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遺伝ではない遺伝子

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年12月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。

                 自然の摂理

 世の中には
「輪廻転生」
 という言葉がある。
 この言葉は、インド系の宗教などでよく言われていることであるが、
「命あるものは、必ず、死んだ後、何度でも生まれ変われる」
 というもので、それは、人間になるのか、それとも、動物になるのか分からない。
 とにかく、輪廻転生は、生まれ変わるということを前提にしているので、人間が動物に生まれ変わることができるとするならば、動物が人間に生まれ変わるということもあるということだ。
 そういえば、
「前世は虫だった」
 などというような話を聴いたりしたことがある。
 命あるものが、どんなものにも転生できると考えるのか、できるものにも限りがあると考えるのか?
 そういう意味で、一つの疑問が浮かんでくるのだが、
「果たして植物に転生できるのだろうか?」
 ということであるが、今言われている理論からすると、
「できない」
 というのが一般的な発想のようだ。
 そして、輪廻転生の考えでいくと、あくまで、人間だけに限った場合で考えるのだが、
「今は地球の人口が増えているということだが、これは、生まれた子供の死亡率が低くなってきたことが影響しているだろう。さらに、その増えている原因として。寿命が長くなってきている。つまり、死ななくなったということからなのかも知れないな」
 ということであった。
 ということは、この理屈でいえば、
「人口のは、ある意味限りがある。倍倍というように増えていくわけではないと考えると。もし、死んだ人間が転生するのだということであれば、世の中の人間は、皆転生したものであり、新たにこの世で誕生した人間はいないのではないか?」
 ということになるだろう。
 さらに、人間を含めたいろいろな動物も、
「その数の比率は、自然界の摂理として、ほぼ一定なのではないだろうか?」
 といえる。
 なぜかというと、自然界の摂理としての、生態系というものは決まっているのである。ひとことでいえば、
「弱肉強食」
 などという言葉が、それにふさわしいものではないだろうか?
 つまりは、
「強い者が弱い者を食べ、そして、食べた動物を、さらに強い動物が食する」
 そういう法則が織りなす中で、それが、円を描くようにバランスがとられているということから、普遍的な自然の摂理というものが生まれる。
「強い動物が、弱い動物を食するというのは、あくまでも、空腹という本能の時、空腹を満たすだけのために、エサになる動物を食するのだ。そこに、食欲以外の何ものも存在せず、それによって自然界は保たれている」
 というのだ。
「それは、動物の世界だけではなく、植物の世界にも言えることで、草食動物は、植物を食べる。植物は、動物が死んだあとの亡骸や骨、生きている時の排せつ物が肥料となって、植物の栄養となる。これも自然の摂理である。ここでも、バランスというものが、重要になってくる」
 ということである。
 つまり、ここでいうバランスというのは、
「数による均衡」
 という意味で、
「もし、ライオンのような肉食動物の数が急に減り始めたらどうだろう? ライオンに食されるはずの、動物が食されなり、異常発生することになるのではないか? それを、数が増えて繁栄することになるといって手放しで喜べるであろうか? いや、そんなことはありえない。なぜなら。異常発生した動物も何かを食べないと生きていけないのであり、しかも、餌になる動物に限りがあるということになると、今度は、その動物が絶滅の危機になってしまう」
 ということだ。
 自然の摂理によるバランスが大切だというのは、そういうことで、どこか一角が何らかの理由で、異常発生してみたり、逆に、絶滅の一歩手前であれば、大変なことになるわけだ。
 それらが、サイクルとなっているので、どこか一角が崩れると、すべてに影響することになる。
 もし、この、
「何らかの理由」
 というものが、輪廻転生であったとすれば、どういうことになるというのだろうか?
 転生するということは、
「生まれ変わる」
 ということである。
 つまり、
「生あるものは、必ず、死を迎え、死んでいく者があれば、新しく生を受けるものがある。死んでいく者すべてが生まれ変わるのだとして、さらにそこには、自然の摂理が存在しているのだとすれば、生まれ変わる人間は、本当の新規で命を与えられたものはいない」
 ということになる。
 言い方はおかしいが、
「命には新規参入というのはありえない」
 ということだ。
 いろいろな宗教で、最初に人間を作ったり、いろいろな動植物が生まれてはいるが、最初はもちろん、人間など、アダムとイブから始まって、そこからだんだんと増えてきているように見える。
 しかし、輪廻転生の考えでいけば、
「ひょっとすると、人間が増えてきたのも、何か他の動物が、生まれ変わって、人間を増やしていったのではないか?」
 と考えらる。
 もっと深読みをしてしまうと、
「人間という動物が生まれたことで、ひょっとすると、何かの種族の滅亡を招いたのではないだろうか?」
 ということが言えるのではないかと思うのだ。
 自然の摂理が、
「弱肉強食だ」
 ということになれば、種族の数も一定であった可能性がある。
 人間が、その滅んでいく動物のその位置に入ることで、自然の摂理が守られているのだとすれば、
「人間が登場する前に、人間と同等、あるいはそれ以上の文明を作れるだけの、限りなく人間に近い種族が存在したとしてもそれは、一向に不思議なことではない」
 人間という動物だけが、今のところ、思考能力を有しているかのように言われている。動物でも、知能があるものは存在するのだろうが、思考能力というのは別である。だから、人間というものは、
「神に選ばれた種族である」
 というような発想が生まれてくる。
 その一つが、種族というものを考える時、人間だけが特別だ。
 というのは、人間というのは、動物の中に一種族でしかないはずなので、種族を分類とするとすれば。
「動物と植物」
 とに分類する。
 確かに人間もそう分類するのだが、根底には、
「人間だけは別で特別なもの」
 という発想である。
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次