死体発見の曖昧な犯罪
桜井刑事も、岸部氏も、立場は違えども、同じことを考えていたというのは、決して偶然というものではなかったのだ。
「ところで、あなたは、毎日お散歩をされているんですか?」
と聞かれた佐川氏は、
「ええ、そうですね、定年退職してから、そろそろ1年が経とうとしますが、毎日の行動パターンは変わりませんね」
という。
「それは、お散歩以外にもということですか?」
と聞かれた佐川は、
「ええ、そうですね。大差はないといって差し支えないと思います」
というではないか。
それを聞いて、桜井は急に羨ましくなった。
他の仕事についていれば、時間から時間の仕事で、適度な残業をするだけという平凡な毎日に憧れることが、最近はよくあった。
年齢的にも、完全に仕事をバリバリにこなしていて、顔が脂ぎって見えるのも、
「充実した仕事ができているからだ」
と自他ともに見えていた。
しかし、内心では、
「毎日毎日、24時間、365日、どこで何が起こるか分からないという緊張感は、そうずっと持っていられるものでもないな」
と感じていて、
「そのうち、身体のどこかが悪くなるのではないか?」
と思えてくるようで、そのあたりも気になってきていたのだ。
それこそ、気が弱くなってしまうと、いつ、新型ウイルスに侵入されるか分からないということで、しかも、その苦しみは、目の前で岸部氏が示してくれたではないか。それを思うと、
「そう甘くは考えていてはいけない」
と思うのだった。
「毎日、同じ行動ができるというのは、実に羨ましい」
と、軽く見えるように桜井刑事は言ったが、それが本音であることは、黒沢刑事も、岸部氏も十分に分かっていて、
「そのセリフは俺がいいたいくらいだ」
と、二人とも心の中で思っていたことだろう。
若い黒沢刑事の場合は、自分が伝染病に罹ったわけではなかったが、彼女が一度罹ったことがあった。
それまで、警察でも内緒にして付き合っていた相手だったが、彼女とは、高校時代の同級生で、
「同窓会で再会した」
というベタなことだったのだ。
当時の彼女は、横行時代とはかなり雰囲気が変わっていて、昔は目立たないおとなしい子だったのに、再会した時は、想像以上に可愛くなっていて、どこから見ても、めだつぃつぷだった。
もし、彼女が高校時代から目立つタイプの子だったら、スルーしていたかも知れない。しかし、彼女の豹変ぶりは、黒沢刑事を仰天させたのだ。
しかも、彼女の方から、
「黒沢君、久しぶりね」
と話かけてくれた時は、有頂天になっていたのだった。
彼女は、
「今だからいうけど、私、黒沢君に憧れていたのよ。でも、当時は地味な女の子だったので、とても告白する勇気もなかったんだけど、それから、一念発起して、大学に入ってから、目立つ友達のそばにいて、結構目立つことを覚えたの。それもこれも、こういう機会があれば、今度はちゃんと告白したいという一心でね」
というのだった。
これは、さすがに、
「有頂天になるな」
という方が無理というものだ。
その言葉を聞いて、ドキドキしながら黒沢刑事も、自然と、彼女にのめりこんでいく。
といっても、彼女が悪い女というわけではない。見た目は、
「魔性の女」
に見えなくもないが、何しろ高校時代の目立たない彼女を知っているのだから、それも無理もないことだろう。
黒沢が彼女と恋仲になるまでには、時間が掛からなかった。
「お互いに求め合う仲だったんだな」
と黒沢のこの言葉がすべてを表していた。
二人はすぐに結ばれ、一応、警察にはしばらくの間内緒にすることにした。
これは、黒沢の思いでもあったし、彼女の方の気持ちでもあったようで、そこに、わだかまりはまったくなかった。
そのうちに、パンデミックが起こり、結構最初の頃に彼女は感染した。
「濃厚接触者」
ということで、
「まさかこんなことで」
というようなことによって、二人の関係が警察に。
「バレた」
のだったが、それは、仕方のないことであり、別に誰が悪いわけでも、そもそも、二人の交際が悪いわけでもないだろう。
もっといえば、二人の交際は純愛だった。彼女の見た目が、少し、
「ケバい」
という程度で、彼女と話をした人は、皆彼女が誠実な女の子だということを分かってくれていたのだ。
桜井刑事も、部下のことなので、彼女とも会ったりした。
この時は、黒沢刑事が、仲を取り持つ形であったのだが、そんな堅苦しいこともなかった。
堅苦しいと思っていたのは、むしろ黒沢刑事の方で、
「そんなに固くならなくてもいいぞ」
と桜井刑事に言われて、恥ずかしがる黒沢刑事のその時の顔は、すっかり刑事の顔ではなかった。
「黒沢さんは、本当に学生時代から真面目な方だったので、ずっと憧れていたんです」
と、桜井刑事を前にして、彼女は、臆面もなくそう言い切るのだった。
それを見て桜井刑事も、
「黒沢君には、これくらいの女の子の方がいいかも知れないな」
と、思った。
そもそも、黒沢刑事は、彼女のいうように、真面目な性格であったので、それだけ前のめりなところが一切ない。引っ込み思案なところが欠点だといってもいい。刑事としては、マイナス面が多かったのだ。
だが、刑事が、皆が皆、最初から一人前だったわけではない。もちろん、桜井刑事のように、
「いかにも刑事になるために生まれてきた」
とまわりからいわれるような人もいたのだが、そんな刑事ばかりではなかったのだ。
そういう意味で、黒沢刑事も、
「まだまだこれからだが、その分、のびしろというのがあるというものだ」
と言われていた。
そんな黒沢刑事の彼女が伝染病に罹り、やはりというか、言い知れぬ思いに駆られることなのだが、復帰した会社では、かなりひどい目にあったようだ。
「伝染病に罹ったのは、自分の注意が足らなかったからだ」
と言われたり、
そのいつもの目立ついでたちから、
「どうせ、男をとっかえひっかえしているうちに、誰かから移されたんじゃない?」
などという誹謗空将が飛び交っていたのだ。
さすがの彼女もノイローゼのようになり、精神疾患に陥ってしまっているようだったが、黒沢にはどうすることもできなかった。
彼女はさすがに居たたまれなくなって会社を辞め、しばらく実家に引きこもっていたのだが、黒沢は何とか、彼女をサポートしていたのだ。
幸いにも黒沢の実家と彼女の実家は近くであり、親同士も仲がよかったので、付き合い出してから、少しして、
「俺たち付き合っているんだ」
と、それぞれの家庭に挨拶にいったくらいだった。
黒沢は有頂天になっていて、彼女の方も嬉しそうにしているので、その時は本当に一番楽しい時期だったのかも知れない。
ただ、黒沢も刑事という職業柄、いつもいつも楽しいというわけにはいかないことは分かっているので、
「ここが正念場だ」
と思うようになったのだ。
彼女は、病気が治ると、幸いなことに後遺症に悩まされることはなかったが、まだ、精神的には、完全ではないので、定期的な心療内科に通院はしていた。
作品名:死体発見の曖昧な犯罪 作家名:森本晃次