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遺伝ではない遺伝子

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 その証拠に、動物のことを口にする時、たいていの人は、人間以外の動物という意識で口にしている。
「人間は、動物と違って……」
 という言い方をしている人も散見され、本当であれば、
「人間は、他の動物と違って……」
 というのが正解なのではないだろうか。
 これに近い発想として、空想特撮ドラマなどで、出てくる宇宙人のことを、
「○○星人」
 という。
 人間は、一人一人名前があって、それを呼称としていて、確かに宇宙人では、発想が違うということなのか、さらに、ドラマの中で、大きな括りとしては、
「地球人と宇宙人」
 ということになっている。
 そんな時、昔見た特撮ヒーロードラマの中で、その○○星人のことを、
「君たち宇宙人が」
 と発言した地球人に対し、
「気取るなよ。君たち地球人だって、宇宙人の中の一つの種族でしかないんじゃないか」
 と言っていたのを聞いて、何かそれまで感じていた違和感のようなものがスッと取れた気がしたのだ。
「わだかまりが消えるということは、こういうことなんだな」
 と感じたのだ。
 特にヒーローが別の星から来て、地球を防衛しているという設定で、侵略に来た宇宙人との会話の中であったのだが、
「地球人は、我々のことを、○○星人と言って、一括りにして、来た星がどこか分からないと宇宙人という括りにする。その中には、我々は他の種族とは違うという感覚が見え隠れしているんだよな」
 ということであった。
「だけど、お前たちだって、こちらのことを地球人と呼ぶではないか。それと同じ感覚さ」
 というと、
「君たちの種族はそれでもいいと思うんだが、一つ気になっているのは、地球には、人間以外の種族だっているじゃないか。まるで地球の生命の代表のように言っていると思うんだが、俺たちのような地球から見た時の地球外生物という考え方は。言ってみれば、地球は地球の立場の星しか存在していないと思い込んでいるとしか思えないんだ」
 と、やつらはいう。
 このドラマにおいて、地球外生物の中でも、
「人間よりも高等だ」
 と言われる生物は、基本的には、その星では単族種別であった。
 もっといえば、
「他の星には、人間以外は住んでいない」
 というところがほとんどだというのだ。
 なぜ、そんな世界になっているのかというのは、その宇宙の歴史にしか答えはないのだろうから、地球人に分かるものではない。
「他に種別がいない」
 ということは、地球上でいうところの、前述である
「自然の摂理」
 というものが存在していないということだ。
 そぅ考えると、明らかに自分たち地球人とは、違っているということだけは分かるのであり。
「自然の摂理がない」
 という理屈からは、いろいろな発想が生まれてくる。
 つまり、同じ種別しかいないということは、
「食事という概念がそもそもない」
 ということになる。
 その次に疑問に思うのは、
「この宇宙人に、老いや死というものがあるのか?」
 ということである。
「食事という生命のあるものにとって必要不可欠なものがないとすれば、生きていくために地球の生物が必要とする。空気、水、食物などはないということではないか?」
 ということになると、彼らは構造的にも人間と違うものだが、ドラマの構成上、
「人間の形をしている」
 と言ってもいいだろう。
 しかし、だからと言って、人間の形をしていることで、何でも、人間に近いわけではない。言語をどうするか、彼らも仲間がいるわけだから、コミュニケーションはあるだろう。しかし、それが言葉を必ずしも必要としないかも知れない。テレパシーのようなものが一番理解しやすいものだろう。
 そうなると、やつらは、老いもなければ、死というものはない。人間でいえば、魂のようなものだろう。
 だとすると、
「行動をするための身体になるものが必要かも知れない」
 という発想になり、
「魂だけであれば、それに付随している肉体は生身のものにしても、ロボットのようなものにしても、老朽化するだろう」
 そうなった時、
「肉体の確保を求めて、地球人の身体を求めて、侵略にやってくる」
 などという発想も確かに話としてはあった。
 きっと、当時の脚本を書いたり。プロデュースした人が考えたことなのだろうが、それを思うと、
「皆考えるのは、結構同じなんだな」
 と思うのだった。
「そもそも、他の星から地球のような星を狙ってやってくるというところの目的が何かということを考えていくと、そこもおのずと分かってくるところもあるのではないだろうか?」
 というのも一つの考えである。
 地球上の我々の場合を考えるとどうだろう?
 民族的に、
「征服を目的としている戦闘的な国」
 というものがあった場合、たとえば、日本であれば、中世のような封建制度の時代を思い浮かべたとしようか。
 一番分かりやすいのは、
「蒙古来週」
 という考え方なのかも知れない。
 蒙古襲来というのは、中国全土を征服し、西にも東にも勢力を伸ばしてきた、
「元王朝」
 が、まずは日本に対して通商を求める使者を、親書とともに遣わしてきたが、当時の鎌倉幕府とすれば、
「受け入れられない」
 ということで、使者を叩き切っている。
 それで怒りに燃えた元は、当然のごとく、軍を日本に派遣してくる。
 日本としては、博多を中心に、蒙古軍の襲来を予期し、石塁を作ったり、兵を集中させたりしたものだ。
 御家人たちは、博多防衛のために、領地を離れて。襲来を待ち続けることになる。当然それだけ経費も嵩み、領国を離れているということで、領土民も、領主も不安でいっぱいだ。嵩む経費は御家人持ち、たぶん、
「追い払うことができれば、論功行賞で、褒美がもらえると思っていた」
 に違いない。
 何とか、2度にわたる来襲兵を、
「他力本願」
 ではあったが、追い払うことができた。
 しかし、幕府から褒美はもらえない。
 当たり前のことであった。日本の領土はすでに、皆どこかの所領となっていて、国内での争いで勝った負けたがあったわけではないから、負けたものの領地を勝ったものに与えるというわけではない。中国に攻め込んで海外の領地を手に入れたわけではないので、分け与えられる領地が幕府にはなかった。
「俺は借金してでも、幕府のために」
 と言ったとしても、それは、利かない。
 なぜなら、同じ立場の御家人がたくさんいたからだ。
 そうなると、駆り出された御家人は、バカを見るというものだ。
 そもそも、土地の保証と、領民の保護が領主の責任である。
 領民は絶対に納得もしない。そうなると、文句は幕府につけるしかない。
「わしらだって、幕府から、恩賞は得られていないんだ」
 ということで、領主である御家人はどうすることもできない。
 こうなってしまうと、
「封建主義の限界」
 ということで、政治体制が成り立たなくなってきているということの現れだったのだ。
 これが、結果的に、
「鎌倉幕府の崩壊」
 を招くのだ。
 確かに元寇という、
「予期せぬ出来事」
 が起こったことで、侵略されかかったということで、根本的な政治体制が崩壊したのだった。
 幕府はそのことは分かっていなかっただろう。
 朝廷が、
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次