タイトルの「悪魔」
どうやら、母親は彼のことが好きだったようなのだが、よく、まわりから、弟と比較され、
「お兄ちゃんは、お母さん似で、弟さんは、お父さん似ね」
と言われることがあった。
そこには、別に悪気があるわけでもないし、どちらかというと、
「お兄ちゃんは、お父さん似というよりも、お母さんの方に似ていて、弟さんは、お母さんよりも、お父さんの方に似ている」
というだけのことであり、何もどっちも、似ていると言われた相手の反対側と似ていないといっているわけではない。
しかし、母親は、変な意識があった。
「お兄ちゃんは、私が思っているように、私に似ているから可愛いわ」
と思っていたようで、弟のことは、どちらかというと、少し毛嫌いしているくらいだったかも知れない。
子供心に、
「お母さんに好かれて嬉しい」
と思ったのは正直な気持ちで、弟に対して、優越感を持ったのも事実だった。
弟の方は、別に何も感じているわけではない。
その代わり、そんな弟を見て、
「あざといな」
と思ったほどだった。
どれだけ、偏見で見ていたかということなのだろうが、父親も弟も嫌いになったりはしなかったので、家族は円満だったのだろう。
だが、母親が偏見を抱いていたのは、事実のようで、
「お母さんは、僕のことを大切にしてくれる」
ということを真剣に思っていて、
「自慢のお母さんだ」
と、まわりに自慢したいほどだった。
実際に、友達から、
「お前のお母さん、キレイだな」
と言われ、まんざらでもない気分だった小学生の頃だったが、思春期になると、まんざらでもない気持ちだけではなく、母親のことを思った以上に、偏見な目で見ているまわりに対して、
「気持ち悪い」
と感じるようになったのも事実であった。
だが、それは、思春期だったからで、未来永劫、そんな気持ちのままでいるわけはないだろう。
そのことも自分で分かっていたので、母親が、
「海に行こう」
といっても、敬遠するようなことはなく、いつもくっついて行っていたのだ。
しかし、いつの頃だったか、潮の風を感じると、気持ち悪くなってしまうことが多くなった。
「何で、こんな気分になるんだ?」
と考えさせられるのだった。
母親が連れてきてくれる海は、いつも同じ海だった。
そんなに遠くでもなく、来ようと思えば日帰りでもできるのだが、なぜか、いつも同じ海の同じホテルだった。
部屋は毎回違い、表の景色は少し違うのだったが、小学生の3年生から、中学1年くらいまで、毎年の恒例のことだった。
母親も。自分で水着に着替えて、子供と一緒に遊ぶというわけではなく、決して、肌を晒そうともせず、いつも手や足に、時間があれば、白いクリームのようなものを塗っている感覚だった。
小さい頃は分からなかったが、5年生くらいから、それが、
「日焼け止めクリームだ」
ということが分かってきた。
「女性だったら、日焼け止めを気にするのは当たり前」
と言われてはいたが、確かにその通りである。
母親が泳ぎにつれて行ってくれるところは、海水浴場ではなかった。数人の海水浴客が音すれる、いわゆる、
「穴場」
と言った感じであろうか?
あまり、まわりの人と絡むのが好きではない母親だったので、これくらいのことでビックリはしない。
ただ、6年生くらいになってから、海に来た時の母親の雰囲気が違うということは分かってきた気がしたのだ。
というのは、
母親が、夜の自分が寝静まった時間になると出かけていき、朝方のどこかで帰ってくるということが分かったからだ。
小さい頃は、一度寝たら起きなかったので、気にもならなかったが、5年生の時、急に目が覚めて母親がいないことに気づいた時、その時はすぐに気にせず寝たのだが、朝方、食事の時に、
「お母さん、夜中いなかったね」
と、何の気なしという感じで聞いた時、さすがに母親もビックリしたのだろうが、
「ああ、気にしなくて寝てていいんだよ」
と、そっけなく言われた。
子供心に、
「聞いてはいけなかったことだったんだ」
と思ったので、そのまま素直に気にしないことにしていた。
母親も一切そのことに降れようとはしなかった。
母親がどこに行っているのか分かったのは、中学生になってからだった。
学校で、友達に話した時、
「お母さん、不倫なんじゃないか?」
と言われた。
不倫という言葉は知っていたので、顔が真っ赤になったが、それ以上のことはなかった。ただ。
「不倫じゃないか?」
と思うと、それまでのことの辻褄が合ってきた気がした。
悪いことであることは分かっていたが、だからと言って。ここで騒ぎ立てるのは、絶対に違った。
「まさか自分から、公表するなどということをするのもおかしい」
と思い、必要以上に、両親を刺激しない方がいい。
「黙っておくに越したことはない」
と思ったのだが、母親の方としても、息子がそう感じるのは、当たり前だと思っていたのだ。
後で知ったことだが、その不倫相手というのが、彼の顔によく似ていたという。
「なるほど、子供が母親が好きになった父親に似ているということを思えば、不倫相手も、自分の好みで、息子に近い顔立ちなのかも知れない」
と思うと、不倫にしても、自分を一緒に連れだってきたことも分かる気がするのだ。
「お母さんが、そんなにも男好きだったなんて」
と、中学生の頃に母親に対して、今までと違う見方をしてしまっている自分というものに、嫌悪を感じているのも、無理もないことのように思えるのだった。
その時に感じた潮の臭い。そこに、何やら、鉄分を含んだ嫌な臭いがあったのを感じた。その臭いがいかに嫌なものだったのかということは、
「潮の臭いだ」
と感じると鉄分を感じ、
「鉄分の臭いだ」
と感じると、潮の臭いを感じるのは、それだけ、この二つの臭いが、切っても切り離せない気分にさせるのかということを感じさせるからだった。
今回は、きっと鉄分の臭いを感じたことで、潮の臭いを思い出したことで、あの時の湿気がよみがえってきたのだろうが、今思い出せば、あの潮の臭いに感じた鉄分は、
「血液の臭いからだった」
ということは、自分でも分かっているような気がしている。
あの時、血液の臭いを感じたのは、大人になった今では分かる気がした。
「きっと母親の中から滲み出るような、淫蕩な臭いが、身体から出ていたんだろうな?」
ということであった。
彼は名前を大谷慎吾というが、大谷は、もちろん、童貞ではない。今はいないが、かつて彼女もいて、付き合っている時、
「この女、この俺を求めているな?」
というのが、分かる時があった。
明らかに、隠微な香りが身体から、にじみ出ていたからだ。その香りは、どこか血の香りがしてくるのが分かったのだが、それが、
「男にはない女の生理的特徴」
ということなのは、分かっていた気がする。
高校時代から、性に対しての知識が急に増してきたのは、人から聞いたり、SNSなどで得た知識もあったが、高校時代につき合っていた女から教えられたというのが一番大きかっただろう。
その女は、初めてつき合った女性であった。