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元ソーリ暗殺未遂

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「民主主義の限界」
 を考えた時、
「社会主義という考え方は、さらに上を行っている」
 ということは、間違いにない発想だったであろう。
 しかし、実際にやってみると、かなり難しかったのは間違いない。
 絶対的な条件として、
「国家が国民よりも強くなくてはなりたたないものだ」
 ということだからである。
 だから、社会主義を批判する国民が一人でもいれば、それは危険なのだ。
 民主主義であれば、過半数以上の人がいれば、それ以外の人は無視しても、一切関係ないということだからである。
 もちろん、これは極端な話であるが、そんなに無茶な話でもない。そういう意味では、
「主義を守るということで、過半数という考え方は、実に都合のいいものだ」
 といえるのではないだろうか。
 ただ、民主主義はそれでもいいのかも知れないが、社会主義はそうはいかない。
「過半数」
 などという考えは、政治を行う上では存在しない考えだ。
 つまりは一人の独裁者によって、国の方針が決められ、絶対な権力を持っていなければならない。そうでないと、企業をすべて国営にしたり、多数決で決められないということになれば、独裁者が存在しないと成り立たないことくらい分かりそうなものである。
 かつての、
「帝国主義国家」
 というのは、そのほとんどが、それと似た国家ではなかったか。
 国家元首として皇帝や国王がいて、
「接待的な権力を持って、君臨している」
 のである。
 日本であれば、天皇ということになり、そもそも日本は、天皇中心の、国内体制としては、
「中央集権国家」
 だったではないか?
 確かに、天皇中心の国家になってしまうと、
「天皇に、都合のいいことしか伝えずに、天皇から、慕われるような、実に都合のいいことを吹き込む男が数人いれば、国家は乱れるというものである。それが、特権階級と呼ばれる政治家であり、日本の場合はさらに、
「軍が独立していた」
 ということなので、軍国主義として、軍の独占先行が、そのまま国家の存亡にかかわってくることになったのだ。
 よくよく考えてみると、これは、社会主義と似ているのではないか。
 国民の自由を奪うことで、国民は何も知らされず、さらに悪いことに、戦時下で、政府が国の状況を知らされないという時点で、外交なども、うまくいくはずもない。
 外交としては、
「何とか和平を」
 といっているのに、国内は軍は、
「徹底抗戦」
「一億総火の玉玉砕」
 などということを言って、国を指導しているのである。
 こんなまったく統制の取れていない国家のいうことを、まともに他の国が利くはずもない。
 このような状態にしたのは、ある意味、明治政府を作った、前述の、
「大日本帝国憲法における、天皇の統帥権」
 だといえるのではないだろうか?
 戦争が終結して、占領軍が入ってきて、
「極東国際軍事裁判」
 が行われることになった時、一番の問題は、この、
「天皇制」
 という他の国にはない制度と、裁判における、
「天皇の戦争責任」
 だったのだ。
「戦争責任が、天皇にあるかどうか?」
 つまりは、
「天皇がどこまで知っていたのか?」
 ということである。
 それには、当然、大東亜戦争だけでは、解決できるわけはない。少なくとも、満州事変にさかのぼる必要があるだろう。
 本来ならもっと昔にさかのぼるべきなのだろうが、そうなると、
「ペリー来航」
 ということになり、
「あまりにも莫大である」
 ということと、
「ペリー提督がアメリカだった」
 ということから、アメリカにまで、被害が及んでしまうのではないかという危険性があったことで、アメリカは、
「せめて、満州事変」
 というところまでしか坂野ブルことはできなかったのであろう。
 それを思うと、
「天皇の戦争責任を裁く前に、戦争犯罪者からの事情聴取が必要」
 だったのだ。
 しかし、日本において、戦争が終わっても、
「天皇は絶対」
 であり、逮捕された人たちも皆気持ちは、
「天皇を戦争犯罪人にしてはいけない」
 ということであったのだ。
 天皇を戦争犯罪者にしてしまうと、どうなるかということは、裁判を行う側でも検討が行われていたことだろう、
「天皇を処刑にでもすれば、それまでの国民のよりどころがなくなることになり、暴動が起きたりなどして、占領計画が先ゆかなくなる」
 という苦言もあった。
 しかし、逆に、
「見せしめにしないと、また軍国主義で、天皇を中心とした、国家に立ち戻る可能性は十分にある」
 ということで、その妥協案としてて、憲法のスローガンを、
「国民主権」
「基本的人権の尊重」
「平和主義」
 という柱にあったのだ。
 最初と最後が、軍国主義への戒めであり、基本的人権の尊重というのが、民主主義の基本として、盛り込まれたのだろう。
 そこでの妥協案として、
「天皇を象徴とすることで、国民感情を煽ることをせず、民主主義の考え方を植え付けることを選んだ」
 ということだろう。
 一つには、
「ソ連の動向が大きな問題」
 といえるのではないだろうか?
 朝鮮半島の問題もあったことだし、日本の統治でぐずぐずしていては、まわりのアジア諸国の元植民地が、独立運動をしていることもあり、早く進める必要があったのだろう。
 ぐずぐずしていると、
「独立した国家が、社会主義にならないとも限らない」
 という危惧もあったのだろう。
 それを考えると、
「まずは、日本を統治しないと、周辺諸国の動向を考え、日本を拠点に、周辺諸国に対しての影響力を強める必要がある」
 ということでもあったのだろう。
 特に、欧州での、ドイツやポーランドにおいて、ソ連の動向が強気であることから、アジアにおいては、
「アメリカが主導権を握る」
 ということが必要であるということなのだろう。
 それを思うと、早く日本を落ち着かせる必要があるということで、軍事裁判も、昭和23年までに片付けたのは正解だっただろう。
 その翌年くらいには、アメリカが恐れていた共産主義の国が、中国に出来上がり、(もっとも、アメリカが中国の国民党である蒋介石への援助を辞めたから、こうなったので、自業自得ともいえなくもない)それによって、アジアの情勢が変わっていった。
 インドシナ問題しかり、インドネシア問題もしかりであった。
 ただ、一番の問題は、ほぼ同時期に、朝鮮半島において、元々、
「北部をソ連が、南部をアメリカが」
 ということで起こった、
「分割統治」
 という問題が、今度は、
「分割国家の独立」
 ということになったのだ。
 しかも、北部はソ連による社会主義国、南はアメリカによる民主主義国と、まるで、
「絵に描いたようなベタな展開」
 によって成立した国は、北部の、
「統一国家を作りたい」
 という意思によって、
「南部への侵攻」
 という戦争勃発になったのだった。
 そもそも、アメリカの進駐軍は、
「日本統治に必死で、韓国に武器の供与を何もしていなかった」
 という。
 旧日本軍が放置した旧式の武器だけが頼りだったが、それで抵抗できるわけもない。戦闘機など一機もない状態で、ソ連から最新式を供与された北朝鮮軍に対して勝ち目などなかったのだ。
作品名:元ソーリ暗殺未遂 作家名:森本晃次