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「何か思い出したんだけどな。幼い頃の今までに思い出せない記憶だったものだ」
 と感じるのだった。
 その時、
「子供の頃の父親に対しての記憶がよみがえれば、父親の気持ちが分かってくるんだろうか?」
 とも感じるが、
「どうもそんな感覚でもないようだった」
 というものであった。
 そもそも、幼児の頃の記憶が乏しいということは、中学生の頃から気になっていることであった。
「僕の記憶は、途中からしかないんだ」
 というのは、友達の家に遊びに行った時、友だちが、
「小さい頃のアルバムなんだよ」
 といって、見せてくれた時のことだった。
 一枚一枚解説をつけてくれるのだ。
「これは、三歳の時に、家族で遊園地に行った時」
 だとか、
「小学生になった時、動物園に行った時の写真」
 という形で教えてもらった時だった。
「あれ? そういえば、僕の記憶その頃ってないんだけど?」
 というと、
「確かに子供の頃の記憶って、なかなかきっかけがないと思い出せないけど、僕もかくいうそうなんだよ。だけど、こうやって、昔の写真なんか見ると、勝手に記憶によみがえってくるんだよな、それが楽しいし、嬉しいんだ」
 というではないか。
 その話を聴いて。
「そういえば、僕は、子供の頃の写真を見た記憶がないな。どんな顔をしていたんだろう?」
 自分の顔というのは、鏡などの媒体を使わないと、普通は見ることができないものだ。
 ということは、
「こういう写真を見るのが一番なんだろうな」
 と思うと、写真に思い出として残しておくという感覚が分かる気がした。
 だが、今などは、写真に写るのが嫌である。
「写真は、見るのはいいけど、映るのは、どこか嫌だな」
 と思うのだった。
 その理由がその時まで分からなかったのだが、友達の写真を見せてもらって、見ることの楽しさを知ると、果たして家に写真が残っているのかが気になっていたのだった。
 ただ、何年か前、つまり、小学5年生の頃くらいだったか、だしぬけに、
「小さい頃の写真を見てみたいな」
 と言ったことがあった。
 それは、本当にだしぬけで、
「なぜあんなことを言ったのか、自分でも分からない」
 と思ったものだった。
 だが、その時は母親から、
「あなたの小さい頃の写真、ないのよ」
 と言われたことがあった。
「ひょっとして、お母さんが忘れているだけか、あるいは、見せるのが面倒くさいと思っていたか何かで、本当はあるけど、ないと言ったのかも知れない」
 と感じた。
 そして、
「その言ったことすら忘れているとすれば、ワンチャンあるな」
 と思ったとしても、無理もなかった。
 そこで、前に聴いたことがあったという感覚を完全に消して、
「僕の子供の頃の写真、見たいんだけどな」
 と、今度は少し強めに、そして、
「写真があるべきもののはず」
 という意識で、聴いてみた。
 すると、
「ああ、あそこの引き出しにあるわよ」
 というではないか。
 母親は、この質問をされることを予期していたからなのか、それとも、別に余計な意識を持たずに答えただけなのか、簡単に教えてくれた。
「どこなんですか?」
 と聞いてみると、
「ほら、そこよ」
 と、まるで、最初から聞かれることが分かっていて、そこに置いたという感じにも見えなくもなかった。
「どれどれ」
 といって見てみると、そこには、きれいなアルバムが、立てかけてあったではないか。
 橋爪はそれを取ると、中を開けた。ビニールの感覚が静電気を帯びているようで、少しビリビリする感覚があった。
 中を開いてみると、
「アルバムはキレイなのだが、写真は、少し手荒く並べられている」
 ただ、時系列になっているようで、何枚も可愛い男の子の写真が出てきたのだ。
「これが俺なのか?」
 と感じたのだが、最初が信じられなかった。
「こんなにかわいい子供が映っていて、自慢したくなるような写真なのに、どうして写真がないなんて言ったんだろう?」
 という思いと、見ているうちに、次第に何かの違和感があることに、気付いてはいたが、その理由までは分からなかったのだ。
 そのうちにすぐに分かってきた。
「ああ、お母さんの姿が一枚も写っていない」
 ということであった。
 もちろん、父親の姿もなく。すべてが自分の写真だけだった。
「ねえ、どうして、お父さんとお母さんが映っていないのかな?」
 と聞くと、
「ああ、お父さんもお母さんも、写真に入るのが嫌いなのよ」
 というではないか。
「お父さんが映っていないのは分かるけど、お母さんが映っていないというのはね、確かお母さん写真好きじゃなかったっけ?」
 と聞くと、
「写真に写るのが好きになったのは、今だからなのよ。昔は、本当に写真に取られるの、嫌だったわ」
 ということであった。
「お父さんもそうだったの?」
 と聞くと、
「さあ、どうだったかしら?」
 と、言いたくないという雰囲気で答えたのだった。
 その様子を見ていると、
「お母さんは明らかにお父さんを鬱陶しいと思っているんだわ」
 と感じていた。
 今だから思うのだが、自分が、思春期に入った頃、夫婦仲は最悪だったような気がする。
 一度だけだったが、
「お父さん、本当に嫌いなのよ」
 と言っていた。
 別に喧嘩をしている時ではなく、ぼんやりと何かを考えている時で、
「お母さんはお父さんが嫌いなんだ」
 と思ったのだった。
 理由は聞かなくても、
「何でも平均的な人間を好きだという父親に嫌気が差したのではないか?」
 と、橋爪は感じていた。
 ただ、お父さんも、一時期。
「お母さんの、あの優柔不断さが嫌いだ」
 と言っていたような気がした。
 しかし、二人の様子を見ていると、
「これは時間の問題だ」
 と思っていたが、いつの間にか仲直りをしたのか、お互いに何も言わなくなったが、ただ、ぎこちなさだけは感じられたので、安心したわけではなかったのだ。
 実際に、ぎこちなさを漂わせていると、子供にとって、神経質になってしまった。
 実は、普段思い出すことのない幼少の頃のことを思い出したのが、
「夫婦間の歪み」
 と言えるような感覚に陥った時であったのだ。
 幼少の頃というのは、
「本当に記憶にはないのだが、見たという意識だけはある」
 と感じた時、最初はどこでだったのか、そのことにピンときた時。その時に、アルバムのことも一緒に聴いて、ピンときたことを忘れてしまうという、悪循環に陥ったのだった。
 というのも、その時思い出したのが、
「夢の中ではなかったか?」
 というこの発想は、普通なら誰もがすぐにでも思い出すことのはずだった。
 しかし、それをすぐに思い出せないということは、その思いが、すぐに打ち消されてしまうのだ。
 これを感じた時、
「人間というのは、実にうまくできている」
 と思うと、
「都合のいい時だけ思い出して、都合の悪いことは忘れる」
 というのが、人間の本性なのではないだろうか?
 それが、考え方として、
「人間が、無意識のうちに、すべての可能性を考えられる秘訣なのではないか?」
 ということであった。
 前章における、
「ロボット工学三原則」
 の、ロボットにはできない、
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次