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パンデミックの正体

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 というような気分だったが、先生の目を凝視しているのに、先生は彼女の視線から、自分の目をそらすようなことはなかった。
「これなら、大丈夫かしら?」
 と思った看護婦は、
「先生、本当に大丈夫なんですか?」
 と、念を押すように、そして、その顔を覗き込むようにすると、
「ああ、大丈夫だよ」
 といって、微笑み返した顔に、見覚えがあったことで、
「ああ、これなら大丈夫だ」
 と思ったのだった。
 実際に、翌日からの先生は、完全に生まれ変わったようにてきぱきと動いていた。
 年齢も年齢なので、そのあたりはしっかりと制御してあげないといけないということは分かっていたので、気を付けて見ていたが、
「あれが、この間まで、身体にガタが来たというようなことを言って、なるべく怠けようとしていた人の態度なのかしらね?」
 と思い、自分でもビックリしていたが、その思いに間違いはないようだった。
 看護婦はそれを見て、
「まるで奥さんが乗り移ったかのようだわ」
 と感じると、それだけで、先生が大丈夫なことは分かった。
 思わず、息子さんに連絡をしたが、息子も喜んでいた。
 息子とは、以前母親の葬儀の時に、
「親父に何かあったら困るので、連絡だけは取れるようにしておきましょう」
 ということで、スマホのアプリである。
「LINE」
 をつないだのだった。
「よほどのことがなければ、連絡することはありません」
 と、お互いにいっていたのだが、看護婦の方から連絡があった時、さすがの息子もビックルしたという。
「まさか、親父が後追いとかしないよな」
 と自分に言い聞かせていたが、
「いやいや、そんなことはないだろう」
 と、否定する自分もいた。
 それでもやはり連絡があったわけなので、それなりに、覚悟というものをしたのも間違いのないことだった。
 だが、内容はまったく正反対で、元気な父親の復活した話だったので、喜びよりも、安堵の方が強かったのは、当然といえば当然であろう。
 覚悟まで決めたつもりだったので、一気に身体が楽になった。その瞬間、
「親父に遭っておくか?」
 という衝動に駆られ、家の立ち寄ったのは、看護婦から、連絡をもらった次の日のことだった。
「元気になったんだって?」
 と、気軽に声をかけると、
「ああ、お前にも心配かけたが、もう大丈夫だ」
 と、父親は言った。
「本当に?」
 と聞くと、やはり懐かしい笑顔が見えたので、
「これなら、大丈夫だ」
 と思ったのだ。
 父親が元気になったことで、病院もだいぶうまくいくようになってきた。
 最初こそ、
「親父が大丈夫なら、このまま帰らなくていいか?」
 と、若先生は言っていた。
  半分は冗談なのだろうが、奥さんが睨んでいるのを見ると、半分の本気の方を見透かされたようだった。
 見透かされたといっても、彼は、慌てることはなかった。奥さんの方に従えば、万事うまくいくということを分かっているからだった。
 だからと言って、奥さんに、
「接待服従」
 というわけではない。
「お互いに、リスペクトするところは、しっかりリスペクトをする」
 ということであった。
 つまり、
「自分の意見だけを押し通しても、夫婦の間で決めることを、無理強いしては、ロクなことがない」
 ということを分かっているのだ。
 その教訓を教えてくれたのは、母親だった。
 といっても、自分の口で説明したわけではなく、父親と母親の関係を見ていると分かるというものだ。
 だが、父親の方は、
「俺の背中を見ろ」
 という雰囲気ではなかった。
 母親の方が、控えめであったが、自分を見てほしいアピールをするのだ。
 そう、
「母親が向こうを向いて立っていて、それをしゃがみこんで見上げているところに、首だけを回してこちらを見下ろす時、ニッコリと笑っている」
 というような雰囲気を感じるのであった。
 そういう意味では父親は絶対に振り向かない人だった。
 向こうを向いていて、どういう顔をしているのか想像もつかない。だから、父親の背中しか見えないのであった。
「子供は親の背中を見て育つ」
 といわれるが、
「あんなものはウソだ」
 と若先生は思っていた。
 というのも、
「背中を見るだけではなく、たまに、こっちを振り向いた時の顔を見ながらでないと、自分勝手な解釈に走ってしまう」
 と思うのだった。
「自分一人で解決できないから子供なのであって、背中を見ているだけで分かるくらいだったら、自分で解決できるのではないか?」
 と思えてきた。
 親の世代は、それでも、あくまで、
「親の背中を見て育つ」
 というような教育だったのだろう。
 それだけ、大人は威厳を持っていて、子供が逆らうことができないだけの考え方で、子供を導いていたのだ。だから、叱ることもキチンとできていた。今の時代、叱ることができないのは、
「子供からの仕返しが怖い」
 というのか、あるいは、
「まわりから、体罰だといわれるのが怖い」
 ということなのかのどちらかであろう。
 大人と子供というものの違いを考えた時、
「大人というものをいかに子供が解釈できるか?」
 ということで、今と昔が変わってきたのかも知れないと、若先生は思っていた。
 もっとも、まだ自分が子供も持ったことがないので、その理屈が分からないが、子供を持つまでに自分の考えを証明することができるのか、自分でも想像がつかなかったのだ。
 そんな若先生が、帰ってきてからは、病院の方も落ち着いてきて、それまで、患者の数をある程度制限する形もあったが、それを撤廃することができるようになったのだった。
 それまで、大きな病院に行っていた人も、この病院に流れてくるようになり、簡単な手術くらいならできるようになり、その分、入院施設も、少しであるが、
「術後の様子見」
 というくらいの入院ではあるが、やはりあるとないとでは大違いで、患者も気楽にやってくるようになった。
「大きな病院が近くにあるのに、今だに町医者が人気というのも、面白い傾向だよな」
 と、若先生は言っていた。
「大きな病院は、融通が利かないというか、昔から待たされたり、下手をすれば、たらいまわしにされたり、もっと言えば、紹介状がないと、なかなか受診できないでしょう? そういう意味で、個人病院がまたしても、人気になるんじゃないのかしら?」
 と奥さんは言っていた。
 確かにそうである。
 ちょっとした風邪であったりすれば、個人病院で治療を受けるくらいの方がいいに決まっている。
 本当に長い療養を必要とする病気などは、個人病院では難しいが、ちょっとした病気であれば、融通の利く病院の方が気が楽である。
 特に今は、治療費もバカ高くなってきたので、ただでさえ、
「少々の病気なら、病院に行くのがもったいない」
 と思うのだった。
「政府は一体何をやっているんだ」
 という声が当たり前に聞かれる。
 だってそうだろう。
 昔であれば、被保険者であれば、初診料を払えば、後はタダだった。扶養者で会っても、高くても1割負担くらいの時期があったように記憶しているが、間違いだろうか。
 しかし、今では、被保険者も扶養者も、どちらも3割。
「ちょっとした風邪」
作品名:パンデミックの正体 作家名:森本晃次