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遺伝ではない遺伝子

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 確かに、熱血教師というのは、ドラマの題材としては、最適かも知れない。しかし、実際にあんな先生がいるはずもないし、教頭や他の生成が、口では言えても、実際に力がないというのもあまりにもおかしい。警察が出てきて、熱血教師が学校を首になることになったとしても、最後はハッピーエンドなのだ。
 しかし、あくまでも学園ドラマでのこと、確かにドラマの中では、何がどうなったのか、ドラマの中で問題となったことは、最後にはなぜか解決している。冷静に考えれば、何ら根底に潜んでいる問題は解決していないのだ。
 特に家庭のプライベートな問題など、一介の教師に解決できるわけはない。そもそも、
「子供の担任」
 というだけで、まったくの部外者ではないか。
 それなのに、家庭の問題に、ズケズケと入り込んでいき、結果としては、引っ掻き回しただけで、根本的な解決にはなっていないはずだ。
 また、苛めの問題などにしても、ドラマでは、あたかも解決したかのように、強引なストーリー展開だが、何ら解決していない。
 苛めを受けていた生徒が、今後苛められないという保証はない。下手をすれば、もっと苛められる可能性だってあるわけだ。
 誰も分かっていないことなのかも知れないが、
「一度話題になって、注目を浴びてしまうと、それが解決していなかったとしても、誰ももうそちらに目を向けることはない」
 ということである。
 たとえば、ミステリーで殺人事件が発生し、証拠となる凶器の捜索が行われているとして、警察は血眼になって、いろいろなところを捜索するだろう。
 しかし、うまい犯人は、一番安全な隠し場所というのを知っているのだという。
 それが、
「どこなのか?」
 と聞かれた時、果たして読者や視聴者には、それが分かるであろうか?
 これは、一種の、
「ミステリーの定石」
 いや、
「ミステリーあるある」
 といってもいいだろう。
 というのは、一番安全な隠し場所というのは、
「警察が一度調べた場所だ」
 ということになる。
 つまり、一度、犯人は実際に持っていて、警察がどこを捜索したかということさえ分かってしまえば、一度警察が捜索したところに隠せばいいだけである。
 これは一種の錯覚であったり暗示というものなのかも知れない。
「一度探してなかったら、もう絶対にそこにはありえない」
 という思い込みによる、一種の心理トリックだといってもいいだろう。
 だから、警察が必死になって探せば探すほど、犯人にとって、隠す場所が、どんどん増えていくということになるのだ。
 つまりだ。
 この場合のように、苛めというものを学校側がその全容を把握していない限り、苛めの対象というのは、いつも存在している。
 つまり、学校側が、
「○○が苛められている」
 と目星をつけてその生徒に注目していれば、それ以外の生徒を苛めても、先生はまったく気づかない。
 しかも、一度苛められているという目星をつけた生徒が、
「苛められていない」
 という結論を出した瞬間に、また、苛めの対象になる。
 学校側が、
「この生徒は苛められていない」
 という確証付きでである。
 本当は苛められているのに、その目をごまかすことさえできれば、学校なんて、いくらでも騙すことができる。
 苛めを行う方だって、バカだというわけではない。むしろ、
「悪知恵には長けている」
 といってもいいだろう。
 それこそが、心理的なトリックの真骨頂であり、そういう意味では、苛めを行う方と、学校側とで、
「キツネとタヌキの化かし合い」
 をしているようなものであった。
 生徒というのは、
「苛める側」
 と、
「苛められる側」
 そして、
「静観する側」
 ということに分かれるであろう。
 しかし、最終的には苛める側以外は同じようなもので、学校側が見ているのは、あくまでも苛める側である。
「いじめっ子さえ見つければ、誰が苛められているのか分かるだろう」
 という考えなのかも知れないが、逆にいえば、
「誰が苛められているか分からないので、苛められている側よりも苛める側を見つけた方が楽だ」
 と考えているのかも知れない。
 だから、苛められている生徒は永遠に分からないのだ。苛める側が、そんなへまはやらないからだ。
 だが、学校側にはその理屈が分からない。だから。苛められている側に、静観者たちまで入れてしまうから、ことの実態が見えてこないのだ。
 静観している連中が、実は一番たちが悪い。そんな連中を、苛められる側にいれてしまうと、ただでさえ、苛める側が隠そうとしているのに、いじめられっ子を見つけることができず、いつまで経っても、苛められている生徒を見つけることなどできなくなってしまうのだ。
 しかも、静観している連中は、何もいじめられっ子の仲間というわけではない。自分たちに被害がこなければいいというだけで、
「苛めにかまわないようにしよう」
 というあくまでも、事実から目をそらして逃げているだけの連中だ。
 いじめっ子からすれば、
「こんな連中。どうせロクな人間なんじゃないから、次のターゲットはこいつらから選べばいい。どうせ誰でもいいんだったら、くじ引きで決めるか?」
 という程度である。
 考えてみれば、足利将軍15代の中で、一人、くじ引きで決まった、
「くじ引き将軍」
 がいるくらいだ。
 苛めくらい、くじ引きで決まってもいいようなものだ。
 と、そんな感じだったのだろう。
 そんな目標も何もない鍋島が、
「世の中なんて面白くも何ともない」
 と思っていた。
 というのは、直久の両親が、ある新興宗教にかぶれていたからだった。
 そもそも、子供の頃から病弱だった。
 その宗教は、今では結構騒がれるようになった宗教で、
「世間で騒がれているような宗教なんて、ロクなものではない」
 と皆が言っていることで、さすがに直久も、
「うちの親が、その宗教にかぶれていて」
 などということは、口が裂けても言えるわけはない。
 分かっているのだが、そう思っていても、親に対して、
「そんな宗教、やめてしまえ」
 と子供の方からは、どうしてもいえなかった。
 勇気がないわけではない。屈強な抵抗があるのも分かっているのだが、抵抗があるから、言えないわけではなかったのだ。
 その話を聞かされたのは、高校受験が終わり、高校生になってすぐだっただろうか。受験生の頃は、精神的にそれどころではなかったので、何も言えなかったが、受験も終わり、無事に入学できたことから、
「親の宗教かぶれについて、そろそろ子どもとして諭さないといけないんじゃないか?」
 と思い始めた時だった。
 放っておくわけにはいかないだろう。
 と思ったのも間違いではなかったので、意を決するにも、タイミングが必要だと思い始めた頃だった。親の方から、話しかけてきた。
 完全に、先手を打たれたのだった。
「直久。ちょっといいか」
 といって、父親に呼ばれた。
 ビクッとした直久は、その瞬間ですでに委縮してしまっていた。
 直久は、子供の頃から、父親であったり、母親から呼ばれた時というのは、まず説教しかなかった。
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次