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タイトルの「悪魔」

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 そんなことを考えていると、
「新たに作り替えるのも、しっかりと計画しなければ、今までの維持どころか、ゴーストタウンになってしまう」
 ということもありえる。
 ターミナル駅というと、もっと賑やかなものというイメージが、
「ただの、終着駅」
 というだけになってしまっては、お金の無駄遣いであり、
「社会悪でしかない」
 といってもいいだろう。

                 第一の殺人事件

 東京からでも新幹線で、5時間はかかる地方都市、ここも、今、中心部は、ビルの建て替えが進んでいる。
 完成予想図のようなものも公開されたが、それを見て、
「おお、すごい。これぞ未来都市」
 などということを感じた愚か者がどれほどいただろう。
 よほどの平和ボケか、発想がお花畑なのかも知れない。
「お金はすべて自治体が出して、一般市民には、負担はかけません」
 と言われたとしても、納得のいくもので会ないだろう。
「こんなもの、時代の逆行でもなければ、誰が嬉しいと思って、やってくるのかね?」
 という雰囲気であった、
 特に最近の街づくりというと、やけに、
「広い空間」
 というものを求めているような気がする。
 実際に、完成図というと、本当の未来予想図というように、かなり加工されて作っている。
「広い空間」
 がまるで、後光が差したかのようなきれいに表現されているから騙されるのだが、実際にできた空間は、ただの蛍光灯で、表の光が差し込んでくるようなものでもなんでもなかった。
 却って、出来上がったものに幻滅するのだが、それでも、作る方は関係ないのだ。
「作ってしまえば、こっちのもの」
 とでも思っているのだろう。
 人によっては、
「次の選挙に影響する」
 とは思わないのだろうか?
 もし、そうだとすれば、その政治家は、
「どうせ、対抗馬は誰もいない。まだまだ少々のことをやっても、俺の天下が終わることはない」
 と思っていることだろう。
 それは、ある意味恐ろしいことだ。
「将来を託すことのできる人が誰もいない」
 ということだからである。
 今の世の中、確かに、政府も、
「一党独裁」
 の時代だ。
 しかも、かつて、
「消えた年金問題」
 に業を煮やした国民が、ちょうど勢いのあった野党に政権を託してみたが、やってみれば、さらに亡国の連中ばかりだったことで、元々の政権に戻った。今の与党の作戦勝ちだったのかも知れない。
 要するに、
「徳川慶喜には、ならなかった」
 ということである。
「大政奉還が失敗した」
 と言えばいいだろうか?
 もっとも、それがさらに亡国への道を確定させたということであり、いつになるか分からないが、
「この国の滅亡の青写真ができてきた」
 ということになるといっても過言ではないだろう。
 普通に物語を続けたいという意思がありながら、どうしても、政府や自治体、国鉄などの、
「悪行」
 を考えると、こんな書き方しかできない自分が、
「勧善懲悪」
 のせいではないか?
 と、考えてしまうのであった。
 そんな今の令和の時代、今まで一番の駅前として賑やかだった場所を中心として、そこから、この土地は、ビルの取り壊しを始めた。今であれば、まだ、他にいっぱい遊ぶところが残っていて、このビルが完成する前に、次々に取り壊して工事に入っていくので、街のほとんどが取り壊された中で、やっと、最初の中心部が完成することになり、それを旗印にようにして、どんどん建ち並んでいくということである。
 だから、最初に取り壊したところが建て替わるまでだけが、一番きつい、遊べるところは、一番駅から遠い当たりということになるので、きっと街に遊びにくる人が一気に減っているに違いない。
 普通に考えれば、
「他がないから、今まで他に行っていた客がそっちに流れるだろうから、一人勝ちじゃないか?」
 などと思っている人がいるとすれば、
「なんと浅はかなのだろう?」
 といえる。
 まさか、当の店の人間がそれを思っているとすれば、それこそ、
「お花畑的な発想
 であり、そんな経営者であれば、どんなに地の利がいいところに店を構えても。その有利さを味方にできないに違いない・
 と言われることであろう。
 それを思うと、
「店主やオーナーがそんなだから、結局儲からない」
 といえるだろう。
「店員を鼓舞するため」
 というのであれば、言い訳としては、しょうがないところなのかも知れないが、結局はその程度の鼓舞の仕方しかできないのであれば、先が見えている。
 要するに、それだけ、
「うちの店員であれば、騙して働かせられる」
 ということである。
 自分の部下を信じていないということだし、、よほどバカだということか、さすがに、ここに至って、店に見切りをつけて辞めていく人も多いかも知れない。
 それくらいのことを言っているのと同じだからである。
 浅はかだというのは、この時期、確かに辞めていく人は多い。実際に、まわりがなくなって、本当に集客できないということは、
「結局、それだけの店でしかないし、客寄せのための努力も企画を考える頭もないということで、気力、知力、体力、すべてにおいて、最悪であり、何よりも、何かをしようとするだけの度胸のない、根性なしだ」
 ということになるのだろう。
 それを思うと、人が減っていかないとすれば、店員も同罪であり、結局店もろとも、崩れ落ちても、そこから這い上がろうとして、他の店に面接に行っても、入れてくれることはないだろう。
 他の店の経営者だって、その店のことを注目していたはずだ、
「潰れるなら、どのようにして潰れていくか」
 ということを見て、
「反面教師」
 として勉強しておかないと、結局、
「明日は我が身」
 だからである。
 となると、まわりの冷静な目で見れば。
「辞めようと思えばいつでもやめられたはず。店側も危機感がなかったから、何の手も打たなかっただろうから」
 と思っている。
 確かに、
「お花畑思想」
 のために、何もしなかったのか、それとも、
「分かってはいるが、何をどうしていいのか分からない」
 という、参謀にも優秀な人間がいないということが、まわりから見て和かった。
 その時点で、
「ああ、あの店にいた人間は、どこに行っても通用しない」
 というレッテルが貼られたに違いない。
 幹部であれば、特にその通りで、いまさら、そんなやつらを雇うようなことはしないだろう。
 平であっても、同じこと、
「うちに来たとしても、うちのやり方に馴染めるわけがない。どうせすぐに辞めていくさ」
 ということになるだろう。
 きっと彼らは。
「こんなに失業するのは、自分たちのせいではなく、最初の会社がつぶれたことで、そんな会社の人間を雇わないという偏見から来ているのだろう」
 ということで、完全に、被害妄想になっていることだろう。
 だが、実際にそうではない。
 そもそも、被害妄想自体が悪いということを分かっていない以上、絶対にどこも雇ってくれるはずもないだろう。
 考えてみれば、店に客が来る来ないという半分以上の責任は、現場の店員にあるのではないか?
作品名:タイトルの「悪魔」 作家名:森本晃次