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遺伝ではない遺伝子

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 ただ、神が人間を作ったのは、ひょっとすると、地球を捨てて去っていった、例の生命体に由来しているかもしれない。
 神が、もしかして、
「かの生命体と同等の種族が存在しなければ、人間を創造したその時代にも、自然の摂理が必要だった」
 と考えれば、生命体の代わりになるものを作る必要が急務であり、新しく作っている暇がないとすれば、
「あの生命体に似せた種族であれば、作ることは、さほど難しいわけではない」
 ということで、最初に一度、コピーして、そこから、不要なもの、そしてあってはいけないものを取り外した中で、人間に、生命体だった頃の記憶を消去させる必要性から、例外的に、神というものの存在を意識させ、
「人類は、網によってつくられたものなのだ」
 ということにしてしまえば、神が人間の傀儡として、この地球に、
「最高の生命体」
 としてのプライドも一緒に組み込むことで、自然の摂理も守れるし、一石二鳥だと考えたのではないだろうか。
 そのため、人間は、神を信じるようになり、プライドも持つ存在になった。
 これは、神が、人間を創造した時の副産物であり、ある種、仕方のないことではないだろうか。
 それを思うと、
「人間至上主義」
 というのも、致し方のないことなのだろうが、そのプライドであったり、神に近い最高に高度な知能を持ったがゆえに、争いであったり、殺人などのように、自分たちの私利私欲だけで神の意思に抗うという、そんな生物になってしまったのだ。
 いわゆる神からいえば、
「自らで、フランケンシュタインを作ってしまったようなものだ」
 といえるのではないだろうか。
 それを考えると、
「人間というものを作り上げたことが、本当によかったのかどうか、何とも言えないが、今人間を滅ぼすわけにはいかない」
 ということで、宗教において、聖書のようなものや、戒律などを、人間に課しているのではないだろう。
 その正体や、思惑がどこにあるのか分からない。
「だって、人間なんだから」
 としか言いようがないだろう。
 そもそも、
「人間至上主義」
 というのを、唱えたのも人間、そして、人間至上主義というのを分かっていて、それを否定しようとするのも人間。しかし、なるべく目立ちたくはないだろう。
 なぜなら、何かの思惑を持って人間至上主義を否定したいのだとすれば、それを否定するには、何か思惑がなければいけないと思う。普通であれば、自分たちの人種が一番だということを、公表したいと思うのが、人間の本能のようなものだと思うからだ。
 それを敢えて否定するというのは、他の動物に対してではなく、人間自身に対してだ。
 この地球上で、人間が何かの動物に対し、態度以外の言葉で、説得や威圧ができる高等動物は、存在していない。
 もっとも、存在していないというのは、これも人間の目から見た理屈であり、知らないだけで、存在しているのかも知れない。
 しかも、相手は、最初から人間が奢っているということが分かっているので、ちょっとした錯誤をさせることで、
「人間など、簡単に欺ける」
 と思っているのかも知れない。
 そんな生物が存在しているとすれば、その先祖は間違いなく、地球から撤去していった生命体ではないだろうか?
 つまり、今、人間以外に知的生命体の存在が証明されれば、一足飛びに地球上に、かつていた、人間を超える知的生命体の存在を否定できないだろう。証明という形になるかも知れない。
 もし、人間が、
「人間至上主義を否定しよう」
 と考えるのであれば、その人は、どこまで分かっているのかまでは想像できないが、少なくとも、現在地球上に、人間以外の知的生命体が存在していて、
「ひょっとすると、我々人類に、何か新たな何かをもたらそうとしているのかも知れない」
 と考えられるのではないだろうか?
 もし、それが、
「彼らによる地球征服計画」
 であったらどうだろう?
 ただ、これはあくまでも、
「知的生命体」
 というほど、高度に発達した生命体は、
「漏れなく、征服欲を持っている」
 という固定観念から発展した考え方であった。
 かなり偏った考え方ではあるが、まったくの間違いだともいえないのではないだろうか?
 それを考えると、人間の中の誰かが、別の知的生命体の存在を見つけた時、どう感じるかということで、下手をすれば、人間の運命が決まってくるのではないかと考えると、恐ろしいというものである。
「人間はあくまでも、地球上で最高の生物であり、地球の征服者なんだ」
 と、まず間違いなく。すべての人間がそう思っているに違いない。
 そうでなければ、安心して暮らすこともできなければ、征服欲もない。
 さらに他の動物は、自然の摂理のために、
「やむを得ない場合にのみ、狩猟などを行い、生きるために仕方なく、殺生を行うが、人間は、私利私欲のために、簡単に生命体の命を奪う」
 と言われるではないか。
「欲のため」
 すべては、その一言で片づけられるものであり、それ以外でも何でもないのだ。
 それこそ、人間という生命体が、
「至上主義を持っていなければできないこと」
 であり、持っているからこそ、
「欲のために、他の生命体の命を奪っても、悪びれることはない」
 ということである。
 もし、人間よりも優れた生命体がいて、人間も他の生命体と変わりのないものと見ていたとすれば、人間を滅亡させることくらい、朝飯前だというものだろう。
「至上主義」
 彼ら生命体も、人間と同じものを持っているのだとすれば、人間が至上主義を唱えるのは、恐ろしいだけである。
「至上主義」
 を否定する人は、そんな生命体の存在を知っているということなのではないだろうか?
 そして、人間至上主義というものが、いずれ、
「悪意を持った魂」
 として君臨することを、この時は、誰も知らなかったのだ……。

                 輪廻転生

 ここに、鍋島直久という青年がいる。
 今年高校を卒業し、いよいよ、大学受験を迎える年になってきた。
 それまでは、いろいろ部活などに勤しんでいたが、部活はサッカー部に所属し、
「いずれは、サッカーで有名になって、Jリーガーになるんだ」
 と言葉では言っているが、夢などは、漠然としたものでも持っているわけではない。高校3年間も、
「サッカーがやれれば、それでいいんだ」
 とだけ思っていただけだった。
 サッカーをやっていると、楽しいこともあった。何よりも、
「余計なことを考える必要がない」
 というものだったからだ。
 特に親からも、
「何か目標を持ちなさい:
 と言われることもなく、学校では先生から、とやかく言われることもなく、ある程度自由奔放だった。
 学校というところ、先生などは、少しでも生徒に寄り添ったり、生徒にかまいすぎてしまうと、ロクなことはない。
 というのも、ちょっとでも構ったりすると、自分の首を絞めることになるからだ。
 昔だったら、生徒からお礼参りをさせたり、苛めの問題が潜んでいたり、PTAから、つるし上げを食ったり、などとロクなことはない。特に、学園ドラマなどを見てきていると、よく分かるというものだ。
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次