小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

平均的な優先順位

INDEX|11ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 ということは、昔ならできていたことでも、今の時代はできないといってもいいだろう。
 結婚していれば、
「家族を養うだけで精一杯」
 ということになり、結婚していない人は、
「今の給料で、結婚して、子供を作ったとしても、養っていけない」
 ということになり、さらに、子供を苦労して育てたとして、子供が、
「家を継がない」
 といってしまえば、終わりではないだろうか?
 それを思うと、
「子供と親の確執というのは、今に始まったことではないのに、子供が家を継いでいるということも結構あったりする。それにもいくつかの理由があるだろう」
 ということであった。
 一般企業に就職したはいいが、人間関係に行き詰って、結局会社を辞めて、実家に戻って、
「家を継ぐ」
 ということも結構あるだろう。
 これは、人から聞いた話であったが、家が医者をやっているのだが、本人は、
「家を継ぐつもりはない」
 ということで、大学も経済学部を卒業し、普通に就職をしたのに、2年で会社を辞めて、何と医学部を受けなおして、まあだ、4年間大学で勉強し、卒業後、医者を目指すということをしたやつがいた。
 サラリーマンであれば、この間の数年間は、出世などという意味でいくと、かなりの遅れになるのだろうが、医者というものであれば、そこまではないのかも知れない。
 ただ、せっかく就職した会社を辞めて、再度大学に入学しなおしてという、まったく違った人生を、数年、棒に振る形でやっていこうというのだから、
「勇気がある」
 というだけで、片付けられるものであろうか。
 実際に、その人は、そのまま医者になって、家を継いだようである。
 ただ、その話も、省吾が学生時代から、20代の頃くらいの話だったので、今から十数年前というくらいだっただろうか。
 親が子供を、
「マインドコントロールする」
 ということまではいかないのかも知れないが、それに近い形というところで、昔聴いたことがある話を思い出した。
 実際に文庫本でも読んだことのあるものであるが、
「ロボット工学三原則」
 というものに絡んだSF小説だったのだ。
 要するに、
「ロボットというものは、人間がコントローラを使ったり、実際に乗り込んで操縦するというものか、人工知能のようなものを持っていて、いかにも人間に近い頭脳として、自分で考えて、判断ができて、それで行動に結びつけることができる」
 という2種類があるだろう。
 さらに、別の見方であれば、
「人間を改造することによって、強靭な肉体を手に入れる。あるいは、強靭な肉体の中に、生身の人間の頭脳を移植する」
 というような考えであったり、逆に、
「最初から肉体も辞脳も、人工のものであり、それをうまく整合性を持たせるか?」
 というようなもので、
「前者が、サイボーグ、後者を、アンドロイド」
 という風にいえば、分かりやすいのかも知れない。
 どちらにしても、問題は、
「人間と同じ感情」
 なのである。
 もし、感情を持つか持たないかということになれば、どうなるか?
 もし、感情がないということになれば、
「この状況では、こうする」
 というテンプレート的なことしかできなくなってしまう。
 そうなると、すべての可能性に対し、その次に怒る可能性を網羅しなければならなくなり、そんなことは、
「フレーム問題」
 で解決できないということで、不可能と言われている。
 つまりは、世の中における、
「すべての可能性」
 というのは、
「無限」
 という言葉と同意語なのである。
 そうなると、問題になってくるのが、
「フランケンシュタイン症候群」
 というもので、
「ロボットが、人間を支配する世界」
 という世界の創造であり、それを避けるために、考えられたのが、
「ロボット工学三原則」
 というものであった。
 その発想が、元々は、
「SF小説を書くネタ」
 であっただけなのだが、
 それが、研究されるようになり、今では、
「ロボット工学のバイブル」
 というようなことになっているのであった。
 フランケンシュタインも、そもそも、物語であり、
「理想の人間をつくろうとして、怪物を作り出してしまった」
 という話であり、
「ロボットには、絶対に人間を襲ったり危害を加えないようにしたり、さらには、人間の命令には絶対に服従する」
 という機能を入れておかないと、いつ反乱を起こして、人間と敵対しないとも限らないだろう。
 そもそも、人間ができないことをロボットにしてもらおうということで、人間よりも強靭に作っているのだから、人間に歯向かってくれば、人間に勝ち目があるわけもない。
 この発想が、SF小説としての、
「フランケンシュタイン博士の作った怪物の物語」
 だったのだ。
 SF小説として、今度は、
「ロボット工学三原則」
 というのを盛り込んだ話が考えられたのだ。
 この三原則というのは、
「人間に危害を加えてはいけない」
「人間の命令には服従しなければならない」
「ロボットは、自分の身は自分で守らなければならない」
 というのが、ざっくりとした三原則である。
 しかし、実は、この三原則には、大きな矛盾というか、欠点があった。
 それが、
「優先順位」
 というものであり、それぞれに、その矛盾を抱えているところを解決させる必要があったのだ。
 例えばであるが、
「ロボットは、人間の命令に服従しないといけないというが、もし、その命令が、誰かを殺せという命令であったとすれば、人に危害を加えてはいけないという条文に違反しているわけなので、どっちが優先するのだろうか?」
 ということである。
 人間の頭脳で考えれば、
「人に危害を加えないというのが、最優先だ」
 ということが分かるだろうが、ロボッとに果たして分かるだろうか?
 分かるわけがないので、
「第一条から優先順位の高いものを並べ、次の条で、前の条に抵触しない場合うという但し書きが必要になる」
 あるいは、それを人工知能に組み込むことになるのだが、ただ、前述のように、
「すべての可能性」
 ということを考えると、同意語として、
「無限」
 ということになるのだとすれば、優先順位も、無限にあるということになり、
「そもそもの三原則というものが、ありえない」
 ということになるだろう。
「ロボット工学三原則」
 という問題は、
「優先順位の問題だ」
 といってもいいのかも知れない。

                 地元愛

 橋爪は、最近気になっていることがあった。
 それは、
「自分の記憶が、10歳以降しかない」
 ということであった。
 普通、記憶喪失でもない限り、ある時から過去の記憶を思い出そうとしても、ぼやけてしまうのだ。
 ただ、思い出そうとしなければ、急に記憶がよみがえって、意識が通じるようなことがあるのが不思議だった。
 というのも、ふと、赤ん坊の時の記憶であったり、幼稚園の頃の記憶と思しきものが、急に記憶としてよみがえってくるのだった。
 その時、いつも、
「あっ、思い出した」
 という意識になるのだが、次の瞬間、忘れてしまっているのだ。
作品名:平均的な優先順位 作家名:森本晃次