小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

パンデミックの正体

INDEX|19ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

「ああ、そういうことらしいんだけど、詳しい理由は知らないんだ。警察が頑なに理由を言わない。あるいは、警察でもその理由について分かっていないんじゃないかな?」
 と、梶原先生は答えた。
 確かに、遺書のようなものはなかったという。中には遺書のようなものを書かずに自殺をする人もいるが、その場合は衝動的な場合が多いというが、この場合は服毒である。毒を用意しておいたのだから、
「衝動的ということはないのではないか?」
 という意見が多かった。
 なるほど毒を持っていたのだから、衝動的ということはないともいえるが、
「いつ実行する」
 という意思もなく、ただ、
「死にたい時に死ねるように」
 ということで、毒を持っていたのだとすれば、ひょっとすると、自殺を思い立ったのが、その日だということで、実際に自殺を思い込んだ瞬間は、衝動的だったと言えなくもないのかも知れない。
 そんなことを考えてみると、
「衝動的じゃなくても、遺書を残さない人もいるからな」
 と若先生阿言った。
「どういうことだい?」
 と梶原先生が聞くと、
「自殺を試みるというのは、実際に本当に恐ろしいことで、死ぬぞ死ぬぞ、とずっと思っていると、怖さというものは、どんどん膨れあがっていって、死にきれないことも多いんじゃないかと思うんだ。ほら、よくいうだろう? 死ぬ勇気なんて、そう何度も持てっこないってね」
 と若先生が言った。
「確かにそうかも知れない。ずっと思っていることでも、思い立った時にできなかったら、どんどん現実に引き戻されて、死ぬのが怖いと思うようになるのかも知れないな。だから、リスカの時のためらい傷などというのも、そういうことなんだろうな」
 と、梶原先生は言った。
「そのああたりは難しいことだと思うんだよ。しかも、相手はまだ思春期の、それも女の子だろう? 何をどう感じたから毒薬を所持しながら、最終的に市を選ぶ気になったのかというところは、ちゃんと考えてあげないといけないことなんじゃないだろうか?」
 と若先生がいうと、
「そういえば、お前のところではどうなんだ? 美亜さんが自殺未遂をしたということは、当然、情報としては流れているんだろう?」
 と梶原先生にいわれた若先生は、
「ああ、そうなんだけど、家では、その話は出てこないんだ。親父が知らないわけはないと思うし、当然、警察だって、そのあたりの捜査をするだろうから、聞き取りくらいは、されていると思うんだ」
 という。
 確かに、最近、警察が訊ねてきたことはあったが、その時はまだ、
「美亜の事件」
 ということが分からなかっただけに、若先生も分からなかった。
 後から話を聴いて、思い返すと、
「ああ、あの時の警察というのは、美亜ちゃんのことを聞きにきたんだろうな」
 と奥さんと、このことについて、ほんの少し会話した程度のことだった。
 その頃は、どんな事件かも知らず、
「ただ、自殺未遂があった」
 というだけしか情報が流れていなかった。
 あの事件が、
「服毒自殺だった」
 などということを聞いたのは、だいぶ後になってからのことであって、
「服毒自殺だなんて、中学生の女の子でそんなことがあるとは、信じられないわ」
 と、奥さんも、本気で怖がっているようだった。
 若先生は、奥さんほどではないが、驚きは隠せなかった。しかし、その割には、
「正直、分からないわけでもないな」
 という思いはあった。
 どういうことなのかというと、
 元々、子供頃いじめられっ子だったことのある若先生には分かっていた。
 いじめられっ子といっても、小学生の頃だったので、そこまで陰湿なものではなかったが、それでも、正直に言って、
「死んでしまいたい」
 と思わなかったと言えば、ウソになる。
 苛めというものが流行ったというべきか、
「小学生の頃の苛めというのは、それほど陰湿なものではなく、ある意味、苛められるには苛められるだけの理由があった」
 ということも少なくなかった。
 時に、若先生の場合はそれであり、
「苛める側も、苛められる側も、そのことを分かっていなかった」
 ということであった。
 確かに、小学生の頃は、
「むしゃくしゃするから苛めている」
 という理由にならない苛めではあるが、苛める方にも。それなりに罪悪感のようなものがあるに違いない。
 中学生くらいになってからの苛めというと、苛める側にそれなりの組織のようなものができていて、そのほとんどが、
「親からの迫害」
 であったり、
「大人からの暴力というもの」
 があり、それらが、積もり積もって苛めに繋がっている。
 ひょっとすると、れっきとした理由をハッキリとは分かっていないまでも、苛めに走る理由を漠然としてでも分かっていて、
「分かっているからこそ、辞められない」
 ということを感じているのではないだろうか。
 そんなことを考えていると、
「中学生の頃、苛めを受けていた子が気になっていたが、なぜ苛められるのか、まったく分からなかった」
 ということを思い出した。
 何か理由があるわけでもない。
「なぜ、その子でないといけないのか?」
 ということも分からない。
「とにかく、思春期を超えての苛めは、わけが分からない」
 というものであった。
 それもそうだろう。
「理由などというものはない」
 ということなのだから。
「ただ、むしゃくしゃして、その時にいつも目の前に、そいつがいるから」
 という理由だということを聞いたことがあった。
「そんな無茶な」
 とは言ったが、何となくだが、分からなくもなかった。
「苛められるのに、理由がないのではなく、理由にできないことであることを自分で認めたくないからなのではないか?」
 と、若先生は、中学時代に理解したのであった。
 そんな苛められていた時代を思い出すと、どこか恥ずかしく、照れ臭くもある。
 それが、中学時代のことだったのだが、その頃に苛めが自分以外のところであったのは分かっていた。
 それがどれほどひどいものであったのかということも分かっているつもりで、そのひどさに舌を巻くほどだったようだ。
 というのも、その頃になっても、苛められていた頃のトラウマは残っていて、まわりに対しての変な遠慮があった。
 まわりの同級生に対しては、
「苛められないようにするには、どうすればいいか?」
 ということを考えるよりも、
「君子危うきに近寄らず」
 ということであった。
 変に近づけば、
「また苛められてしまう」
 という思いと、さらにまわりの大人たちに知られると、余計な騒ぎになり、
「黙っていれば、もし苛められたとしても、時間がくれば、自然と過ぎ去ってくれる」
 という思いがあることから、今度は余計に、大人に対して、
「自分に何かあるというような思いを抱かせないようにしよう」
 と思うのだった。
「自分が、苛められないようにするには、どうすればいいか?」
 ということを自分で分かるようになった時には、もう苛めがなくなっていたというわけであった。
 その割に、トラウマが残っているのは、厄介なことで、
「後遺症」
作品名:パンデミックの正体 作家名:森本晃次