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「すべての可能性」
 というものは、人間だけが、実際に考えて、うまくこなすことができる。
 もっとも、
「他の動物もできている」
 と言えるのかも知れないが、それは、
「感情というものを持っていない動物」
 という意味で、彼らには、本能というもので、すべてを網羅できているのだろう。
 逆に人間には、
「そこまでの本能が備わっていない」
 というものなのかも知れないが、
「他の動物と人間とでの違い」
 というと、それは、
「感情を持っているか、持っていないのか?」
 ということであろう。
 これも、人間が知らないだけで、動物には動物の感情があるのかも知れない。確かに、ペットなどを見ていると、人間のいうことが分かったり、イルカなどの頭のいいと言われる動物は、教えれば、芸だってするではないか?
 ということを考えると、
「感情のある動物もいることだろう」
 と言えるのではないだろうか?
 だから、
「ロボットだけに、できない」
 と考えるのか、
「他の動物は本能で、人間は、感情と頭脳で理解してできているが、ロボットにはできないのは、本能も感情もないからであって、問題は、頭脳ではないのではないか?」
 ということになると、今度は、
「ロボットには、感情が必要ではないか?」
 ということになるのだ。
 だが、もし、そうなると、ロボットが感情を持った知能を有するということになると、
「自分たちを使っているのが、自分たちよりも数段劣る人間である」
 ということを理解し、そのことで、
「理不尽だ」
 と感じるようになると、それこそ、
「フランケンシュタイン症候群」
 であり、
「人間を襲わないようにするための鉄則を、果たして、持った感情が、人間の命令に従うということになるだろうか?」
 そう考えると、ここまでくれば、
「負のスパイラル」
 と言えるのではないだろうか?
「フランケンシュタイン症候群」
 というものが、そもそもの起点になっているわけで、元々この話も、フィクションであり、小説のネタといってもいいだろう。
 だから、
「必ず起こることではない」
 ということから、
「ロボット開発の邪魔になるのであれば、ロボット工学三原則も、フランケンシュタイン症候群も、ロボット開発から外してしまう」
 ということも考えられる。
 今の政治家などであれば、
「研究費にここまで使って、成果が出ないというのは非常に困る。何か一つでも成果が欲しいということを考え始め、これまでのバイブルを無視するようにでもなってくると、本当に人間のためになるのだろうか?」
 ということになるのではないだろうか?
 だから、ロボット工学というものが、
「そもそも、発展しなかった」
 というのは、あくまでも、想像であるが、こういうところから来ているのかも知れない。
 そこまで難しい問題ではないが、橋爪は、最近仕事で、
「地元愛」
 というものに関係したことをするようになった。
 大学卒業後に入った会社を辞めて、35歳の頃に再就職したのであるが、その会社が、地元のイベントを行うようなところだったのだ。
 最初の頃は、地元企業ということで、あまり、気乗りはしなかった。地元企業が嫌というわけではなかったのだが、
「あまりにも、地元への入れ込みが大きいことで、子供の頃に育った田舎のイメージを思い出したのだ。
 今は、あれほどの田舎ではないが、逆に、
「中途半端な都会」
 だったのだ。
 本当の田舎であれば、嫌気が差して、何があっても、都会に赴くという感覚なのだろうが、その思いは、高校生の頃に急に感じたことだったのだ。
 父親が、仕事とはいえ、中途半端な都会を回っているので、ド田舎の街から比べれば、
「少々の田舎でも、都会なんだ」
 と思っていたのだが、その頃になると、
「どうしても反発する」
 という気持ちの強さから、
「父親のいる都会ではなく、大都会に出たい」
 ということで、
「田舎者がいきなり行くのは怖い」
 という思いもあったが、実際に行ってみると、
「本当に怖いところ」
 なのであった。
「怖い」
 という意識を自分の中で持ってしまうと、最初にあれだけ、
「親父よりももっと上でやりたい」
 という気持ちからの東京だったのだが、実際に行ってみると、
「自分が一人で孤立している」
 ということが分かってくる。
 そう思うと、
「どうして、俺はこんなところに飛び込んだのだろう?」
 と、まるで、怖いと分かっていて、飛び込みプールの飛び込み台の上に、最初からいたような気がするのだ。
「ここまで来て、逃げるわけにもいかない」
 という思いがある。
 だが、下を見ると、おそろしいし、後ろを振り向いて、元の位置に戻るのも恐ろしい。
「まるで、吊り橋の、ど真ん中にいるような感覚だ」
 ということで、
「前に進むのも後ろに戻るのも、どっちも嫌だ」
 ということになる、
 すると、
「どっちが、何かあっても後悔しないか?」
 と思うのだった。
 しかし、何かあった時は、すでに、後悔もできないところまで来ているのが分かっているのに、それでも、こんなことを思うというのは、
「どちらにもいくことができない、そんな自分であっても、どちらかを選ばなければいけない」
 という感覚は、破滅が分かっていて、その理由を考えなければいけないという、まるで、
「あの世への渡し賃である六連戦を、持っているか、持っていないか?」
 ということになるのではないだろうか?
 吊り橋の真ん中で、
「先に進むか、後戻りするか?」
 どちらかを考えると、橋爪は、
「元に戻ると考えるだろう」
 理屈づけての考えであった。
 例えば、どこかに観光で行った場合、途中に吊り橋があったとして、そこの途中から急に風が吹いてきて。自分は、高所恐怖症だ」
 という設定だということにしよう。
 すると、どちらに進むのがいいかを考えた時、最初に見ると、
「前よりも、後ろの方が遠く感じる」
 という錯覚に陥るのだと、自分で分かっていたとすると、後ろに下がる方がいいと考える。
 確かに、後ろを振り返るのが、危険な場合はそうではないだろうが、普通に振り返ることができれば、必ず、
「後ろに戻る方が近い」
 と感じるだろうと思うのだった。
 実際に戻る方がいいのだろうが、その時の理屈として、
「前に進んだとして、帰り道がここしかない」
 ということであれば、再度危険を犯さなければいけないということになる。
 それを思うと、
「来たところを戻るだけでいいではないか?」
 と、かなり早い段階で気づくはずだ。
 そう思うと、急に安心感が出てくるのだ。
 それは、自分が想像以上に、冷静であるということが、自分で分かっているということであろう。
 そもそも、吊り橋という恐怖を煽る場所なので、どこまで冷静な判断力を持つことができるかということなのだろうが、実際に吊り橋の上にいるというシチュエーションができるかどうかでもある。
「想像するだけでも恐ろしい」
 ということで、それこそ、
「想像を絶する」
 ということである。
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次