タイトルの「悪魔」
犯罪防御率というのは、
「その探偵が事件に関わってから、何人の犠牲者(殺害された人間)がいるかということを、作品で平均したもの」
というのであった。
他の人は、1、2人がいいところなのに、この探偵に限れば、4,5人と一気に膨れ上がるのだった。
ただし、この作家の特徴からか、作品の中で、実際にあった他の犯罪や、一度に数人が殺されるという、多重殺人事件を得意としていることもあり、特に実際にあった犯罪の中には、
「集団に毒を盛る」
というような、凶悪な犯罪もあったりするからだ。
このあたりは、
「探偵に関係のないところで防御率が跳ね上がっている」
ということで、探偵とすれば、不服に思うのだろうが、実はそれだけではないことが含まれている。
というのは、
「この探偵が、人間臭いところがある」
というところから来ているのだが、
普通であれば、犯罪が露呈し、犯人が分かってしまうと、どの探偵も、刑事もであるが、犯人が自殺しようとするのを、必ず止めようとするのが当たり前であった。
しかし、この探偵は、犯人の気持ちを慮ってか、
「自殺しようとする犯人を、そのまま死なせてやる」
ということをするのである。
そうなれば、犯人も自殺とはいえ、防御率の頭数に入るので、必ず、分子が高くなり、防御率が上がってしまうのだ。
この場合、
「防御率が低いほど、優秀な探偵」
という見方になるのだろうが、そういう意味でいけば、この探偵は、数字の見た目だいけで見ると、
「とても有能な探偵だ」
とは言えないのだ。
しかも、性格的に、
「賢者モードに入りやすい、躁鬱症の気がある探偵だ」
ということであれば、さらに、
「無能な探偵」
というレッテルが貼られることであろう。
そういう意味では、気の毒な面がある反面、人間らしいというところを、どのように解釈すればいいのか、防御率の悪さを、逆に、
「誰からも好かれる」
という、憎めないタイプの探偵だといえるだろう。
だからこそ、警視庁勤務の周知の警部は、彼の性格をよく分かっていて、敢えて、彼が考えていることが分かっていながら、犯人が自殺を遂げても、本来なら、警察とすれば、咎めなければいけない立場にありながら、
「文句を言わない」
という態度を貫き、部下に対しても、
「彼は、ああいう探偵だから」
といって、納得させようとしているくらいである。
そんな彼は、
「とにかく、運がいい」
というところもあった。
というのも、彼には、パトロンと呼ばれる人間が2人いる。
元は学生時代の友達で、戦後、土建屋で儲けて、彼のパトロンになった。
もう一人は、彼が、学生時代にどうしようもない生活をしている時、ふとした事件をきっかけに、彼の才能を見抜き、
「学費も生活費も面倒みてやるから、探偵をやらないか?」
といってくれた人がいて、その人の見る目の確かさと、彼の洞察力が生きたことで、のちに、
「名探偵」
と言われるようになったのだ。
時代が時代なので、事務所もまともに維持できない時、パトロンがいてくれたので、居候しながらの、居候先が探偵事務所の代わりになるということで、食うにも困らず、名探偵としての、面目躍如が保てているというわけである。
「沈みかけそうになっていても、必ず誰かが助けてくれる」
という運の良さも、探偵としての力にもなっているというわけで、
「運も実力のうち」
と言われるが、
「運というよりも、人を引き寄せる力がある」
ということが、この探偵の一番の魅力なのではないだろうか。
それもこれも、すべてにおいて、
「人間臭い」
というところが、彼を有名な探偵にし、さらに、仕事がやりやすいように、
「警察に顔が利く」
ということが言えるのではないか。
彼も最初は警察に誰もつてがない時は、邪魔者扱いされたものだった。
特に、警部クラスの人からは、完全にライバル視され、
「探偵ごときに、出し抜かれてたまるか」
と言わんばかりになっていたのだった。
だが、この探偵の人間性というべきか、一度事件を解決しただけで、完全に見直され、
「あの探偵のいうことであれば、間違いない」
とまで言われ、捜査会議にも普通に参加し、刑事と一緒に行動することで、単独の探偵では得ることのできない情報を得ることができるのだから、他の探偵に比べれば、有利なのは当たり前のことである。
警察にも顔が利き、さらには、世間で有名になるだけの、
「変わった名前」
をしていることも、ある意味、
「運がいい」
といってもいいだろう。
探偵は、
「運」
「実力」
「情報力」
「推理力」
などがいいバランスで保たれることで、名探偵と言われるのではないかと思えるのであった。
この四つは単独で機能もするが、それぞれに、微妙に結びついている。それを考えると、名探偵と言われる人には、どれ一つとして欠かすことのできないものであるといえるのではないだろうか?
そんな探偵が出てくる小説が、今は一度絶版となったのだが、またしても、ブームが来たことで、新しく発刊されることになった。
実際には、短編、長編すべてを含めて、
「77作品」
と言われているが、そのうちの、30作品くらいの有名どころだけが、再発になっているのだった。
ただ、これからもまだ少しずつ発刊が増えてくるということなので、昭和40年代の頃に、すべてといっていいほどの作品が、文庫化された時代が思い出されるのであった。
「探偵小説というものを読むのに、時代は関係ない」
と言われるが、まさにその通りであろう。
逆に想像力が湧いてくるところが、マンガにはない大きな特徴ではないだろうか?
もっとも、劇画作家が、小説をマンガ化したものがあったが、イメージは湧いても、さすがに原作にはかなわない。ドラマよりもリアルさがあるだけに、惜しいといえるかも知れない。
そんな小説の中に、一人の老人が出てくる話があった。その老人と探偵は、温泉で語り合うシーンが出てくるのだが、その情景は頭に浮かんできたのだ。
その老人の小説内での役目というのは、
「犯人ではないが、大きな役目を負わされている」
と言った方がいいかも知れない。
小説のタイトルに、
「悪魔」
という文字が入っているのだが、小説評論家に言わせると、
「彼が、悪魔とタイトルに書いた時、作中に本当の悪魔と思しき人間が必ず出てくる」
ということであったが、実際の悪魔は他にいるのだが、この老人も、その悪魔に負けず劣らずというべきか、元々の犯罪の根っこを作ったのは、その悪魔と言われる男だが、引き金を引いたのは、その老人だったのだ。
話としては、一人の詐欺師が事件の根っこを作り、その男の正体を教えることで、嫉妬に狂った妻が殺してしまう。何が目的だったのか分からないが、作中としては、
「生活費の搾取」
だったのだろう。
その、
「行き掛けの駄賃」
として、性欲を満たすというその行為が、けだものであり、
「悪魔」
であった。
そもそも、この作家の書く話は、
「近親相姦」
であったり、悪魔の所業を、ひとことの言葉で言い表すことができるということであった。