タイトルの「悪魔」
その女とは、同級生であったが、彼女の方からのアプローチで、女性と付き合うということがどういうことなのかということをあまり意識したことがなかった大谷にとって、彼女は、結構センセーショナルな存在だった。
女性というのは、もう少し、控えめなものだと思っていたのに、彼女の場合は最初からグイグイくる。
「私、あなたのことが好きだから、付き合いたいの」
と自分から告白してきた時はさすがにビックリさせられた。
実は、彼女からすれば、
「あなたは、絶対に私のことを断るとは思えなかったのよ。従順で、私を大切にしてくれるということが分かったから、あなたを好きになったの。そういう意味では、あなたは女性を引き付けるだけの魅力を持っているんだけど、それは、あなたが自分で意図したものじゃないから、あなたは、本当は気を付けた方がいいの」
と彼女は言った。
彼女を見ていると、
「どうも、他人ではないような気がするんだよな」
と感じられた。
その思いがどこから来るのかということは、すぐには分からなかったが、よく考えてみると、懐かしさを、彼女から感じる、潮の香りのような、鉄分を含んだ臭いを感じることから、すぐに、
「ああ、母親のイメージがあるからなのか?」
ということであった。
「彼女が自分に対して取る態度は、きっと、母親が、当時付き合っていた男性にしていた態度だったんだろうな?」
と思うと、母親が、相手の男性に有無の言わせぬ状況に、自分から追い込んでいて、その発言力に、男は逆らうことができなかったのではないかと感じるようになっていたのであった。
そんな母親が、今はだいぶおとなしくなってきている。それは、母親から、隠微な臭いを感じることがなくなってきたからであって、そんな時に現れた高校時代の彼女は、
「忘れかけていたものを思い出させてくれた」
という意味でも、
「決して、彼女と別れることを、自分からはしないだろうな」
と感じさせたのだ。
「彼女と別れるということは、母親を自らで捨てるようなものだ」
という感覚になるからだった。
その彼女と一緒にいる時の自分は、
「束縛されている」
という思いがあったのも事実だが、逆に、
「束縛はされているが、守られていると思うこともあって、気が楽なんだよな」
と自分で思っていた。
束縛されることも、嫌ではない。ただ。もし母親の存在がなかったら、自分のプライドが許さなかったかも知れないと感じたのだ。
「自分のプライドというのが、どういうものなのか?」
ということを自分で、どこまで分かっているというのか、難しいところであった。
ただ、その頃から、
「俺は、Mなんじゃないか?」
と感じるようになった。
SMというものがどういうものなのかということは、高校時代に急激に増えてきた、
「性の知識」
の中で増えてきたのは、当たり前のことだった。
その時に得た、
「性の知識」
というのは、広く浅いものだった。
本当は、中学時代に得るべきものを高校時代になって、それまでなかった知識が、少しずつではなく、一気に入ってきたことで、頭の中で混乱もあったが、それ以上に、
「知識を細かく分ける」
という考え方が生まれてきたのだった。
「整理できないと、欲情が深まるだけで、何を自分が求めているのか分からなくなり、すべての性に対して、肯定的な気持ちになるかも知れない」
と感じた。
だから、性の知識が膨らむことに抵抗はなかったが、できることなら、一つ一つ理解しながらの吸収であってほしかった。
だが、入ってくる知識に、そんな整然としたものはなく、どちらかというと、
「順不同」
が多かった。
それでも、何とか頭の中で理解はしようとしていたのだが、思春期の頃に受け入れるべき知識を受け入れてこなかったことが、少し致命的であったのではないかということが、いまさらながらに、その頃の自分が吸収できない部分が、どうしてもあることを自覚するしかなかったのだった。
だから、高校時代にできた彼女に対しては、どうしても、従順にしかなれず、
「決して、自分が彼女の前に立つことはない」
ということも分かってのことであった。
彼女と、初めて身体の関係になったのは、2年生の頃だった。
彼女は決して急がない。普段は絶えず強引に、自分を前にして、彼が前に出ようとするのを必死に止めていた。
しかし、初めてのその時は、完全に主導権は彼女が握っているのだ。
だから、彼女にとって、別に慌てることはない。まな板の上に置かれた鯉を、いかに料理するかということは、彼女だけに与えられた特権だったのだ。
料理される方に、まったくの権利など存在するわけもない。ただ、調理されるだけのことだったのだ。
「俺はどうすればいいんだ?」
と考えることはできるが、自分に選択権はない。
相手もそのことを分かっているので、何も慌てることはないのだ。
しかし、それだけに、彼女は徐々に本性を現してくる。今までに見たことのない、ギラギラしたその顔は、明らかに、肉食系を表している。
まるで、吸血鬼のように、口を開けると、血を吸う波が並んでいた。恐ろしい形相が目の前に浮かんだかと思い、思わず目を閉じてしまったが、そこで感じた隠微な香り、目を開けると、妖艶な彼女の姿が写っていた。
それは、相手の生き血を吸う、
「吸血鬼」
などではなく。従順な清楚な女がそこにいるのだった。
「これはどうしたことだ?」
と感じたが、
「これが、本当の彼女なのではないか?」
と思うと、二度と、あの吸血鬼の形相を彼女はしなかったのだ。
「なるほど、この本性を現すための、途中の変異のようなものなのかな?」
ということで、幼虫から成虫になる間の、
「さなぎのようなものではないか?」
ということを、大谷は感じたのだった。
それを思うと、
「母親も同じなのかも知れない」
と一瞬感じたことで、その時の自分の覚悟が決まった気がした。
まだ、童貞で、しかも、高校生ということもあり、こんな積極的な彼女を相手にしていれば、
「俺は完全に食われてしまう運命にあるだけなんだろうか」
と感じるだけだった。
しかし、途中までは、
「吸血鬼に食われる女たち」
というイメージを自分に抱いていて、男である自分が、その時だけは、女になったかのような錯覚を持っていたことをその時だけ感じたはずだった。
あの時には確か、
「俺は、二度とあの時のことを感じることはおろか、思い出すこともないんだろうな」
と思った。
なぜ、そう思ったのかというと、
「童貞を失う機会というのは、一度だけだ」
と思うからだった。
これは、処女にも言えることで、一度失ってしまうと、もう、童貞でも処女でもないのだ。
だから、喪失の時は儀式のようなもので、誰もが、一度キリのことを、失う前から、
「神聖なもの」
と思うようになり、さらに、喪失後は、
「新鮮だった」
と感じることであろう。
それを思うと、
「本当であれば、女の隠微な香りを感じている時以外に、童貞喪失の時をイメージすることなんかできないはずなんだ」
と感じていたのだ。