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遺伝ではない遺伝子

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 今のような、異常気象や天変地異。それによって、二酸化炭素の量など、今の科学力でも十分にシミュレーションができる。
 問題は、
「それをいかに阻止できるか?」
 ということである。
 そういう意味で考えてみれば、過去における、
「人類よりも、はるかな文明を持った種族」
 というものが、氷河期というものを想定できなかったわけでもないだろう。
 ということは、
「あの過去にあった氷河期というのも、実は、今の人類が開けてはいけない、パンドラの匣を開けてしまったのと同じことではなかったか?」
 とは考えられないだろうか。
 いわゆる、自然破壊がもたらす、一種の、
「世界を破滅させる、リーサルウエポンとでもいうべきか」
 そんなものが生まれるのを、本当に阻止できなかったというのだろうか?
 確かに、彼らは食事もしない種別で、自然界の摂理に直接かかわる種別ではなかったとしても、恐竜のような下等動物などに、
「自然の摂理」
 であったり、
「このままいけば、世界が亡んでしまう」
 ということを言っても、分かるわけもないし、本能から、自分たちがどちらにしても、死滅してしまうということが分かったとしても、どうすることもできないだろう。
 だからと言って、恐竜の死滅を急いだとすれば、それは、
「自然の摂理」
 のバランスが崩れるのを早めるだけであって、何の解決にもならないということだ。
 きっと、彼らも、
「手の施しようがない」
 と感じたことだろう。
 ここで一つの発想が浮かんできた。
「過去の人間の想像を絶する彼らは、自然の摂理に直接関係はない」
 と考えているが、それは、実は、今の人間のいう、
「ロボット人間」
 なのではないか?
 という発想である。
 ものを食べることもしなければ、他の種族から見ての、
「食べられる側」
 というわけでもない。
 つまりは、
「我々は、知能を持った、身体はロボットもしくは、アンドロイドのようなものではないか?」
 という発想である。
 さすがに、自然界の摂理の崩壊で、彼らは滅んだわけではない。ただ、それが、
「原因とまったく関係のないことだ」
 というわけでもないのだ。
 つまりは、自然界が崩壊することで、地球が危ない環境になり、生物はおろか、ロボットも済めない環境。たとえば、
「氷河期の訪れは、太陽光が遮断されたことにより、地球が突然凍り付いた」
 と解釈されるが、
なぜ、そんなことになったのか?
 今の世の中では、
「地球温暖化」
 と呼ばれていて、それは、
「成層圏におけるオゾン層の破壊が原因だ」
 と言われる。
 だから、カーボンニュートラルなどという言葉で、
「二酸化炭素の放出を防ぐ」
 ということで、自然エネルギーに変わるものを、急ピッチで開発しようとしているのではないか。
 石油や石炭。さらには、全世界的に問題になっている、
「原子力」
 などというものをいかに排除する形で、運営していくかというのが、現在の人類の課題だといえるだろう。
 かつての、高レベルの種別も、今の人類と同じことを考えていたはずで、考えが至らなかったのか、それとも、
「時、すでに遅し」
 ということだったのか分からない。
 きっと彼らとすれば、今の時代に、何かを残すだけの余力が残っていなかったのか。最後の最後まで抵抗を試みたため、そんな時間がなかったということなのか、今の時代に伝えるものが何もないということに対して、少しは憂慮した考えを持つとすれば、こうなるのであった。
 人間というものすべてにいえるかどうか分からないが、概念としてあるもので、
「過去の存在はすべて、今より劣っていて、時系列とともに、発展していっているのだ。もし、逆に過去に自分たちより発達した人類が存在したとすれば、それは、自分たちの祖先ではなく、本当に同じ星に存在したものではない。次元というものが違ったところで生きていた種別なのかも知れない」
 と考える。
 人間になってからでも、聖書の中にある、
「ノアの箱舟」
 という話である。
 あれは、創造主である神が、当時のダラけた様子を見て、
「これは、一度、すべてを葬り去って、新しく作り出す世の中に活路を見出す」
 ということで、ノアに命じて、箱舟を作り、そこにすべての種類の1つがいだけを残して、後は洪水として、すべてを押し流してしまうという、一種の、
「洗浄効果」
 というものではないだろうか?
 その発想は、
「生命を作った神と存在が、造り上げたものに自分たちで不満を感じたから、皆葬って、また一から作り直す」
 ということで、それが一種の、
「世界最終説」
 なるものに結びついているのかも知れない。
 宗教というと、
「今の世の中ではどうにもならないが、未来で幸福になるために、それだけのために、今を生きる」
 という発想が多い。
 しかし、逆にいえば。
「あの世や来世など見えるわけがないので、もっともらしいことを言っても、分かることではない」
 といえるのではないだろうか?

                 人間至上主義

 そんな宗教のようなものが、果たして、過去の種族にはあったのだろうか?
 普通に考えれば、
「人間以上の文明を持ち、我々よりもより詳しいことを知っているのだとすれば、神様などというものを信仰する必要などないのではないか?」
 とも考えられる。
 だが、この発想はどうなのだろう?
 もちろん、存在したかどうかも分からない種族の話なので、感情があったかどうかも分からないので、あくまでも、人間としての、目線からなのであるが、
「神様は信じていたのではないだろうか?」
 といえる。
「どうしてそう思うんですか?」
 と聞かれたとすれば、
「人間であれば、宗教に頼るというのは、先が不安であったり、現状に満足できない。あるいは、現状で助けを求めるということにおいて、すがる相手を神様に求めるのだ。宗教にもいろいろあるが、特に仏教系であれば、現在を頑張って生きることで、あの世では降伏になれるというものである。だから、今は苦しくとも、あの世で幸せになるために、この世を生きているんです」
 というではないか。
 ここで、宗教に少なからずの疑問を感じている人は考えるのではないか。
「あの世で幸せになるために祈っているというが、あの世というのは、祈った人は皆幸せにしてくれる世界なのだろうか?」
 と感じるのだ。
 そして、
「祈らなかった、いわゆる無信仰の罰当たりともいわれる人はどうなるというのだろう?」
 あの世の発想として、聞いたことがある話であったが、
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次