タイトルの「悪魔」
日本のような島国など、異常気象が世界を襲えば、あっという間に、沈没してしまうに違いない。そんな物騒な時代に、自分たちは生きているのだ。
「少なくとも、今の政府にはどうすることもできない。下手をすると、政府にこの国を滅亡させられることになるかも知れない」
ともいえる。
ただ、それは、誰にも分からないが、若者を見ていると、正直この国の将来は、どう考えても浮かび上がってくることはないだろう。
今、初老くらいまでの人は、後は死んでいくだけなので、その心配はほとんどしなくてもいいだろうが、若者には、そうはいかない。
もっとも、自分たちで潰しているという自覚を持たない以上、それも、自業自得でしかない。
「まあ、この国の将来など、知ったことではないわ」
というのが、本音の人も多いだろう。
だから、少子高齢化などという問題も起こる。
「どうせ、生まれてきても、ロクな未来があるわけでもない。自分たちの老後をみてもらうどころか、若者は自分たちの生活だけで大変なんだろうから、俺たちが頑張って金を使って子供を育てて何になるというのか」
と思っている人も少なくない。
子供ができることで、自分たちが大変な目に遭うくらいなら、作らなければいいというのは、当たり前のことである。
そんな国にしたのは、そもそも、政府であり、口では、子供のための子育て保証だとか何とか言っておきながら、
「待機児童問題」
などという、子供を作ったせいもあって、共稼ぎをしなければいけなくなったのに、預かってくれる保育園が足りない。
しかも、その保育園も一部ロクでもないところが問題となり、
「子供を虐待」
しているところも多いという。
もっといえば、認知症になった高齢者を入れる施設でも、相手が認知症というのをいいことに、こちらも、言葉にすることすら恐ろしいような虐待を繰り返しているところが多いという。
社会体制がなっていないだけではなく、金を取って、預かっている連中が、そんな非人道的なことをしているのだから、本当にどうしようもないといってもいいだろう。
「この政府に、この社会あり」
と言ったところであろうか?
ちょっと思いついただけでも、これだけのことが出てくる今の国家、本当に将来などを夢見ていいのだろうか? 本当に、数十年後には、日本という国は、地図上から消えていて、歴史の授業などで、
「かつて、日本という国が存在していた」
などと、過去の歴史として、教科書の一行に書かれるだけの時代が、すぐに訪れるに違いない。
とりあえず、今の日本は、
「そんな時代だった」
ということである。
ただ、まだ、自治体は。国鉄などよりも、まだマシかも知れない。一応、老朽化のビルを何とかしようという意識があるようで、かつて繁栄していたビルの老朽化を最初から分かっていて、建て直し計画をちゃんと練っていて、いかにすればいいのかということを計画している分だけマシであろう。
考えてみれば、
「昔はできたのに、今できないというのであれば、それは、本当の平和ボケ」
といってもいいかも知れない。
だから、今、全国主要都市では、結構、工事中のビルであったりが多くなっていて、
「いい悪いは別にして」
将来に向けた都市計画が進行しているようだった。
老朽化の波が襲ってくる中で、さすがに、一気にすべてのビルを壊すということなどできるはずもなく、それぞれの一角ごとに開発を進めていき、1,2年ごとに取り壊しをする地域をずらしていって。そのうちに最初の計画となった場所が、きれいに生まれ変わるというものであった。
虫食い状態になってしまうが、それも仕方のないことなのかも知れない。
ただ、苦言を呈するとすれば、
「街が新しくなるにつれえ、人が離れていっているような気がするが、気のせいであろうか?」
と、感じている人も少なくはない。
特に、鉄道の都市部の駅などにいえることだが、
「整備新幹線」
というものが、大きな禍となっているように思える。
確かに、
「新幹線を作る」
というのは、悪いことではないし、
「街の活性化」
という意味で、いいことなのだという発想もあるが、それは内情を知らない人の考えることであった。
新幹線を作るということはどういうことなのかというと、
「新幹線というのは、在来線とは別のルートになる」
ということなので、在来線のかつてのルートに点在していた観光地に、人が立ち寄ることはなくなるので、後は、ゴーストタウンと化すだけだ。
という問題であった。
もう一つは、駅を綺麗にするのはいいが、駅ビルと言えど、
「何でも揃う」
という商店街のようなところがあったが、時代の流れか、商店街に当然のようにあった店が、ほとんど消えてしまっている。それも、客が一定数集まるところだ。
たとえば、本屋やCDショップなどがそうである。いくら主流が紙やディスクのような媒体から、ネット配信や、ネット書籍などで手に入るので、店舗の売り上げが減ったのかも知れないが、あればあるで、人が寄ってくる。今の駅ビルの閑散とした雰囲気は、お土産を見たりするくらいで、前ほどの活気はまったくなくなっている。ビル内のカフェや、食堂街のようなところでも、一番の稼ぎ時の夕方など、あまりいないではないか。さすがに昼休みは一定数いるだろうが、それほど、店の前で待っているという姿を見る頃もない。それhど、ひどいものであった。
「目先のことだけに囚われて、先のことが見えないんだろうな」
と思っているのは、客だけだろうか?
さらに新幹線を通すということは、
「金がかかるわけである」
しかも、維持費というものも必要となり、それを、自治体から徴収しようというのだから、とんでもない話だ。
せっかく地道にでもやってきた温泉街や、観光地を潰されて、しかも、新幹線のために、金まで出さなければいけないのか? さすがに不満のある県や自治体だってあるはずだ。
さらにいえば、新幹線で、あっという間についてしまえば、旅行気分などまったくない。
今までは、6時間近くの移動であれば、十分、旅行気分であったが、それが、3時間もかからないのだ。下手をすれば日帰りができるくらいで、旅行気分もあったものではない。
だから、わざわざお土産を買うということもなくなるし、駅ビルに人もあまりこない。
「まだ昔の特急の停車駅という方が、売り上げはあった」
という駅も多かったことだろう。
それを思うと、
「新幹線なんか必要ない」
と思う人がもっとたくさんいてもよさそうではないか?
「閑散とした街を活性化させるために」
ということで作った施設が、閑古鳥が鳴いていて、
「史上最大の贅沢」
と言われ、そのために、たくさん税金を取られた庶民だってたくさんいた。
「365日、24時間。駐車場がタダ」
という触れ込みだったのに、客がまったくといっていいほど、来ない空港。
「それはそうだろう、特急で、数十分行ったところの隣の県に、大きな国際空港があるのだから、後続バスでちょっと行けば、いいだけなので、そっちを利用する」
という人がたくさんいるのだから、閑古鳥が鳴くのは当たり前のことである。