死体発見の曖昧な犯罪
「私はそんなことはないと思います。もし、辞めていった沢井が逆恨みでもするとすれば、宮武君に対しては明らかな逆恨みですからね」
というと、
「じゃあ、沢井さんは、宮武さんが自分を庇ってくれたことを知っていたんでしょうかね?」
と桜井が聞く。
「それはそうでしょう。普通であれば、警察に被害届を出すのが当たり前ですからね」
と、支配人がいう。
「でも、被害届を出さないと、棚卸の時に合わなくなるんじゃないですか?」
と桜井が聞くと、
「それがですね。棚卸の時には、ちゃんと辻褄はあったんです。宮武君に聞くと、盗品は戻ってきているというんです」
「戻ってきている?」
「ええ、だから、最終的に警察に届けなかったのは、それがあったからなんです。もし、棚卸で数字が合わなければ、さすがに私としても、警察に届けないわけにはいかないと思っていたところだったので、警察に届けるのは、必須だと思っていたんですよ」
と、支配人は言った。
「うーん、そういうことなんですね。じゃあ、その戻ってきたというのは、いつ誰が戻したのかというのも分からずじまいですかね? ちなみに、その時、沢井という容疑者だった男は、まだこの店にいたんですか?」
と言われると、
「いえ、彼はもう退職したあとでした。この百貨店は、四半期に一度の棚卸でしたので、万引きのウワサがあったのは、ちょうど、前の棚卸が終わった後だったんです。だから、私も宮武君も、今回の棚卸で、初めて表に出ると思っていたんですよね」
というので、桜井刑事は、まだ、どこか気になるところがあったのだが、その正体が漠然としていたので、追及できずにいた。
「ところで、沢井という男が辞めた理由、何か心当たりがありませんか?」
と聞くと、
「これはウワサでしかないんですが、何やら、誰かに脅されていたようなウワサがあったんです」
と支配人はいうではないか。
「脅迫ですか? それはまた穏やかではない。もし、そうであれば、百貨店としても、放ってはおけないのでは?」
と、桜井刑事がいうと、
「そうなんです。放ってはおけないということを宮武君に相談に行こうと思っていた矢先、彼が退職を言いだした。万引きのウワサもあったので、本当であれば、辞めてもらうというのは待ってもらうべきなんでしょうが、脅迫されているということであれば、話は別です。言い方は悪いですが、そういう人間関係の問題に発展しそうな人は、基本的に調査後退職勧告を行うというのが、この百貨店の伝統のようなものでしたから、自分から退職を願い出てくれて、むしろ、よかったと思っているくらいなんですよね」
と支配人は言った。
「そういうことだったんですね。それじゃあ、支配人としても、願ったり叶ったりでしたよね」
と聞かれ、
「ええ、まあ」
と言葉を濁したが、棚卸の時に問題の商品も戻ってきているということで、事なきを得たわけなので、この店の体質なのか、それとも、支配人自体の性格なのか、
「事なかれ主義」
ということで、よかったということなのだろう。
しかし、今度発生したのは、殺人事件である。
しかも、現在も在職中で、支配人が期待を寄せている人だということは、かなりのショックを百貨店に与えたことだろう。ただ、それが宮武がいなくなったことで、売り場が混乱するということなのか、宮武自身の性格から来る問題なのかということは、話を聴いているだけでは、桜井に想像すら与えるものではなかったようだ。
そんなことを考えていると、
「宮武君がどうして殺されなければいけなかったんでしょう?」
と支配人は、桜井に聴いてみた。
「我々も分かりません。ただ、一つ気になることは、宮武氏の遺体が今朝発見されたのですが、少なくとも死後数日経っているということだったんです。宮武さんがこのお店にいつまで出勤していたんですか?」
と桜井が聞くので、
「4日前までは普通に出勤していたということです。そこから先は無断欠勤だったのですが、今まで宮武君に限って、無断欠勤などなかったはずなので、婦人服売り場の一人の店長が私のところに、宮武君が無断欠勤しているといってきたんですよ。それで私もことの次第を知ったわけです」
と支配人がいうので、
「じゃあ、支配人には、嫌な予感めいたものがあったんですか?」
と桜井に聞かれて、
「ええ、そうですね。今まで会社に尽くしてくれた人が急に数日無断欠勤ということは、何かがあって、そのうちに、辞表を提出するのではないか? と思うと、それだけでもビックリするというものだったんですよ」
というではないか。
「そうですか。それだけ宮武さんには期待されていたんですね? ところで、前の事件の時に、脅迫を受けていたとおっしゃっていましたが、今回の殺人事件に何か関係があるということは考えられないでしょうかね?」
と桜井刑事に聞かれ、
「それは大いにあると思います。私は彼が殺されたということで、すぐに、脅迫を受けていたという事実が頭に浮かんできましたからね」
というのだった。
「一体何を脅かされていたんでしょうかね?」
と聞かれた支配人は、
「ちょっとわかりませんね」
と、考えがまとまらないのが苛立っているのか、それは、桜井に対してではなく、自分に対してのようだった。
すると、時を同じくして、部屋にある卓上電話が、音を立てた。この音は明らかに内線電話であり、その電話に支配人は、電話の音に普通に反応し、刑事に対して、
「失礼」
といって、電話を取った。
すると、すぐに顔を上に上げ、緊張で顔色が変わったかと思うと、
「うん、そうか分かった。じゃあ、すぐにそちらに向かおう」
という声に、桜井も、
「何か起こったんだな」
という刑事の勘で、桜井自身も緊張したようだ。
電話を切った支配人の顔は、桜井刑事に助けを求める表情で、今までの顔と明らかに違い、怯えに包まれていた、
「刑事さん。実は、ここの喫茶室で、一人の男性が血を吐いて倒れたので、救急車を呼んだということなんです」
ということをいう。
今の電話はどうやら、その第一報だったようだ。
「警察は?」
「ええ、救急車を呼ぶのと一緒に、こういうことがあった時のマニュアル通りに、110番もしたようです」
「分かりました。じゃあ、さっそくその現場に行ってみましょう」
ということになり、急いで現場に向かった。
現場というのは、百貨店の最上階にある喫茶室だったようだ。
その人はコートはおろか、かぶっている帽子も脱ぐことはなく、コーヒーを飲む時もマスクをしたまま、口にカップを運ぶ時だけ、マスクをずらしてコーヒーを飲んでいるようだった。
救急車もまもなくやってきて、患者を運んだのは、
「この人はまだ生きています。痙攣は起こして気絶しているようですが、たぶん、助かるのではないでしょうか?」
という救急隊員であった。
その隊員も、桜井刑事を見知っていたので、隊員は、事情も分からなかったので、正直ビックリしたが、桜井刑事は、
「君が大丈夫だというのであれば、大丈夫なんだろう、とにかく、この人を頼みます」
といって送り出した。
作品名:死体発見の曖昧な犯罪 作家名:森本晃次