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パンデミックの正体

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「人には優しくしたいんだよな」
 と思っている。
 ただ、ここで考える、
「人」
 というのは、万人という意味ではない。
「どうせ、やろうとしたって、できるわけではないんだ。そんなのは、欺瞞でしかない」
 とまで思っている。
 確かにそうだ。
 人それぞれの考え方があるわけで、誰にでもいい顔をしようとすると、少なからずのウソをつかなければいけない。そう、彼女の考えたのは、イソップ寓話の中にある、
「卑怯なコウモリ」
 というお話であった。
 このお話は、
「鳥と獣が戦争をしている時、鳥には、自分には羽根があるから鳥だといい、獣には、自分の身体が毛に覆われているので、獣だといって逃げ回っている」
 というコウモリの話である。
「その後、戦争は終わり、平和になると、鳥と獣は仲直りするのだが、その時に、コウモリのことが話題になった。そこでコウモリを、あいつは卑怯なやつだということになり、表の世界では、ハブられてしまうということで、コウモリは、暗くジメジメした。洞窟の奥で、しかも、夜行性でしか生きられない動物になってしまった」
 という話である。
 確かに、この話は難しいものを孕んでいるのかも知れない。
「逃げ回っていることは決して褒められることではないが、コウモリという動物は、ある意味、鳥にも獣にもなれない中途半端な形で生まれてきたわけだ。一種の障害者のようなものである。自分から、こんな形で生まれてきたかったわけではないのだから、コウモリとすれば、生きるためには、知恵を絞らなければいけなかったわけで、そういう意味でいけば、今の法律に照らせば、違法性阻却の事由といってもいいかも知れない」
 と考えられる。
「違法性阻却の事由」
 というのは、刑法上、殺人などを行っても、例外的に殺人としては認められないというもの。
 つまりは、
「しょうがない場合」
 といってもいいだろう。
 それを、
「違法性阻却の事由」
 というのだが、それには、いくつかあるのだが、代表的なものが、
「正当防衛」
 と、
「緊急避難」
 という問題である。
 これも、いくつかの条件が揃わないと成立しないが、
「正当防衛」
 というのは、一番よく問題になるもので、
「相手が殺意を持って襲ってきた時、こちらは命を奪われないように抵抗した場合、謝って相手を殺害することになっても、それは殺人ではなく。正当防衛で無罪になる」
 ということである。
 つまりは、この場合の焦点は、
「まず、相手に殺意があって、こちらに襲い掛かってきたということ」
 この場合、こちらが煽ったりしていないことが条件であろう。
「謝って相手を殺した:
 つまり、こちらに殺意がなかったということが焦点である。
 もっというと、
「相手がこちらを殺そうとしているのが分かったので、目には目を歯には歯をというような意識で、殺される前に、相手を襲うという先制攻撃は、正当防衛とは言えない」
 ということである。
「あくまでも、専守防衛」
 であり、襲われないと、正当防衛は成立しないということだ。
「緊急避難」
 というのは、
「例えば、乗っていた旅客船が何かの原因で沈没したとしよう。救命ボートで逃げ出した人がいて、その救命ボートが5人乗りだったとして、ちょうど、5人が乗っていて、定員ギギギりだったとした時、近くを泳いでいた人がそのボートに乗ろうと、手を伸ばしてきた時、それを妨害し、その人を見殺しにしてしまった場合などは、緊急避難に当たるのではないか?」
 ということである。
 つまり、
「助けを求めてきたが、その人を助けると、他の全員が、沈んでしまって。全滅してしまうということを示していたのだ。
 この場合は、
「人を助けたことで、自分と助けた人も危険にさらされる場合に、見殺しにした場合は、殺人とは言えない」
 ということである。
 あと、問題として、
「5人がその中で生き残ったとしても、結局食料も少なく、一人でも減れば、それだけ長生きできると言った場合に、誰か一人を犠牲にした場合、緊急避難が認められるかどうかは、判例であったり、その時の裁判員や裁判長の裁量によるのではないだろうか?」
 と思い、
「難しいことであることは間違いない」
 といえるであろう。
 とにかく、法律の中には、必ずといっていいほど、例外規定がある。裁判において、明文化されていること以外にも、
「判例によれば」
 などということで、
「明文化されていないが、過去の裁判において、似たような事例があって、それに従っての判決」
 ということも、十分にある。
 何しろ、
「人が人を裁く」
 のである。そんな簡単に行くわけがないというのは当然のことであった。
 この場合の、
「違法性阻却の事由」
 に関しては、
「人間の感情」
 というものを働かせてはいけないであろう。
 なぜなら、この場合は、どういう結論になろうとも、理不尽さが必ず残るからである。
 もっとも、
「殺人という行為に変わりはない」
 のだから、殺意があろうがなかろうが、結果は絶対に、全体的に診ても、負しか残らないものである。
 殺人にしても、よほど理不尽な形で人を殺さない限り、
「違法性阻却の事由」
 に当たらないまでも、
「殺人には。殺人を行う理由」
 というものが存在するはずだ。
 特に、前述のように、
「殺らければ、殺られてしまう」
 ということで、先制攻撃だった場合もあるだろう。
 また、苛めに耐えかねて、
「もう耐えられない。このままでは自殺するしかなくなってしまう」
 というところまで追いつめられるということだってあるだろう。
 そういう時には、当然、
「情状酌量」
 というものがあり、
「罪の軽減」
 が考えられるに違いない。
 だが、罪は罪であり、執行猶予がついても、有罪には変わりない。
 そういう意味では、
「違法性の阻却」
 であれば、最初から無罪である。
 前科がつくこともなければ、日本では、
「一度、裁判案件が確定してしまうと、二度と同じ罪で裁かれることはない」
 という、
「一事不再理」
 という法則があるのだ。
 そういう意味で、
「違法性の阻却」
 と、
「情状酌量」
 というのでは、天と地ほどの違いがある。
 果たして、それを裁くのも人間なのだから、実に難しいところである。
 特に、
「違法性阻却の事由」
 ということになってしまうと、裁かれなかった方はそれでもいいのだが、原告側とすれば、
「自分の身内、あるいは近親者が殺されたと分かっているのに、実際に見殺しにした人を裁くことができないというのは、これ以上理不尽なことはない」
 といえるのではないだろうか?
 ただ、正当防衛の場合、殺された方は、
「自業自得」
 なのだろうが、
「緊急避難」
 の場合は、そうもいかないだろう。
 ただ、これも考え方として、
「たまたま近くに船があって、助かったと思ったかも知れないが、定員オーバーであるから、助からなかったというだけのことで、もし、船がいなかったら、必然的に死んでいた」
 と考えれば、何も助かった人を罪に問うというのは、却って理不尽なのかも知れない。
作品名:パンデミックの正体 作家名:森本晃次