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遺伝ではない遺伝子

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 そう考えると、今度感じるのは、
「躁から鬱に変わる時、あるいは、鬱から躁に変わる時という、前触れのようなものが分かれば、そんなにつらくはないかも知れない」
 ということであった。
 実際には、考えていると、その分かれ目が分かる時があった。
 しかし、それは、鬱から躁に変わる時であって、躁から鬱に変わる時ではなかったのだ。確かに、前者も大切なことだった。
「これで苦しみから救われる」
 と思うと、その瞬間から気が晴れるというものだが、実際には、逆の方が、ありがたいと思っていた。
「これから苦しみがやってくることに変わりはなく、逃れることができないのであれば、どう考えるかというと、覚悟ができていれば、全然違うということであり、その覚悟ができるはずの瞬間が分からないということは、それだけ辛い時間が長引くということではないか?」
 と感じるのだった。
 果たして、躁から鬱への入り口はどうしても分からない。鬱から躁に変わる時というのは、正直分かるのだ。
 なぜなら、鬱状態というのは、トンネルの中であり、その中で映し出される黄色いハロゲンランプも、まさにその気持ちを表しているようで、実に苦しいという意識を醸し出しているかのようだった。
 考えてみれば、
「一日の中で一番疲れを感じる時間帯」
 というと、もちろん、個人差はあるだろうが、鍋島は、文句なしに、
「夕方だ」
 と答えるだろう。
 夕方というと、部活をやっている時間。まだまだ日が差している時間は、普通に歩いているだけでも汗を掻くのに、部活で運動していると、身体が溶けてしまいそうな錯覚に陥るくらいで、溜まったものではない。
 しかも、日が暮れる夕方近くになると、その疲れはピークに達する。
 といっても、身体というのはうまくできていて、
「ひと汗かくと、結構楽になるもので、身体が動くものだ」
 と言われている。
 違うスポーツで野球などもそうで、よく先発ピッチャーが、
「彼は立ち上がりが悪い」
 と言われているが、その後は立ち直って、
「3回以降は、ランナーを出すのも大変だ」
 と言われるのをよく聞く。
 そんな時、野球解説者の口からも、
「ひと汗かいて、身体の動きがスムーズになってきましたね。これが彼の真骨頂ですね」
 と言われている。
 しかも、相手チームがもっとよく分かっていて、
「立ち上がりの悪さをつくしかない。2回までにどれだけ点数を取れるかにかかっている。できることなら、早い回にマウンドから引きずり下ろしたいものですね」
 と、バッティングコーチが語っているのを聞くのも、一度や二度ではないだろう。
 それでも、3回以降は手が付けられない。
「あいつが、立ち上がりがよかったら、完全試合や、ノーヒットノーランくらい、何回でもできるんじゃないか?」
 と言われるほどであった。
 それだけの実績もあるピッチャーで、
「どうして立ち上がりが悪いんですか?」
 などと聞く、無神経な取材もたまにあり、本人も苦笑しながら、
「そんなことが分かっていれば、今頃は、もっと勝ってますよ」
 と、吐き捨てるようにいうしかないではないか。
 それだけ、
「ひと汗かく」
 ということが、人間の生活においても、重要であるということが分かっている。
 要するに、汗を掻かずに身体に溜まってしまうと、疲れをため込んでいるのと同じことなのだ。
 夕方はそんな時間である。
 そんな時間に、夕日の黄色く、ちょっとオレンジ掛かった色を目にすると、その条件反射からか、オレンジ色だったり黄色い色を感じた時、身体が熱くなり、汗を掻く時と描かない時で、その脱力感が変わってくる。
「それが、鬱状態から躁状態に移る時の感覚の正体なんだ」
 と感じるのだった。
 トンネルから出る時、どんどん明るさが眼を襲うようになる。これは正直、本当であれば辛い。
 普通の毎日であれば、
「夕方の次には夜が来て。少々暗い中に、ネオンサインは明かりが適度に表れる。目にはちょうどいい」
 といえるのではないだろうか?
 しかし、トンネルから出るとすぐというのは、その明るさのギャップからか、その瞬間だけ、モノクロに見える時がある。この時のことを、さすがにまだ中学生の鍋島は知らなかったが、夕方から、日が暮れて夜に向かう時に、ごく短い時間帯に現れるという、
「夕凪」
 であったり、
「逢魔が時」
 と言われる時間帯ではないか?
 ということであった。
 夕凪という時間も、逢魔が時と言われる時間も、どちらも、夕暮れの、
「ロウソクの炎が消える前の灯火」
 という時間帯のことであった。
「夕凪」
 という時間帯は、
「風がやんでしまう時間帯」
 と言われ、さらに、
「逢魔が時」
 と言われるのは、
「その時間帯というのは、昔から、魔物に遭う時間帯と言われ、事故などが多発すると言われて、恐れられている時間帯」
 であった。
 その両方が同じなのか、違うのかは正直分からないが、鍋島は、
「同じなのではないか?」
 と思っている。
 特に、夏の暑い時、きつい練習が終わって帰宅する時というのは、汗が滲んでくる時間帯であった。
 しかし、少し早く練習が終わって、まだ、夕日が沈む前など、帰宅時間には、なぜか汗を掻かない時間帯があった。
「なぜなんだろう?」
 と思っていたが、一度、汗を掻いた同じ時間帯に帰ろうとした時、スーッと吹き抜けていく風に、
「ああ、心地よい」
 と感じたのだ。
 その時鍋島は気が付いた。
「ああ、そうか、風が吹いてこないからだ」
 ということが分かったからで、風が吹いてきたのを感じて、汗が身体にまとわりついていることで、その冷たさを身に染みて感じるからだった。
 心地よさを感じると、今度は、以前の、それも数日前くらいだったはずで、時間的にもそんなに変わりがあったわけでもないのに、なぜなのかを考えた時、
「そうだよな。季節があるように、日にちが微妙に違うだけで、同じ時間でも、風が吹かない時間があるんだよな」
 ということであった。
「夕凪の時間」
 というのは、鍋島は分かっていた。
「風が止まる時間がある」
 ということまでは分かっていたが、それがどれくらいの時間なのかは、不明であった。
 何度か。
「夕凪の時間を計ってみよう」
 と思い、風が止まった時間と吹いてきた時間を探ってみようと思うのだが、いつも、後になってから、
「ああ、しまった。忘れてた」
 と感じるのだった。
 それを何度も繰り返しているうちに。
「俺には分からないようにしているんだな」
 とずっと思ってきたが、友達に同じことを聞いても、
「ああ、俺にも、ハッキリとは分からないな」
 と言われた。
 その友達も、同じように図ってみようと思ったようだ。
「さすが、俺の友達だ」
 と、鍋島は思ったが、他の友達はというと、
「そんなこと考えたこともなかった」
 というやつもいれば、
「夕凪? 何だい、それは?」
 と言われるのがオチだった。
 もっとも、夕凪を知らないやつの方がまだ救いがある。なまじ知っているくせに確認しようとすら思わないというのは、最初から、
「探求心のないやつだ」
 ということで、自分とは、
「合わないやつなんだな」
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次