小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

元ソーリ暗殺未遂

INDEX|15ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 それだけの巨額な費用が動くということだが、本当にわりに合うのだろうか。
 もっとも、殺し屋などとなると物騒であるが、今回の事件は、そういう意味では、何か中途半端であった。
 要人を暗殺しようとして、失敗する。そこまではしょうがないのかも知れないが、そのわりに、犯人を逮捕することもできない。
「犯人を逮捕するよりも、肝心の元首相の命を助けることが一番だ」
 ということであれば、今回の事件は、
「命が助かっただけでも、正解だ」
 といえるであろう。
 だが、犯人は、まるで煙のように消えてしまった。
 確かに、防犯カメラがあるから、そこから犯人を見つけるということは、昔に比べれば、はるかに楽なのかも知れない。
 しかし、明らかに昔ほど、捜査が簡単ということではない。警察権をいくら持っているとはいえ、個人の権利、特に人権というのは、大きなものだった。
 昔の1970年代に流行っていた、昔の刑事ものと、今とでは、同じドラマであっても、その様子はまったく違っている。
 これは刑事ものに限られたことではないが、何と言っても、ところどころのシーンがまったく違い、今昔のドラマを見たら、
「なんという原始的なドラマなんだ?」
 であったり、
「いつの時代なんだ?」
 と思うかも知れない。
 まずは、昔のドラマを今見た人で、
「これはアウトでしょう」
 といえるシーンとして、一番大きな問題は、
「タバコが出てくるシーン」
 ではないだろうか?
 まず、何と言っても、取調室などの灰皿お上に、山のような吸い殻が捨ててあり、下手をすれば、灰が、机の上にぼとぼとこぼれているようなシーンである。
 さらに、取調室でそうなんだから、刑事課の部屋もタバコが充満している。シーンとしてひどいところでは、刑事が、事件を追いかけて聞き込みなどをする時、ヤバい人たちの事務所であったり、雀荘などというところは、蛍光灯のあかりが、煙で白くもやっているような光景を見ただけで、今の人は、頭が痛くなるという感じではないだろうか?
 しかも、昔の刑事が張り込みなどをしているシーンでは、普通は咥えタバコをしていて、容疑者が動き出したシーンなどで、刑事がタバコを、道にポイ捨てするシーンがあり、それを革靴で、もみ消しているのである。
 今だったら、一発、
「条例違反だ」
 ということになるのだろうが、昔であれば、こんなシーンを、
「恰好いい。刑事に憧れる」
 などといわれたものだった。
 刑事課長が、窓ガラスのアコーディオンカーテンを指ではじくシーンを、意味もなく格好いいといっていた時代に似ているのだ。
 あの頃というと、タバコを吸ってはいけない場所というのは、基本なかった。禁煙という感覚がなかったのだ。
 さすがに、重病人がいるような病棟で吸うなどはいけなかったかも知れないし、学校の教室もまずかっただろう。
 しかし、教員室は平気で吸ってもよかったのだ。要するに、
「受動喫煙防止法」
 ができる前に、パチンコ屋であったり、飲み屋の状態であった。
 他の場所で吸えないから、パチンコ屋で吸っているやつは、相当態度がでかい。
「ここで吸って悪いのかよ」
 と、まるでやくざ顔負けだった。
「俺たちはただでさえ迫害されているんだ」
 と言わんばかりの態度に、見ていて、情けないとしか思えないと皆が感じていることを、そんな連中が、分かるはずもないということであろう。
 何しろ、
「タバコを吸ってはいけない」
 などという意識はなかったのだ。
「副流煙という、自分から出した煙以外で、肺がんなどの病気に罹る人の方が、普通に吸っている人間よりも確率が高い」
 ということが証明され始めてから、本来であれば、全面禁煙にすべきところを段階的に禁煙になっていったわけで、それを、
「迫害を受けている」
 などという大きな勘違い野郎がいるから、ここまで来るのに、30年もかかったのではないか。
 さて、タバコ以外にも、捜査の上で、明らかに変わったことがある。それが、取り調べなどに関してのことだった。
 以前であれば、警察の中の奥にある、密閉したところで、
「脅迫」
「拷問」
 そんな感じの取り調べが行われていたということもよく聞く。
 前述の、タバコもそうだったが、昔のドラマなどの取り調べを見ていると、本当に、
「やくざ顔負け」
 という所業が多かったりした。
「ブリキで豆電球を覆ったようなスタンドのライトを顔の前に持っていって、相手を眩しくさせたり、椅子を蹴り飛ばして、その場にこかせて、顔を踏みつける」
 などということも実際に行われていたのだ。
 戦時中の特高警察などほどではない。さすがに特高警察などは、本当にひどかった。腕を縛って、中刷りにして、竹刀のようなもので殴りつけたり、本当にひどい時には、ペンチで爪を剥いだり、タバコの火を押し付けるというような、
「根性焼き」
 と言われるようなことがあったりしたという。
 しかし、さすがに民主警察になると、そこまでのことはなかったが、実際に行われていた取り調べは、今の人間から見れば、
「拷問でしかない」
 といってもいいだろう。
 要するに、
「起訴するだけの証拠がないから、自白に持ち込む」
 というものであった。
 ただ、そうなると、自白させられ、実際に起訴され、裁判になって、結局、その後に、自白したということで、証拠として採用されてしまうと、実刑になりかねない。
 しかし、その後の捜査で、
「別人が犯人だった」
 ということで、元々逮捕された人が、
「冤罪だった」
 ということで、世間が騒ぎ出すなど、結構あっただろう。
 逆に、かしこい弁護士がいれば、
「なるべく早く自白して、起訴させて、裁判になれば、今度は裁判所で、自白を強要されたといえば、警察の心証が悪くなるので、こっちのものだ」
 といって、わざと自白させるパターンが多くなってくる。
 そうなると、警察側が、一生懸命に白状させたことが水の泡になってしまう。
 もちろん、正攻法で、自白させた場合のことであるが、被告から、
「取り調べの時、拷問を受けて、自白させられた」
 などといえば、警察の取り調べがどういうものだったのかが、密室で分からないだけに、警察も、
「正しい取り調べだった」
 と言えないのだ。
 被告の方がそういえば、自白の効力が一気になくなってしまう。下手をすると、証拠は、物的なものが一つもない、
「状況証拠だけ」
 ということになれば、まったく最初からやり直しになる。
 下手をすれば、無罪にならないとも限らない。
 日本の法律では、
「一度判決が下った案件に関しては、同じ内容の再審理は行わない」
 という、
「一事不再理の法則」
 というものがある。
 だから、一度、無罪というものが確定すると、その後、いくら絶対的な証拠が出たとしても、その人が裁かれることはないということになるのだ。
 だから、取り調べというのは、非常にムスカしい。
 いかに判決を正しい形で行わせるか?
 これが、今の時代に求められているものなのだ。
作品名:元ソーリ暗殺未遂 作家名:森本晃次