タイトルの「悪魔」
嫌われるというよりも、何か憎まれているかのように思うのだが、その憎まれているという思いは、
「無駄な時間を使わされた」
と相手が思っているからではないかと感じるのだった。
「ということは、相手がこちらを好きになったと勘違いして、好きになったつもりで付き合っていたが、そのうちに、自分の気持ちを騙せなくなった」
とでもいいたかったのではないだろうか?
それを思うと、
「相手は、自分が許せないという気持ちになったのだろうが、それを認めたくなくて、結局その怒りを俺にぶつけてきたんだろうな」
と、かなり、自分に都合よく考えたのだが、相手に対して、
「何で、別れようというのか?」
と、別れたいといってきた理由を聞こうとすると、一様に考えてしまい、
「もう、あなたといるだけでストレスなのよ」
と、いうような回答が、皆から返ってくるのだった。
言葉に多少の違いはあれども、言いたいことは皆同じなのだろう。
しかも、その言葉は曖昧で、
「気持ちに若干の違いがあったとしても、結果、最後は同じ言い訳になってしまうだけではないか?」
と感じるのだった。
「彼女というところまで本当にいっていたんだろうか?」
と思えるほどで、城でいえば、
「まだ、内濠の外あたりと、ウロウロしているくらいだったのではないか?」
と考えてしまう。
昔から日本史が好きで、特に城郭が好きだった大谷にとってみれば、
「ついつい、感情や、心境というものを、城郭に例えて考えるくせがついていた」
といってもいいだろう。
城郭で考えると、まずは、城全体としての、
「総構え」
というものがあり、その一番後ろには、外濠がある。
そして、その中に城下町が広がっていて、商人などが、活気にあふれた街づくりをしていたと想像される。
さらに、そこから、内濠があり、そこから中には、武衛屋敷などの曲輪が存在し、三の丸、二の丸、本丸と、城の中核に入っていくのだ。
内濠には、いくつもの、見張りを兼ねた櫓が建てられていて、中に入るには、大手門などのいくつかの門しかない。
そして、門などは、敵の攻撃に備えて、櫓門になっていたり、門の両脇にも、櫓が建てられていて、敵兵が攻めてくると、集中砲火する仕掛けができていたりする。
つまり、
「城内に入る門が、一番最初の攻略口となる」
といってもいいだろう。
しかも、城郭というのは、敵の侵入に対して、結構いろいろ考えられている。
相手が攻めてくるのに、大変なように、石段をわざと不規則に作っておいて、侵入してくるところで、相手は足元も気にしながらの突進になる。どうしても前がおろそかになると、そこに、弓矢の雨あられでは、溜まったものではないだろう。
さらに、内濠の中の曲輪は、複雑になっていて、何度も曲がりくねっているうちに、
「まるで、迷路に迷い込んだようだ」
と思わせる。
そして、門をくぐれば、三の丸あたりに入り込めると思っていくと、そこは、行き止まりになっていて、四方八方からの集中砲火を浴びるという、一種の、
「枡形虎口」
になっていたりする。
さらに、そこを超えると、どんどん通路が狭くなっていく。上からは槍が降ってきたり、石や熱湯が浴びせられるような、そんなところもあったりする。そんなところを、大軍が押し寄せるのだから、前が詰まれば、後ろに下がるわけにもいかず、ひしめき合っているところを、またしても集中砲火である。
つまり、本丸や天守に、迫れば迫るほど、突破が難関になっていき、大軍であればあるほど、その犠牲ははげしくなるというのが、
「城における、攻城というものである」
というわけだった。
だから、城攻めなどでよく言われるのは、
「攻城側は、籠城側の三倍の人数が必要だ」
ということになるのだ。
ただ、籠城する方もそれなりの覚悟はいる。
何と言っても、表からの補給がなければ、城内の食料や武器弾薬が尽きると、もう終わりなのだ。
つまり、相手が疲れて、
「これ以上の攻城は無理だ」
ということで、自国に引き上げていくのを待つしかないというわけである。
それこそ、
「時間との闘いだ」
といっても過言ではないだろう。
戦国時代というのは、そんな戦いが、全国で繰り広げられた。いわゆる、
「群雄割拠」
の時代だったのだ。
そんな戦国時代の、
「攻城戦。籠城戦」
というものが好きで、本を読んでいたりしたくせに、実際に、
「彼女を作る」
というような、相手があることを実践するのでは、まったく違うということが分かった。
まず、
「相手が何を考えているのか分からない」
というのが一番だった。
何と言っても、恋愛は相手があることであり、しかも、異性ということで、
「同じ男性なら、何となく気持ちは分かるというものだが」
と思えるようなところも、相手が女性ということになると、
「まったく考えていることが違う」
といえるのだ。
つまり、
「自分が攻城側なのか、それとも、籠城側なのか分からない」
ということである。
お互いに、どっちも攻城であったり、どっちも籠城と、お互いに同じ立場で相手を逆だとみていれば、まったく明後日の方向にいる相手に対して攻撃しているわけではないので、まったく何も感じるわけがない。
そう思うと、
「見えない敵を相手にしているのと同じ」
ということであって、真っ暗闇の中で、自分がどちらに進んでいるのか分からない状態なのかも知れない。
その場合、攻城であれば、そのダメージは決定的だろう。
まったく一寸先が闇であれば、一歩も動けない。相手からは見えているので、集中砲火の嵐だ。そうなると、死んでもいないうちから、死んでしまったかのように思え、もう、その時点で負けが確定しているといってもいいだろう。
特に恋愛というのは、
「一対一」
ということで、援軍もありえない。
もし、援軍が来たとすれば、それは
「敵が放った刺客だ」
といってもいいだろう。
前がまったく見えない中での心細さからであれば、援軍に対して、頼ってしまう最高級の依頼心が生まれても無理もないことだろう。
それを思うと、
「一対一ほど怖いものはない」
と思うのだ。
それは、相手が男でも女でも同じことだった。
「一対一になるくらいだったら、一人孤独な方がマシに決まっている」
と考えるようになっていた。
だから、この時の最上階の大浴場に一人でいる初老の男性と二人きりというのは、正直、息が詰まるような思いであった。
かといって、父親と同い年くらいの人と話をする自信はない。
ただ、父親に対しては、嫌悪を抱いていたが、同い年くらいの男性に対して、嫌悪はなかった。
むしろ、
「どんなことを考えているのだろう?」
ということを感じるくらいであった。
「そういえば、子供の頃、というか、中学生の頃に好きで読んでいた探偵小説を思い出すんだけどな」
と感じていた。
大谷は、中学時代、城郭に興味を持つ前には、よく探偵小説を読んでいた。
探偵小説というのは、今でいう、
「ミステリー」
「推理小説」
と呼ばれるようなもので、主に、戦前、戦後が多かった。