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遺伝ではない遺伝子

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「人は絶対に死ぬものだ」
 ということにすれば、後は、
「生まれ変わる」
 という発想しかないではないか。
 宗教では、天界の発想があり、
「生まれ変われるとして、人間が人間に生まれ変わる場合、地獄に落ちてはいけない」
 ということになっている。
 しかも、絶対数としては圧倒的に少ないが、
「神様として聖天してしまったのであれば、神の領域にいるわけで、いまさら人間に生まれ変わるなどというのは、何かの罰ゲーム以外の何者でもない」
 ということになるだろう。
 絶対数の少なさ、
「生まれ変わりの循環」
 というものを考えると、どんどん小さくなっていき、
「限りなくゼロに近いもの」
 に繋がってくるとすると、今度は、
「果てしなさというのは、回数なのか、その寿命なのか?」
 ということになるのではないだろうか?
 だが、生まれ変わるということは、
「地獄に落ちた人間は、人間には生まれ変われない」
 さらに、
「新しい生命がこの輪廻の中に入ってくるには、数に限界がある」
 というような発想から、親が入信している宗教などでは、
「あるウワサ」
 と呼ばれるものが叫ばれている。
 最初は、この話は、宗教団体の中で幹部連中だけが知る、いわゆる、
「最優先極秘事項」
 として、長らく秘密にされてきた。
 宗教団体自体は、そんなに厳しいところではないが、幹部だけしか知らないこと、幹部の秘密としているところは、人間にとっての尊厳ということで、いくら信者であっても知ってはいけなかった。
 そもそも、この大体は、実際に活動を始めたのは、昭和の40年代ということで、新興宗教と呼ばれていた中の、一種の生き残りである。
 実際に他の宗教団体は、そもそも、宗教団体に興味などないので、その歴史など、知る由もなかったのだ。
 ただ、知っていることとして、昭和の頃、ちょくちょく新興宗教団体が生まれては消え生まれては消えを繰り返していたような話を聴いたことがある。
「中には、名前を変えて、それこそ、手を変え、品を変え、生き残ってきたところも多いのではないか?」
 という。
 それこそ、
「ウイルスなどの病原体が、自分たちが生き残るために、変異を繰り返す」
 と言われているのと、同じではないだろうか?
 変異を繰り返すウイルスは、
「感染力はそうでもないが、重症化率や、致死率が高い」
 と言われるもの、逆に、
「重症化や死に至ることは減るが、その代わり、完全力の強さでは、他のウイルスの比ではない」
 といわれるものもある。
 どちらがいいとは言いにくい。
 前者は、その言葉通り、
「罹ってしまうと、ただでは済まない」
 と言われるであろうが、後者の方であれば、
「確かに文面から見れば、それほどかかったとしても、重症化する可能性が低いのであれば、大丈夫ではないか?」
 という発想は、明らかに浅はかだ。
 まずは、確かに患者数のわりに重症化が少ないとはいえ、分母が大きくなれば、その分、分子も大きくなる。そうなると、前者の時の患者数とその比ではないのだから、当然分子の数もそれなりにいるだろう。前者の場合と蓋を開けてみると、死者、重傷者数はそれほど変わらないどころか、実はさらに多いのかも知れない。
 だが、問題はそこではないのだ。
 一番の問題は、患者数が増えるということで、医療崩壊を引き起こすということだ。軽症の人は、さほど構う必要がないとはいえ、病院や、感染検査の場所は人でごった返し、本来なら、距離をおいて、待機しなければいけない場所も、感染危険性のある距離のギリギリまで詰め合った状態で待機しなければいけないという、実に本末転倒なことまで起きるであろうという状態にまで追い込まれかねない。
 医療崩壊というのは、結構な大きな問題だ。
 インフルエンザのような、
「未知ではない伝染病」
 であれば、対処のしようがあるだろう。
 ワクチンや、予防接種、特効薬の手配も容易にできるだろうし、医者がノウハウを分かっている。
 しかし、急に発生した、というようなウイルスであれば、誰もすぐには対応ができないというものだ。
 だから、
「未知のウイルス」
 が流行した時は大変なのだ。
 というのも、少しでも流行り出し、それが世界的ともなると、
「日本一国」
 だけというわけにはいかないのだ。
 当然のごとく、入出国も制限される。
「まずは、本国で陰性を確認し、渡来国でも陰性を確認し、さらに、1週間以上。渡来国の用意したホテルで、隔離され。その後陰性になれば、やっと、その国で活動を再開できるというわけだ。
 観光などは当然できない。基本的に、国外渡航の禁止がいわれる。
 さらに、店舗の休業要請、保育園、学校の一斉休校。外出自粛の要請、かなり厳しい自由の制限を味わうことになる。
 自営業やその従業員はいきなり生活の危機に陥る、会社勤めの人も、すぐにはその波は来ないかも知れないが、そのうちに企業による愛顧なることが起こってくるかも知れない。
 そんなことで、何とか蔓延を防止さえ、一旦は、その流行を収めることができたとしても、
「例の変異」
 という問題が起こり、
「次の波が押し寄せる」
 もちろん、最初のウイルスから変異しているので、さらに未知のウイルスなのだ。また一から調査のし直しになったりする。
 一種の、
「いたちごっこ」
 なのだ。
 前に流行ったウイルスは、最初こそそこまで患者がいなかったわりに、重症化、死亡率はそれなりにあった。
 しかし、国家の救急体制がまったく行き届いておらず、かつてあった緊急搬送病院も、前の政府が、
「無駄なものはなくせ」
 ということで、その少し前に廃止になったりしていた。
 タイミングが悪いというのか、それとも、先を見通す目がまったくできていなかった政府が悪いのか、どちらにしても、タイミングが悪いなどという言い訳が通用するような政府ではなく、政権交代から出るわ出るわ、不手際の山だったのだ。
 それを思えば、今の政府は……。いや、やめておこう。さらにひどくなってしまい、救いようのないところまで来ているのを、失念するところであった。
 ただ、当時はとにかく、
「2類相当」
 と言われる伝染病だったことで、
「新型伝染病を見る医者が、ごく少ない」
 ということ。
 さらに、入院施設なども少なくて、医療崩壊の正体は、
「救急車を呼んでも、そこから先、受け入れ病院が皆無だった」
 ということだ。
 本来なら、国から、補助金を貰っていれば、診なければいけない病院のはずなのに、救急要請を平気で断るという、そういう悪質な病院が多かったりするのだ。
 それよりも、もっと大きな
「医療崩壊の正体」
 というのは、
「新型ウイルス感染者が、救急車を呼びまくるので、本来であれば、普通に緊急搬送されて、助かるはずの、他の持病を持った患者が急変した時なのである」
 つまりは、
「新型ウイルス患者を優先することで、本来なら助けることができた命を助けることができない」
 ということも、大きな、医療崩壊というものの、正体なのだ。
 それを考えると、
「医療崩壊」
 というのは、正直、神頼みをしなくても助かった命を助けることができなかったという。
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次