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遺伝ではない遺伝子

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 というだけであれば、できたはずだ。
 それをしなかったということは、
「彼らは地球を捨てて、他の星にいったのかも知れない」
 ともいえる。
 その中で、地球にそれでも残って、いずれ発生してくるであろう。人類というものになって、この地球で生きてみたいという生命だけを、この地球にて、輪廻転生という発想を作り上げ、生まれ変わったと見せかけて、彼らが人間に溶け込みやすくしたのかも知れない。
 つまり、
「輪廻転生という考えは、過去の地球人と呼ばれていた種族によってつくられた、実に都合のいい、生存理由をハッキリさせずに、人間に入り込むという大きな理屈だったのかも知れない」
 といえるであろう。
 そうやって考えると、輪廻転生という考えも、どこか、他の力が働いているかも知れないが、うまくできているともいえるだろう。
 ここまで考えてくると、
「輪廻転生という考えを認めることはできるが、輪廻転生が人間の手によってではないというのは、少し残念な気がする」
 とそこまで思うと、自分にハッとするのだ。
「輪廻転生という発想をしていると、どうしても、人間至上主義になってしまう自分が悔しかったりする」
 親が子供からの、
「どうして、牛や鳥を殺したりするの?」
 と聞かれて。
「それはね、私たち人間が生きていくうえでとても大切なことなのよ:
 と言っているのを聞いて、大人になれば、
「それこそ、人間至上主義だ」
 と感じるのだろう。
 確かに生きるためには大切なことだが、本能で食べていればいいだけなのに、よくバラエティ番組なので、
「おいしそうですね」
 と言って、調理するシーンから出来上がったものを食するという、
「グルメレポート」
 などを見せているのを見て、
「おいしそうだ」
 と煽りに乗って、見た人間も食欲旺盛にされてしまうという、これも、宗教団体の専売特許である、マインドコントロールではないか。
「じゃあ、輪廻転生というのは、誰かの手によってつくられたものなのだろうか?」
 普通に考えるとそれはありえない。
 その理由としては。
「自然の摂理と切っても切り離せない関係にあるからではないか?」
 ということである。
 自然の摂理というもので一番大切なことは、バランスではないだろうか?
 相手があって、それぞれに関係性を保っているという時、多くの場合は、それぞれのバランスが大切になってくる。この自然の摂理というのも、そういうものであると考えるが、
「いや、自然の摂理がそういうものだというよりも、自然の摂理がその代表例であり、他のことは、まるで付属品と言ってもいいのではないだろうか?」
 何しろ、自然の摂理というのは、そのバランスが崩れれば、人間はもちろん、その一角をなしているものはすべてダメであり、そこに関わっているものは、ことごとく滅んでいくことだろう。
 どれかの種族が異常発生してもダメだし、逆に絶滅の危機に瀕してもダメなのだ。一つでもバランスが崩れれば、すべてに影響する。餌になる相手がいなくなれば、餌にする方も飢え死にということになり、さらに、飢え死にする種族を食してきた種族も、一網打尽で、飢え死にということになるのだ。
 しかも、それが、サークルになっているので、サークル自体がなくなってしまえば、自然環境も抑えがきかなくなり、猛威を振るうだろう。
「下手をすれば、その星の絶滅を示すことになるかも知れない」
 と言われ、まさに、
「国破れて山河あり」
 という言葉から、その山河までなくなってしまうということだ。
 まるで、地球誕生のビデオを逆再生しているようなものではないか?
 もし、
「惑星の最期」
 をシミュレーションするとすれば、
「宇宙からの外敵というものがない限り、地球内部のエネルギーバランスが崩れ、自然環境が、異常となり、生物の中には生存できない環境になることで、自然の摂理が崩れていき、いずれは、命あるものが、すべて死滅していき、その状態で、生命が生まれてくることなく、そこからさらに長い時間が掛かることで、地球は宇宙から消えていく。それが爆発によるものか、現象消滅によるものなのかは、これからの研究によるだろう」
 ということになるのではないか。
 地球の滅亡というものを、今の時点でも、基本的に、
「惑星の消滅の過程」
 ということで、研究は進んでいるだろうが、地球だけは他の星とは違うということを分かっているだろうか?
 地球には、自然環境というものが存在し、その存在している環境に、生物が無数に住んでいる。動物と植物の間に、
「自然の摂理」
 というものが存在し、自然環境が関わっての、実に見事なバランスが取られ、その惑星としては、そこまで長い期間ではないが、他の星には見られない素晴らしい時間を持てている。
 だが、今、過去において、似たような、いや、もっと優れた生物が生息していたという考えもあることから、ひょっとすると、
「彼らが、地球上の、自然の摂理というものを完成させたのではないか?」
 とも考えられる。ただ、彼らが、
「今の地球に、なぜ生息していないのか?」
 ということが大いなる疑問である。
「彼らの科学力によって、地球より住みやすいところを見つけて、そちらに移り住んだのではないか?」
 とも考えられる。
 そうなると、もう一つ、人間の起源というのも、同じことが言えるのではないだろうか?
 というのは、人間の祖先は宇宙からやってきた地球外生物で、
「母星がまもなく滅びる運命にあるので、移住先を探している生命体だったという説」
 が一番大きいが、他にもいろいろ説はありそうで、それは、それぞれに五十歩百歩で、いまいちの説得力ではないだろうか?
 さすがに、そんな行動な生物を、
「生命体」
 と表現するのも、ある意味、
「人間至上主義だ」
 とは言えないだろうか?
 どれだけ人間が優れているというのか、事実を知らないのは、それこそ、人間だけなのかも知れない。
 ただ、とりあえず、ここでは、一旦、便宜上、人間との区別をつけるという意味で、誠に失礼とは思うが、
「生命体」
 として表記させていただく。
 その生命体は、とにかく、どこかの住みやすい宇宙に飛び出していった。そこで、宇宙連邦の存在を知り、自分たちもその中に組み入れてもらうことにした。さすがに、生命体の持っている科学力では、宇宙連邦にはかなわない。
 もし、かなうものだとしても、戦争になれば、圧倒的に不利なのは分かっている。数的にもまったく不利だし、相手には後方部隊が無数にいるのだ。歯向かうだけ無駄である。
 彼ら生命体は、まず、
「いかに生き残るか?」
 ということを考える。
 我々地球人であれば、変にプライドのようなものがあって、
「奴隷になるくらいなら、戦って滅亡する方がマシだ」
 と考える。
 その根拠は、相手がどういう種族か分からないということで、絶えず最悪のことを考えるというDNAが遺伝子としてずっと残っているからだろう。
 だが、問題はこのDNAがどこから受け継がれたものかということだ。
 人類というものを作ったのが、神だとすれば、神がそういう遺伝子までも作ったということであろうか?
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次