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タイトルの「悪魔」

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「被害者も、加害者と思われる詐欺師も、両方、写真というものが一枚もなかった」
 ということだったのだ。
 名前だけで指名手配をしても、できるわけもない。
 しかも、その男の足取りがサッパリつかめなかったのだ。
 そもそも、その詐欺師がどこから来たのか、どこの出身で、どういう男なのかということも、村人は知らなかったのだ。
「その男を信じて、詐欺に遭ったということだから、せめて、身元くらいは、調べるくらいしたんじゃないのか?」
 と警察に聴かれて、
「いいえ、そんなことをする金もないし、時間もなかったんですよ。その事業に手を出さなければ、私どもはこの村で、完全に浮いた状態になり、主導園をもう一つの網元に奪われることになりますからな」
 ということであったが、結果は惨憺たるもの、没落を早めただけで、今では、もう一方の網元にすがって生きるしかなくなったのであった。
 それを考えると、
「田舎というところが、どれだけ閉鎖的であり、網元には逆らえない状態だったのか?」
 ということが分かるというものだ。
 元々網元のプライドがあるのだから、結果として、いかに、うまくやらないと、落ちぶれ始めると、
「もう、待ったなし」
 の状態なのだということであった。
 実はその、
「悪魔爺さん」
 は、そんな田舎村の特性をよく知っていたのだ。
 何しろ、その昔は、この村の網元は、この爺さんの先祖だったという。
「二代巨頭などと言われ出したのは、明治の後半になってからのこと、明治政府の富国強兵、殖産興業というものに、早くから乗っかった形で、二代巨頭はのし上がった」
 というのだ。
 しかし、爺さんのところは、江戸時代から続く、網元というプライドが邪魔をして、時代の波に乗り遅れた。
 だから、徐々に財産を食いつぶすようになってから、何もできなくなり、先代は、贅沢までしていたもので、爺さんの代になると、詐欺師にでもすがるしかなかったというのは、二代巨頭の落ちぶれたところとは、事情は違うが、切羽詰まっているということで、似ているといってもいいだろう。
 そんな状態で、爺さんも、まだ、詐欺師に引っかかるまでは、昔の富豪というものの生活が身に染みていたようで、結構、頭がよかったということもあってか、
「暗躍が得意」
 だったといえるだろう。
 だから、小説の中での、
「かつての殺人事件」
 の元を作ったといってもよかった。
 そういう意味で、この爺さんが、
「悪魔」
 というのは、そんなところからも来ていたのだ。
 そもそも、この作家が、
「悪魔」
 という表現を使った時に出てくるものに、
「共通のもの」
 が存在したのだ。
 というのが、
「性的要因」
 というものであり、もう一つの、未成年の女の子が悪魔と化したのも、
「性的要因」
 が孕んでいたからだった。
 その女の子は、まだ、中学生だったのだが、実は、
「男を知っていた」
 のである。
 ただ、それも、自分が望んで男を知ったわけではない、
 今の時代であれば、
「中学生にもなれば、男を知っていても不思議はない」
 という時代でもあり、男を知ることが、一種のトレンドとまで言われた時期が、一時期であるがあった気がした。
 むしろ、
「大人になってから、まだ、処女を喪失していない」
 ということになると、
「気持ち悪い」
 といって避けられるくらいに、性的な問題は、デリケートであった。
 そもそも、昭和の終わり頃には、まだまだ、
「結婚適齢期」
 というものがあった。
 今の令和の時代には、そんな言葉はほぼ、
「死語だ」
 といってもいいかも知れない。
「年功序列」
「終身雇用」
 という言葉が、死後になりかかっているのと同じにである。
 しかし、これら二つの言葉は、確かに、平成の時代、つまり、
「バブル崩壊」
 の後の時代に差し掛かってくると、徐々に、
「死語ではないか?」
 と言われるようになったが、あくまでも、徐々に襲ってきたことで、それらの言葉が消えることはなかった。
 まるで、積もっている雪にさらに雪が降っても、それ以上、深くは積もらないといった状況と似ているのではないだろうか?
 そんな状態においても、
「処女喪失」
 という言葉に、節操がないような感覚だった昔とは違い、今はあまり気にしなくなった。
 そもそも、
「結婚しない」
 という状態が増えてきたのだ。
「男も女も、中年になっても、独身」
 という人が増えてきて、
 さらには、結婚している夫婦であっても、
「子供が自立した」
 ということで、離婚するという、
「熟年離婚」
 も多い。
 かと思えば、
「華々しい結婚式を挙げて、そのまま海外に新婚旅行に行ったはいいが、帰国してから、すぐに離婚してしまう」
 という、いわゆる、
「成田離婚」
 というものが増えても来ていた。
「新婚旅行で初めて、一緒に夫婦として過ごしてみて、相手の今まで見えなかったことで、どうしても許せないところがあった」
 ということで、帰国の時に成田空港に着いた時点で、その気持ちが固まったということでの、
「成田離婚」
 という言葉だった。
 実際には、
「結婚するまで、処女だった」
 などということはあり得ないだろう。
 しかし、結婚するまで、何度も二人きりになることもあったはずなのだが、そこで分からなかったというのは、
「付き合っている時と、結婚してからでは、お互いに相手を見る目が変わってくる」
 ということであろう。
 だから、
「結婚するまでには、適度な交際期間が必要だ」
 と言われる。
 あくまでも、
「適度な」
 という言葉がつくのだが、それは、
「長すぎてもいけない」
 ということを示している。
「長すぎた春」
 ということで、結果、長く付き合っていて、
「あの二人が結婚するというのは、もう確定だな」
 と言われたとしても、気付けば、
「別れていた」
 というカップルも珍しくはない。
 それだけ、
「マンネリ化している」
 ということなのだろうが、
「結婚してから、本性が分かった」
 というのであれば、本当は手遅れなのだろうが、平成に入った頃から、成田離婚が流行ってくると、中には、
「とりあえず結婚してみて、ダメなら離婚すればいいわ」
 とばかりに、
「成田離婚ありき」
 ということで、
「結婚してみよう」
 という安易な考えおカップルもいたことだろう。
 考えてみれば、その方がある意味、
「傷口を広げない」
 という意味で、いいのではないだろうか?
 子供が生まれてしまうと、親権の問題や、養育費などを考えれば、なかなか離婚に踏み切るというのは、子供の教育という意味でも難しくなるだろう。
「成田離婚」
 であれば、
「戸籍が汚れる」
 という程度で、面倒なことはない。
 しかも、ブームということになれば、
「ああ、あなたも、成田離婚ね」
 というだけで、皮肉を言われたり、偏見で見られることもない。
作品名:タイトルの「悪魔」 作家名:森本晃次