タイトルの「悪魔」
ただ、当時としては、いくら時代が民主主義になったとしても、昔の農地を巡る封建的な考え方が根付いていたちしていただろうから、途中までがどんなに紳士的であっても、所業がすべて明らかになると、
「この男は、やはり悪魔として見てしまうと、悪魔はあくまでしかないということなのであろう」
ということだった。
この作家の話で、
「悪魔」
と言われる人は、必ず殺されているか、あるいは犯人であり、最後には自殺を図るのである。
普通の探偵小説であれば、悪魔である犯人が自殺を試みようとすれば、探偵や警察は必至になって止めるであろう。
ただ、ある別の小説で、
「悪魔」
と呼ばれているのが、未成年の女の子で、その子が、実は不幸な境遇に生まれていて、その境遇に、
「敢然と立ち向かって生きている」
という、
「お涙頂戴的な話」
だと思っていたが、実際はそうではなかった。
その子は、世の中のすべての人に恨みを持ち、自分の境遇を可哀そうだと思うことで、自分の正当性を確かめようとしているのだった。
しかし、そのことに気づくものは誰もいない。彼女が、
「まだ中学生の可憐な乙女」
という印象を読者に植え付けることで、しかも判官びいきのように、彼女を可哀そうだと思って見ていると、誰も彼女が悪魔であり犯人であると思うこともないだろう。
だが、実際には嫉妬の塊で、母親が再婚するということで、最初はネコをかぶっていたが、どこからか毒を手に入れていて、それを使ったのだ。
しかも、彼女の可憐さが武器になり、悪魔とは知らずに、共犯の片棒を担いでいるとは思わず、青酸カリという毒薬を渡し、最後には、自分も口封じに殺されるというような話だった。
だから、この作家の書く、
「悪魔」
というのは、本当の悪魔であり、それ以上をいかに表現するかというのが作家の腕であったのだ。
悪魔の正体
その老人は、温泉に入ると、恍惚の表情を浮かべていた。その顔を見れば見るほど、その作家が書いた小説に出てきた、
「悪魔」
と思しき老人にそっくりだったのだ。
その小説も、映画化も、ドラマ化もされた話だったので、同じシーンを別の俳優が演じていたが、どちらかというと、ドラマ版の方の印象が深かった。
実に人懐っこい表情で、探偵のそれとは知らずに、近寄っていく。
最後には、
「本当は、その人が探偵である」
ということを分かったうえで近づいたということが分かったのだったが、それが分かって、改めて、
「あの爺さんは、悪魔だったんだ」
ということを思い知らされた気がした。
ただ、最初に探偵に近づいた時の、あの人懐っこさに比べれば、温泉の爺さんは、明らかにぶっきらぼうに見えたのだが、実際に身体が温泉に浸かった時の表情が一気に人懐っこくなったことから、却って、
「悪魔の形相」
を想像させたのは、それだけ、先ほどの死体を見た記憶が生々しく残っていたからだろうか?
ただ、小説の中に出てきた、
「悪魔爺さん」
のいた温泉は、いかにも、
「田舎町の鄙びた温泉」
という雰囲気で、確か当時は、雪が降っていたのではなかっただろうか?
確か、その爺さんが住んでいる家は、オンボロなあばら家だったような気がする。
当時は、都会でも、バラックのような、家とも言えないようなところに住んでいる人ばかりだったので、田舎のあばら家でも、まだマシだったのかも知れないが、さすがに雪が降っている中で、そんな家だと、家の真ん中に囲炉裏でもないと、溜まったものではないということであろう。
探偵が、仲良くなって老人の家に招かれた時も、雪が降っていて、かなり寒かった様子だった。
雪が降っているというよりも、あの場所は、一度雪が積もると、その雪がなかなか消えないという特徴があるようで、よほど、気温が上がらない限り、その冬の間、爺さんが住んでいるところの付近で、
「雪が解けるというようなことはない」
という設定だったのだ。
そんな中、雪がしんしんと降っていた。
不思議なことに雪が降っているにも関わらず、そのあたりは一定の深さまで雪が積もると、それ以上積るということはないということだった。
それは、元々降っていた上に雪がそれ以上は積もらない。
つまり、
「解けないから、その分、それ以上は増えない」
ということなのか、それとも、
「一度解けてしまった雪の上に、さらに積雪をするから、ちょうど辻褄が合うだけのことだ」
ということなのか分からない。
ただ、一つの理由として、
「このあたりが温泉街だから」
ということがあるようで、地熱というものが、大きく影響しているのだという。
だからと言って、
「このあたりに、豪雪地帯がないのか?」
ということはないようで、積もった雪が身体をすっぽりと埋めるくらいに積もるというところもあるようだ。
もう、そうなると、車が走れるだけのものはないようで、大きな寒波がくると、その豪雪地帯は、孤立してしまうということもあったようだ。
いかにその村で暮らしていけたのかということは、小説では説明していなかったが、
「たぶん、それだけの燃料や食料の貯えがあったんだろうな」
ということしか思えない。
それこそ、童話にあった、
「アリとキリギリス」
のような話しではないだろうか?
アリは、せっせと夏のうちから、貯えをしておいて、うまく冬を乗り越えるという。あの童話の話だった。
あの、
「悪魔爺さん」
も、それくらいのことはしていたのだろうが、問題になったのは、
「その爺さんの生活費がどこから出ていたのか?」
ということだった。
あばら家での質素な暮らしとなったようだが、前はたくさんの土地、建物を持っていて、戦前は裕福な暮らしをしていたという。
しかし、村にやってきた詐欺師に引っかかってしまい、結局は、財産のほとんどを取られてしまった。
もっとも、この村の二代巨頭と言われた編み物の一つも、戦後の農地改革の煽りを食って、没落しかかったのを、起死回生を夢見て、結果騙されたことで、没落が決定してしまい、今では、こちらも、勢いはまったくなく、ただ、広い家で細々と暮らしていたのだ。
「何とか屋敷だけは残ったが、まさか、あの男が詐欺だったとは」
ということで、そう、この村には、戦後やってきた商売人にコロッと騙されて、詐欺にあったという暗い過去があったのだ。
ただ、そこで殺人事件が起こった。
小説の舞台となった時代の10年くらい前のことだったのだが、その時の詐欺師は、忽然と姿をくらまし、どこかに消えてしまったのだった。
元々は、温泉宿の主人が、詐欺師のやり口に我慢ができず、
「俺が、懲らしめてやる」
といって、出て行ったことが、殺人事件を引き起こすことになった。
ただ、ここで見つかった被害者が、
「顔のない」
という状態で見つかったので、ややこしい事件になってしまった。
結局、詐欺師が殺して逃げているということになり、全国に指名手配をされたが、まったく手掛かりがなかった。
これも不思議なことだったのだが、