
 最大のライバルとなる
「K市」
 では、古代弥生時代の史跡が多く発見されたことで、そのあたりの強さが眼を引いた。
 南の、
「C市」
 では、有名な温泉が出ることから、そのあたりを前面に打ち出している。
 最後に市制を敷くことになった、
「D市」
 というのは、古代の九州の中心地といってもいいようなところであり、国宝であったり、全国でも有数の天満宮が、一番の目玉であった。
 さらに、古代の政庁跡も残っているので、ある意味、一番強いと言ってもいいのではないだろうか。

                 尾行

 そんな町おこしを、
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次